パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

藤田の日記

2010年03月01日 | 藤田の部屋
  板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 最高裁に口頭審理を要請中
 ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!


 『藤田の日記』(「もちはなぜまるいか」4,5,6)

「シマエナガ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

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2009/05/25(月)     4
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 日本帝国主義は萬世一系、天皇現神、八紘一宇を理論として、人民大衆を排外主義的熱狂につっこみ、侵略戦争にかりたてた。それは天皇制や独占資本や寄生的地主にとっては非常に役だつ「理論」であった。だが今日にとっては一体御用学者のたれがこの理論を真理であったといいはることができようか?
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2009/05/26(火)     5
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 当面の斗争に役だつかどうかというめやすを不当におしひろげると、かえって発展する斗争の当面の一環をただしくつかめない結果になる。
 一例をあげよう。1928年に3・15事件がおこるまで、天皇制についての批判や攻撃は合法的には絶対に不可能であった。そして天皇制は自己を神聖化するために、古事記や日本書紀の記事をもちだしてきた。宮廷行事もこれにもとずくところが多かった。
 これにたいして、共産主義者のなかにはあれは迷信だ、ただ破砕すればたりると内心かんがえていただけのものがあった。それゆえ、天皇制をまもるためにできた治安維持法でつかまると、小ブルジョア的動揺とおくれた労働者の無関心とがかれらをぐらつかせ、もしも唯物史観が真理なら、皇統が古代から現代まで連綿とつずくはずはないのに、じつはつずいているのはなぜか、唯物史観は日本にはあてはまらないというかんがえかたにおちこんでゆく。そして「信仰告白」めいた「転向手記」をかいたのである。
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2009/05/27(水)     6
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 マルクスはヘーゲル法律哲学批判序論のはじめにかいている。
 「ドイツにとって宗教の批判は本質上おわっている、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提である」。
 日本では明治維新のとき、廃仏毀釈運動が国家によっておこなわれた。だがこれはきわめて不徹底な宗教批判でしかなかった。徳川幕府の封建的土地支配制の国家宗教であった儒教が、明治の多分に絶対主義的な天皇制の宗教となった神道によって、国家宗教の地位をとってかわられただけのことであった。人民はなんらこの運動に参加しなかった。
 ヨーロッパでは帝王はその主権を神からうけたのであるが、日本では天皇は神の直系の子孫として、神権をうけついできたことになっている。明治以来の日本が国家的発展をつずけるにつれて、国家神道は一切の批判や分析を超越した天皇を世界征服綱領を実現する現人神にまでたかめた。
 だから日本では一切の批判の前提となる宗教批判は最近まで合法的におこなうことができず、また非合法的にもけっしてなしとげられたとはいえなかった。つまり徹底的な宗教批判がおわっていなかった。

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