パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

学校に言論の自由を!!上告棄却抗議集会から

2015年05月21日 | 暴走する都教委
 ◆ 最高裁判所 上告棄却 「無念」
2015年 4月27日
元三鷹高校校長 土肥信雄

 (1)最高裁判所、違憲審査権放棄は許せない。
 2月19日、最高裁の上告棄却を知った時、「無念」の一言でした。そして最高裁判所の決定通知の上告棄却理由を見てあ然としたのです。(2月17日付)
 最高裁はずるい、卑怯だ、憲法判断をしないで逃げたのです。「本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するもの・・・・」。最高裁に与えられた違憲審査権の放棄であり、絶対に許せません。民主主義の根幹である三権分立は完全に崩壊し、権力の癒着による独裁がますます進行します。(現在の安倍政権を見れば明らかです)
 憲法第21条には言論の自由が保障されています。私が実際に「言論の自由」を侵害されたからこそ裁判に訴えたのです。私の素直な思いです。
 私が最初に言論を弾圧されたのは、棋士の米長氏(当時教育委員)批判を密告されて東京都教育委員会(都教委)から指導を受けた時です。「これ以上発言すると大変なことになる」都教委のこの言葉は言論弾圧そのものです。私が何故米長氏を批判したかと言えば、園遊会で天皇から「やはり、国旗。国歌については強制になるということではないことが望ましい」と諌められたにもかかわらず、教育現場に対して国旗・国歌の強制をますます強めたからです。つまり、もし生徒が起立しない場合は、担任の教員の調査をしろという指導がなされたのです。
 非常勤教員不合格問題も言論弾圧としか考えられません。一審で都教委は私が不合格になった理由として私の業績評価を証拠として出してきました。それを見て私は強い憤りを覚えました。採用選考の重要な資料である私の業績評価が、最低のオール「C」で受験者790番中最下位の790番。何故わかったかというと、裁判の中で、弁護士が都教委側の証人に「オールCは何人いましたかと」質問したところ、「オールCは土肥先生一人です」とこたえたのです。初めから不合格にするための業績評価でした。
 私は生徒から卒業証書と卒業生全員の色紙をもらいました。都教委の職員が学校訪問に来た時は「土肥先生、生徒の名前をほとんど覚えているのはすごいですね」と私の教育実践を高く評価してくれました。しかも私は規則に違反することは何もやっていません。職員会議における挙手・採決の禁止通知後は、職員会議で挙手採決はしませんでした。教員の業績評価も、実施要領通り行いました。卒業式で職務命令も出しました。なのにオール「C」、信じられません。しかも理由書には私が都教委に対して意見を言ったことだけが書かれていたのです。
 意見を言うことはいけないのでしょうか。意見をいうことが言論の自由ではないのでしょうか。最高裁が言う「違憲をいうが、その実質は、事実誤認であり又は単なる法令違反」でないことは明らかです。
 (2)嘘をつく者が勝ち、正直者が敗けていいのか。
 2008年8月私は支援者とともに吉峯弁護士事務所を訪れました。米長氏密告問題、卒業式における個別的職務命令書問題等様々な問題について都教委は私の言動に対して弾圧を加えてきました。もちろん私だけでなく教育現場に命令による教育を強制してきたのです(10.23通達:国旗国歌職務命令等)。もし教員に言論の自由が無くなれば、当然教育の主体である子どもの言論の自由が無くなることは必然です。そのことは戦前の歴史が証明しているように国家の崩壊にもつながります。「あの時言っておけば」と後悔したくなかったのと、再び戦争への道だけは歩みたくないと思い、退職後提訴し、都教委の実態を明らかにしようと決心していたのです。
 吉峯弁護士も全面的な支援を約束してくださいました。2009年1月、私は非常勤教員採用選考に不合格となりました。この不合格を機に提訴への気持が一気に高まり、「不合格問題だけを提訴するのではなく、これまでの都教委の違法な行為すべて項目で争ったらどうだ」との話が吉峯弁護士からありました。私は即座に「全ての項目で争いたい」と答えました。なぜなら私が裁判に訴える第一の理由は、公開討論を拒否してきた都教委と、裁判という公開の場で事実に基づいて争うこと。第二は、私の非常勤教員不合格よりも、都教委の教育行政における暴挙を糾弾することが重要だったからです。
 提訴の内容は「非常勤教員不合格」「職員会議における挙手・採決の禁止」「米長氏密告事件」「個別的職務命令発出問題」等8項目になりました。第一審が始まって驚いたことに、8項目の全てにわたり、私の主張と都教委の主張がことごとく違っていました。もちろんそれぞれの事象に対する意見の対立は当然だと思いますが、その基礎となる事実も違っていたのです。「事実は一つ」です。事実に基づいてお互いが意見を出し、裁判官に公正に判断してもらうのが裁判だと思っていました。
 ①職員会議における挙手・採決の禁止
 職員会議における挙手・採決の禁止通知を出した理由として都教委は、「校長は日々の教職員とのコミュニケーションで教職員の意見を把握できるはず。だから職員会議で教職員の意向を聞く必要はない。その職務を放棄している土肥は校長の資格なし」と主張したのです。それに対し「都教委の主張は全くでたらめ。今まで12人の校長の中で土肥校長はコミュニケーションを取るのはぴか一でした」と三鷹の教員が証言してくれました。日々のコミュニケーションだけで、教職員の意見を把握している校長は存在するのでしょうか。そのような事実がないことは、教育現場の事を知っている人なら常識です。また私に校長の資格がないなら、なぜその時に罷免しなかったのでしょうか。私が禁止通知に異論を唱えたのは2007年10月の校長連絡協議会の場だったのです。2009年3月に退職しましたから、何と1年半の間、無資格の土肥を校長にしておいたのは都教委の職務怠慢としか言いようがありません。
 ②米長氏密告事件
 米長氏を批判したということで、私は3回指導されました。1回目「これ以上発言すると大変なことになる」2回目「米長氏が三鷹高校に行きたいと言っている」3回目「近々に米長氏が三鷹高校に行く」。都教委は、指導は2回しかやっていないと主張しましたが、先程講演して下さったジャーナリストの池添さん本人が記録を残しており明確に指導は3回、その日付も証言してくれました。都教委は私に対する指導内容について、米長氏の三鷹訪問問題には全く言及しておらず、この事実はなかったことにしたいという意図が、2回という嘘の主張になったのだと思います。
 ③個別的職務命令(文書)の発出について
 都教委は卒業式等においての職務命令を、口頭による包括的職務命令と文書による個別的職務命令の両方を発出するよう強く指導してきました。私は口頭による職務命令だけでも法的には有効であると知っていましたので、教職員を二重に強制する個別的職務命令は必要ないと思っていました。三鷹高校定時制においては、口頭による包括的職務命令のみを発出し、都教委の指導した通りの卒業式を行ったのです。
ところが都教委は「定時制でも土肥は個別的職務命令も発出した」と事実と違う主張したのです。テレビ朝日で放映した「ドキュメンタリー宣言」のビデオでも、口頭の職務命令だけで文書の発出はありませんでした。実際に定時制の教員が「口頭」だけだったと証言してくれたのです。
 ④私の業績評価
 卒業生から卒業証書と色紙をもらい、教え子から125通もの陳述書をもらった私の業績評価がオール「C」で、非常勤教員採用試験受験者790人中790番は理解できません。明らかに公正評価義務違反であり事実と違います。
 ⑤定時制研究発表者交代問題
 定時制研究発表会の発表者交代問題も都教委は明らかな嘘をつきました。都教委は「発表会は若手の発表会であり、該当者は年配過ぎたので交代させた」と主張しました。しかし該当年度と次の年度で、50代が5人、40代が6人いました。これが若手の発表会と言えますか?その発表者がジェンダーの論文を発表していたから交代させたのです。石原さんも米長さんもジェンダー問題は大嫌いだったからです。
 この他の項目についても、最高裁の言う「事実誤認」ではなく、全て「事実」が違っていたのです。ありません。裁判官は、私の主張する事実の多くを最終的には認めましたので、都教委が「嘘」をついていることもわかっていたと思います。私は最初から「行政裁判」で勝訴するのは難しいと思っていました。しかし、嘘をつく者が勝って、正直者が敗けることは社会的常識ではあり得ないことです。都教委が多くの嘘を主張していることが明白になり、勝訴もあり得ると思いました。しかし結果は全面敗訴。
 都教委は生徒たちに「嘘をつくな」と指導しているのではありませんか。
 裁判長は嘘と知りながら都教委を勝訴させたのです。裁判長の良心はどこにあるのでしょうか。
 (3)裁判官交代の謎
 2009年6月4日私は東京地裁に提訴しました。裁判長は青野洋二氏。驚いたことに、世田谷で小学校の教員をしていた大嶽氏が、業績評価の問題で訴訟をしている裁判長と同じで、弁護士も私の担当弁護士と同じ吉峯総合法律事務所の高橋弁護士でした。行政裁判なので、大嶽氏の勝訴は難しいと思われていましたが、2010年5月13日、青野裁判長は都教委の公正評価義務違反を認め、大嶽氏の全面勝訴となったのです。その時大嶽氏とともに私も喜びました。少なくとも非常勤教員不合格の項目については、公正評価義務違反で勝訴できることを確信したからです。進行協議においての青野裁判長の態度も、私の印象では、好意的でした。
 しかし結審する寸前、突然裁判長が交代したのです。なぜこの時期に裁判長が交代するのかと思わざるを得ませんでした。そして何より許せなかったのが、(延びた)結審の時の交代した古久保正人裁判長の態度でした。結審の時が判決文を書く裁判長と最初で最後の顔を合わせる場です。今まで私の事を知らない裁判長が判決文を書くのですから、私は私自身の人間性や誠意を示そうと思い、古久保裁判長の顔だけ見て陳述しました。この時の裁判を傍聴した人は知っていると思いますが、何と古久保裁判長は、私が陳述している間、ほとんど私の顔を見ることはありませんでした。この時の怒り、悔しさを忘れることは出来ません。
 裁判官は「良心に従い」と憲法に明記されています。良心のある裁判官なら、人の一生を左右する判決文を書くにあたって、たとえ判決が陳述者の意に反しても、どのような人間であるかを知ろうと努力するのが当然だと思います。この時、判決内容を予感しました。案の定、不当判決、全面敗訴でした。
 この交代は権力による何らかの圧力があったと思わざるを得ません。少なくとも結審の時の裁判長の交代はあってはならないと思います。
 (4)裁判での喜び。支援者の皆さんありがとうございました。
 2008年5月2日、毎日新聞とTBSに私は都教委の言論弾圧の事実を社会に訴えたのです。子どもの権利条約第3条にある子どもの最善の利益は平和であり、戦争は子どもにとって最悪です。この平和を守るためにも日本を戦争のできる国にしてはなりません。第二次世界大戦を引き起こし、日本の崩壊を招いた大きな原因の一つが戦前の言論弾圧による洗脳教育です。これからの日本が戦前の道を歩まないように、また私自身が「あの時言えばよかった」という後悔をしないためにも行動を起こしました。ただ私は校長の立場であり、出来れば多くの校長も私とともに行動を起こして欲しいと思いましたが、残念なことに誰一人いませんでした。それでも私の宝物である生徒がくれた卒業証書と生徒全員からの色紙があったからこそ、私は一人でも都教委と闘う決心ができたのです。
 2008年9月27日武蔵野公会堂(吉祥寺)。私の最初の支援集会が開かれました。驚くことに定員(350名)の2倍ほどの支援者が集まり、多くの人が会場に入れない状況でした。杉並公会堂で行った2回目の集会でも1000人近い参加者がありました。私はこの時、一人で闘っているのではないことを実感しました。
 裁判が始まると、教えた生徒、保護者が中心となって「土肥元校長の裁判を支援する会」を立ち上げ、事務局長には小川高校で教えた生徒である若い高本君がなってくれたのです。事務局長が教えた生徒であることは、私にとって最高の喜びでした。集会の企画、資金の調達、署名集め、口頭弁論の時の傍聴者の整理等々、すべてをこの「支援する会」が行ってくれたおかげで私は裁判を闘えたのです。また吉峯弁護士事務所が無報酬(実費のみ)に近い形で弁護して下さったことが、経済的負担を軽くし、最後まで闘うことができたのだと思います。
 口頭弁論も一審(東京地裁)、二審(東京高裁)合わせて29回ありましたが、東日本大震災直後を除いて、傍聴席は常に満席となり、法廷の中に入れない人も大勢いました。支援して下さる熱意を感じることができました。
 講演会は北海道から沖縄まで100か所を越え、支援の輪は全国的に広がり、多くの人と話し合うことができたのは私にとってとても貴重な体験でした。特に福岡と京都では教え子が集会に参加してくれ、とても嬉しく思いました。
 一審の時、高橋弁護士(担当弁護士)から「土肥先生は生徒や保護者からから信頼が厚いので、陳述書を書いてもらえませんか」と依頼を受け、教え子や保護者の方に陳述書をお願いしたのです。すると短期間のうちに125通もの陳述書が集まり、嬉しい限りでした。陳述書には私がすっかり忘れていたことも書いてあり、教員の言動が子どもに達に大きな影響を及ぼしていたことを再確認できました。
 最高裁では口頭弁論がなかったため、支援の会として要請行動を行うことを決め、その時に署名を手渡すことになりました。その署名を全国の皆さんに依頼したところ、驚くことに、11,655筆も集まりました。にもかかわらず「上告棄却」、署名をして下さった皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。また皆さんから多くのカンパが集まり、それによって裁判費用を賄うことができました。皆さんに大変感謝しています。
 裁判をしたおかげで、上記のような大きな喜びや嬉しさを感じることができました。また最初にも言いましたが「あの時言っておけば」という後悔をすることはなくなりました。
 2009年6月4日に東京地裁に提訴して約5年8ヶ月。長きにわたるご支援、本当にありがとうございました。
 (5)最後に
 裁判の結果は「無念」の一言です。しかし今立ち止まっている場合ではありません。安倍政権は秘密保護法、集団的自衛権、海外での武器使用、憲法改正等々、戦争のできる国を通り越して戦争をする国にまい進しています。これを阻止しなければなりません。現在、私には可愛い孫が2人います。その孫たちが殺されることも、人を殺すことも、私は絶対に「いや」です。
 これからも私のポリシーである基本的人権の尊重、平和主義をつらぬいて、皆さんとともに、基本的人権が尊重される平和な日本を守り続けるために闘っていきたいと思います。
『土肥元校長の裁判を支援する会 - 学校に言論の自由を!!』
http://www.dohi-shien.com/html/
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