パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

都高教OBと共に粘り強く脱原発運動

2013年04月12日 | フクシマ原発震災
 ★ 「脱原発!棄民を許さない!」ために首相官邸前抗議集会に参加
安藤哲雄(前都高教退職者会幹事)

 1,「棄民」政策ではないか
 退職者会幹事を辞すとき、これからもできるだけ反原発と沖縄の集会に参加しようと思った。
 一つの理由は「2011年4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知しました。この年20ミリシーベルトは、屋外で3.8マイクロシーベルト/時に相当すると政府は示しています。」を読んだからだ。
 この3.8マイクロシーベルト/時は、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線量である。
 3.11福島第一原発事故が起きても政府は「原発安全神話」を反省するどころか、危険だと受け取られる情報は隠し、人命を犠牲にしてでも原発事故は大したことではなかったとする態度を鮮明にした。
 20ミリシーベルト撤回公開要請行動が文科省を包囲して行われ、当時の与党民主党の議員も、都高教の現役も参加した。
 「クラブ活動が再開されて、息子はラグビーで土まみれになっています。即刻年20ミリシーベルトを撤回してください」「文科省が安全だと言ってるからと、行事の田植えを強行しようとしています。止めさせてください」など福島の女性の発言は胸を打った。
 しかし結局、政府は「津波以前に原発は地震で壊れていたのではないか」などの、原発事故発生原因も明らかにしないまま、2012年7月大飯原発を再起動させ、原発ゼロを2カ月で終わらせた。
 また、一般人の年間許容被曝量を子どもも含め1ミリシーベルトから20ミリシーベルトと20倍に引き上げ、現在もそれを避難基準としている。
 チェルノブイリでの移住の義務ゾーンに相当するエリア(年間推定外部被曝量5ミリシーベルト)に伊達、福島、二本松、本宮、郡山、須賀川といった人口密集地帯が入る。これは国家の裏切り「棄民」政策ではないのか。
 「こどもを守れ!」が脱原発運動の柱の一つになった。今年2月末、新宿アルタ前で福島の子どもの集団疎開を求める裁判の決起集会が開かれ、新宿の繁華街をデモ行進した。
 2,脱原発運動の一つのシンボル
 私は2012年6月から「首相官邸前抗議」に参加している。いつも都高教OBがいる。
 18時から大ボリュームのスピーカーでドラムの伴奏付きのシュプレヒコールで始まる。参加者も様々なブラカードを掲げ、鳴り物で音声を高める。私も木製の打楽器を敲く。「原発反対!再稼働反対!大飯を止めろ!サッサと止めろ!子どもを守れ!・・・」。
 シュプレヒコールを20分続け、そのあと官邸に向けての抗議発言に入る。「一人1分、抗議に限る」は、原則に過ぎない。様々の国の「脱原発」運動者が連帯の挨拶をし、多くの国会議員が発言した。北海道から沖縄まで全国からの参加者の発言があった。
 街頭に「原子力正しい理解で豊かなくらし」を掲げていた双葉町からの参加者の発言「原発は安全と信じていましたが、3・11後間違っていたことを知りました。だからいまここに参加しています」は忘れられない。
 抗議行動はシュプレヒコール・抗議発言のセットを4回繰り返して20時解散となる。
 一時より参加者は減っている。学校帰りの高校生や勤務帰りのネクタイ・鞄の人たちが少なくなった。
 そして昨年は私ですらインタビューを3度受けた(1度は放映された)ぐらいに多かったマスコミのインタビューも少なくなった。
 毎週金曜の首相官邸前抗議行動に呼応して、現在全国で100以上の金曜アクションが開催されていると言う。私はこの1月に山形市に行った。1週間、2つの全国紙と1つの地方紙に全く原発についての記事はなかった。だが、山形市の知人が冬は寒いので月1回だけど金曜脱原発デモをしていると言い、小出裕章さんのパンフレットを100部前金で買ってくれた。
 3,脱原発は世界の運動
 「官邸前」を主催している首都圏反原発連合は、3・11の2周年を迎えて、特別バージョンとして日比谷野音・永田町霞ヶ関一帯で「0310原発ゼロ☆大行進」実施を呼びかけた。
 3月9日(土)の「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」(主催:さようなら原発一千万署名)と連チャンの展開だ。九州・大阪・名古屋などでも抗議集会を開く全国同時大アクションだ。(フランスをはじめ世界の各地でも連帯して抗議集会が開かれた。)
 9日の明治公園の「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」は前回よりは減ったものの1万5千名が参加、労組の旗が多かった。
 都高教の旗の下にOBも沢山集まった。義務制や近隣の県退職者会の方と旧交を温め、都高教退職者会幹事と、福島だけでなく広い範囲に高汚染地域が存在すること、キノコの放射線量や高齢者も既に核実験で沢山体内に貯まっていて限界を超える危険性もあるなどと語り合って代々木公園までデモをした。
 10日の日比谷野音は超満員。周囲は人で埋まった。約4万人(主催者発表)。「福島を忘れるな!」「原発はいらなーい!」「再稼働はんたーい!」などと叫び笛や太鼓をならしながら官庁街をデモし、国会請願をした。何人かの都高教OBにも会った。
 大きな集会ではいろんな人がアピールをして忘れたことも思い出させてくれる。原発は停止していても危険なのだ。電気と水がいかなければ福島と同じことが起きる可能性は大きい。一刻も早く廃炉!
 4,闘い続けたい
 マスコミは立つ位置によって報道内容は違ってくる。
 教育基本法改悪・憲法改正手続法の時も関連報道は少なかった。昨年末、衆議院選挙に入ると、原発問題や脱原発政党についての報道を極端に少なくして、「政権選択選挙」と限定して、『民主党、自民党の「二大政党」と、維新の会を中心とする「第三極」』に関する報道で選挙民を圧倒して、選挙への関心を「どの政党が勝つか」へ誘導した。自民党の原発問題非争点化を後押しして、改憲政権を目指す政権を誕生させたのだ。
 自民党は原発を推進し「安全神話」を流布して事故を招いた責任を全く取ろうとしていない。そして自公政権は民主党の「原発ゼロ」政策を「無責任」と呼んで見直しを決め、再稼働、新設まで容認する姿勢を明らかにした。
 古代ローマの元老院議員カトーが言ったように、「小盗は獄につながれ枷をかけられるが、公盗は黄金や絹をまとって歩く」のである。日本の現状はまさにこれだ。
 だから「生業を返せ、地域を返せ!」と原発事故発生2年目の3月11日、故郷を追われて避難生活を送る住民や、放射性物質に汚染された地域での生活を余儀なくされている住民ら1700人弱が、国や東京電力を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。(がんばれ!)
 私は今後も衰えがきている足腰を鍛えながら、脱原発の集会・デモに参加し続けたい。
『都高退教ニュース NO.82』(2013/4/1)

コメント    この記事についてブログを書く
« 都退教 4.20脱原発学習会 | トップ | 新聞奨学生の息子が突然行方... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

フクシマ原発震災」カテゴリの最新記事