◆ 『労働者』の夢 (東京新聞【本音のコラム】)
四十七年間、一人で発行され続けてきた個人誌『労働者』が送られてきた。最終号という。
「第一部の出発点で、鎌田さんが『労働情報』創刊号に熱い期待と激励のお言葉を載せて下さったのです。その時予定は七〇〇〇枚でしたが、一四、○○○枚に…」
扉の前に挟まれた畑中康雄さんの手書きの手紙を読んで、私は思わず「あああ」と声をあげた。一万四千枚!炭鉱労働者の記録を残そう、という執念が書かせてきたのだ。
畑中さんは北海道歌志内市の土木労働者から出発して、芦別の三井炭鉱で掘進夫として働き、閉山になって東京に出てきて自動車工場で働いていた。ある雑誌で自動車工場の労働状態について対談し、知り合った。
石炭はいま地球温暖化の元凶とされ、批判の的だが、地底で働いていた膨大な人々の生き死にがさっぱり忘れ去られている。
「ぼくは炭鉱の遺産で、何が一番重要であり必要であるかと問われれば、ためらうことなく、労働者の闘いである、と答える。さらに言えば、労働組合に指導されたものではなく、労働者の独創的な、会議を前提とした自主的な闘いである。炭鉱労働者はまだ萌芽の段階とはいえ、それを確実に残した。これを丁寧に記録し、後世に残すこと。これがぼくが到達した炭鉱の遺産である」
ひとりの炭鉱労働者の遺言と言うべきか。
『東京新聞』(2019年4月30日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
四十七年間、一人で発行され続けてきた個人誌『労働者』が送られてきた。最終号という。
「第一部の出発点で、鎌田さんが『労働情報』創刊号に熱い期待と激励のお言葉を載せて下さったのです。その時予定は七〇〇〇枚でしたが、一四、○○○枚に…」
扉の前に挟まれた畑中康雄さんの手書きの手紙を読んで、私は思わず「あああ」と声をあげた。一万四千枚!炭鉱労働者の記録を残そう、という執念が書かせてきたのだ。
畑中さんは北海道歌志内市の土木労働者から出発して、芦別の三井炭鉱で掘進夫として働き、閉山になって東京に出てきて自動車工場で働いていた。ある雑誌で自動車工場の労働状態について対談し、知り合った。
石炭はいま地球温暖化の元凶とされ、批判の的だが、地底で働いていた膨大な人々の生き死にがさっぱり忘れ去られている。
「ぼくは炭鉱の遺産で、何が一番重要であり必要であるかと問われれば、ためらうことなく、労働者の闘いである、と答える。さらに言えば、労働組合に指導されたものではなく、労働者の独創的な、会議を前提とした自主的な闘いである。炭鉱労働者はまだ萌芽の段階とはいえ、それを確実に残した。これを丁寧に記録し、後世に残すこと。これがぼくが到達した炭鉱の遺産である」
ひとりの炭鉱労働者の遺言と言うべきか。
『東京新聞』(2019年4月30日【本音のコラム】)
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