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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

都立高の生徒だった先生だから分かる都立高校様変わり

2017年02月20日 | 暴走する都教委
  《シリーズ「今、学校現場では」》
 ◆ 教員になってみて分かった学校の変質


 〈学校は利潤追求の「経営体」なのか?〉

 私が都立高校の生徒だった頃、先生方は、みんな「教諭」でした(教員ってみんな平等ですよね?)。
 校長の副(副校長)はいなくて、教員の頭(教頭〉がいました。
 管理職の先生たちは「授業を観察」しに来ませんでしたし(授業って大人に見せるものなのでしょうか?)、
 玄関には事務室があって、「経営企画室」なんていう部屋はありませんでした(学校って経営=利潤追求するところなのでしょうか?)。
 あと、学校経営支援センターなどという所もなかったように思います(経営の支援をして、教育の支援はしてくれないのでしょうか?)。
 私たちが生徒だった時、生徒は、教科の準備室に、時には事務室にも遊びに行きました。
 みんなで楽しく、時には厳しく話をしながら、その中で「たしかなこと」を見つけていくことができました。
 「パソコンに向かっている人」なんて誰一人としていませんでしたし、「大職員室」なんていう部屋には誰もいませんでした。
 「組合員の先生方はご参集ください」なんていう、校内放送が流れていたこともありました。
 〈口うるさい校則などもない学校であった〉

 「口うるさい」校則など論外で、全くありませんでした。
 標準服・私服・茶髪・金髪・ピアス等のアクセサリーなど、誰もがみんな、(都教委が好きな言葉の)「自己実現」をすることができました。
 アルバイトも自由にできましたし、試験が終われば、「試験休み」がありました(先生方は採点と成績処理、ゆとりを持ってできていたのですね!)。
 「1」がつきそうな生徒は呼び出されました。でも、3学期に「1」がついてしまうような生徒は一人もいませんでした。
 どの先生方も「1をつけない教員」であったのです。
 また、「イタズラ」をして「退学」にされる者などもいませんでした(今の都立高校ですと、私は3回くらい退学になってしまっていたと思います…苦笑)。
 ですから基本的には、めでたく「全員進級」でした。
 そして、卒業式
 もちろん、「『日の丸・君が代』の強制」は一切無い、涙あふれる卒業式でした(私は国旗・国歌に賛成、祝日(旗日)に国旗を掲揚していますので、きちんと歌っていました!)。
 こんな感じで、「今の都立高校は、私が生徒だった頃の学校とは全然違うのだなあ」と日々実感しながら、毎日都立高校の教員をやっています!(都高教組合員・青年部)
『いまこそ No.12』(2017年2月10日)

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