▼ 速報 : 治療の過酷さ、奪われた人生、原告女性が「17分間の陳述」
5月26日午後、東電に対して被害補償を求める第一回「311子ども甲状腺がん」の裁判があった。東京地裁には27席の傍聴席に対して、200人を超える人たちが集まった。
裁判の内容が報告集会で明らかにされた。「きょうの法廷は原告女性Aさんの17分間の証言につきる」と弁護団。「生々しい証言に法廷ではすすり泣きが聞こえた。それを聞いた裁判官もそれまで当事者の声を聞くことに消極的だったが、今後も検討すると態度が変わった」と。
報告会場では、まったく同じ「17分間の陳述」音声が流された。練習のために前日に収録したものだった。そこでAさんは、3.11のこと、甲状腺がんの告知、このままでは23歳で死ぬといわれたこと、手術したが治らなかったこと、転移していること、過酷なアイソトープの治療、普通の大学生活が送れなかった悔しさを、たんたんと語った。
静まりかえった会場に流れる音声は人々の心をえぐり、会場は、涙、涙、涙になった。放射能をばらまいて若者の人生を奪った東電への怒りが広がったのはいうまでもない。(M)
『レイバーネット日本』(2022-05-28)
http://www.labornetjp.org/news/2022/0526sokuho
*詳報はこちら ↓
▼ 全実存をかけて訴えた原告女性Aさん
~「甲状腺がん」裁判の流れを変える
「原発事故との因果関係を認めてほしい」。福島の6人の若者が原告となった「311子ども甲状腺がん裁判」が、5月26日、東京地裁で行われた。健康被害をめぐって、若者たちが声をあげたこの裁判の重要性は計り知れない。
人生のもっとも多感な時期にがんになった若者たち。「なぜ自分が」と思うのは当然のことだ。しかし原発事故との関連を口にすることは「風評」とされ、復興しているはずの福島に水をさす「加害者」だと言われてきた。若者から考えることを奪い、苦しみを封印するべく邁進した国と福島県。そして責任を認めない東京電力に、風穴を開ける裁判が始まったのだ。
103号法廷はわずか27席。それでも、勇気を出した若者たちを護ろうと、200人を超える人々が地裁に駆けつけた。
裁判が始まる午後2時、傍聴できなかった人たちのために、日比谷コンベンションホールで支援集会が準備されていた。
ウクライナ出身の歌手・カテリーナさんが、バンドーラを奏でながらチェルノブイリのことを歌った。原発から2・5キロの町で生まれたカテリーナさんは、事故のあとキエフの仮設住宅に避難した。小学校では「放射能がうつる」「夜中に光る」と言われ、いじめられたという。原発事故で一番傷つくのは子どもたちだ。チェルノブイリもフクシマも、変わらない。
報告集会は予定時間を30分以上遅れて始まった。裁判が長引いたためだ。
「今回の裁判のハイライトは、何といっても原告Aさんの意見陳述だった」と弁護団は口々に語った。
被告側(東京電力)弁護人は「因果関係を証明するためには、科学的客観的なものでなければならない。被害者の証言は不要だ」と主張したという。裁判官も一回目の意見陳述は認めたものの、2回目以降の意見陳述には積極的ではなかったようだ。
それを見越していた弁護団は、あくまでも被害者の声にこだわった。17分にわたるAさんの陳述が、裁判の流れを変えた。
会場内に、Aさんの声が流れた。傍聴できない人たちのためにと弁護団が計らい、前日Aさんが陳述書を録音したものだった。
中学校の卒業式の日に起きた震災と原発事故。
高校の合格発表に歩いて出かけた日、線量が高かったことを知らなかったこと。
県民健康調査で医師の顔が曇ったようにみえたこと。
精密検査で、首に長い鍼をさされた恐怖。
手術しなければ23歳までしか生きられないと言われたこと。
手術をうけたが、手術後の方が大変だったこと。
2回手術したのに治らず、肺へ転移したことがわかったこと。
つらく屈辱的な治療に耐えたのに、がんは消えなかった。
「大学を卒業し、得意分野で就職して働いてみたかった。叶わぬ夢になったが諦めきれない」
・・・Aさんの声はとても可愛らしく、淡々としていた。でも、法廷では、終始泣きながら陳述していたことを後で知り、愕然とする。
Aさんの証言の中でもっとも衝撃的だったのは、肺に転移した病巣を治療するためのアイソトープ治療のことだった。
高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被ばくさせる治療だ。
福島県立医大はアイソトープ治療病棟が拡充していると聞いたことがあるが、どんなものかまったく知らなかった。
いくつもの扉で隔てられた治療室。
そこは病院なのに危険区域だった。
限られたものしか入れられず、一度中に入れたものは外に持ち出せない。
医師は薬を手渡すと、即座に病室を出ていった。
薬を服用したAさんが、部屋の中にある放射能測定機に近づくと、ものすごく数値が上がり、離れると下がる。
Aさんは自分という存在が、まわりの人を被ばくさせてしまうと悟った。
吐き気に襲われナースコールを押しても、看護師は来てくれない。
それでも、Aさんは医療者を責めることはなかった。
「医師も被ばく覚悟で検診してくれると思うと、とても申し訳ない。私のせいで誰かを犠牲にできない」と彼女が言うのを聞いて、私は言葉を失った。
これまでに何人もの人が「元の暮らしに戻りたい。でも戻れない」と訴えるのを聞いてきた。しかし、Aさんが「もとの体に戻りたい。どんなに願ってももう戻ることはできません」という言葉で陳述を終えた時、やるせなさで一杯になった。
大手メディアは福島の受けた被害から、健康被害をことごとく排除し、伝えようとしてこなかった。
小児甲状腺がんの裁判のことを唯一取り上げたのは、ТBS『報道特集』だったが、ものすごいバッシングを受けたそうだ。
こんな社会でいいのだろうか。「甲状腺がんなんて、大したことない」と言う人がいる。Aさんは全実存をかけて、こうしたことに抗った。
法廷で陳述を聞いた裁判官、被告側はどうだったのか。
裁判官は頷きながらAさんの訴えを聞き、「意見陳述は一回目はいいが2回目以降はだめだ」と言っていた被告側の弁護士も「裁判所の判断に委ねる」と言わざるを得なかった。
心を動かされたことに、誠実であってほしいと願う。6人の原告すべての声を、法廷で聞かせたいと弁護団は決意を語った。最後までこの裁判を見守っていきたいと思う。
『レイバーネット日本』(2022-05-28)
http://www.labornetjp.org/news/2022/0526hori
※ 【子ども甲状腺がん裁判】原告の意見陳述(録音 16:55)
報告集会で流れた原告の意見陳述(前日に練習した時に録音したもの)
『OurPlanet-TV』 https://youtu.be/cwvvJAH_h3E
5月26日午後、東電に対して被害補償を求める第一回「311子ども甲状腺がん」の裁判があった。東京地裁には27席の傍聴席に対して、200人を超える人たちが集まった。
裁判の内容が報告集会で明らかにされた。「きょうの法廷は原告女性Aさんの17分間の証言につきる」と弁護団。「生々しい証言に法廷ではすすり泣きが聞こえた。それを聞いた裁判官もそれまで当事者の声を聞くことに消極的だったが、今後も検討すると態度が変わった」と。
報告会場では、まったく同じ「17分間の陳述」音声が流された。練習のために前日に収録したものだった。そこでAさんは、3.11のこと、甲状腺がんの告知、このままでは23歳で死ぬといわれたこと、手術したが治らなかったこと、転移していること、過酷なアイソトープの治療、普通の大学生活が送れなかった悔しさを、たんたんと語った。
静まりかえった会場に流れる音声は人々の心をえぐり、会場は、涙、涙、涙になった。放射能をばらまいて若者の人生を奪った東電への怒りが広がったのはいうまでもない。(M)
『レイバーネット日本』(2022-05-28)
http://www.labornetjp.org/news/2022/0526sokuho
*詳報はこちら ↓
▼ 全実存をかけて訴えた原告女性Aさん
~「甲状腺がん」裁判の流れを変える
堀切さとみ
「原発事故との因果関係を認めてほしい」。福島の6人の若者が原告となった「311子ども甲状腺がん裁判」が、5月26日、東京地裁で行われた。健康被害をめぐって、若者たちが声をあげたこの裁判の重要性は計り知れない。
人生のもっとも多感な時期にがんになった若者たち。「なぜ自分が」と思うのは当然のことだ。しかし原発事故との関連を口にすることは「風評」とされ、復興しているはずの福島に水をさす「加害者」だと言われてきた。若者から考えることを奪い、苦しみを封印するべく邁進した国と福島県。そして責任を認めない東京電力に、風穴を開ける裁判が始まったのだ。
103号法廷はわずか27席。それでも、勇気を出した若者たちを護ろうと、200人を超える人々が地裁に駆けつけた。
裁判が始まる午後2時、傍聴できなかった人たちのために、日比谷コンベンションホールで支援集会が準備されていた。
ウクライナ出身の歌手・カテリーナさんが、バンドーラを奏でながらチェルノブイリのことを歌った。原発から2・5キロの町で生まれたカテリーナさんは、事故のあとキエフの仮設住宅に避難した。小学校では「放射能がうつる」「夜中に光る」と言われ、いじめられたという。原発事故で一番傷つくのは子どもたちだ。チェルノブイリもフクシマも、変わらない。
報告集会は予定時間を30分以上遅れて始まった。裁判が長引いたためだ。
「今回の裁判のハイライトは、何といっても原告Aさんの意見陳述だった」と弁護団は口々に語った。
被告側(東京電力)弁護人は「因果関係を証明するためには、科学的客観的なものでなければならない。被害者の証言は不要だ」と主張したという。裁判官も一回目の意見陳述は認めたものの、2回目以降の意見陳述には積極的ではなかったようだ。
それを見越していた弁護団は、あくまでも被害者の声にこだわった。17分にわたるAさんの陳述が、裁判の流れを変えた。
会場内に、Aさんの声が流れた。傍聴できない人たちのためにと弁護団が計らい、前日Aさんが陳述書を録音したものだった。
中学校の卒業式の日に起きた震災と原発事故。
高校の合格発表に歩いて出かけた日、線量が高かったことを知らなかったこと。
県民健康調査で医師の顔が曇ったようにみえたこと。
精密検査で、首に長い鍼をさされた恐怖。
手術しなければ23歳までしか生きられないと言われたこと。
手術をうけたが、手術後の方が大変だったこと。
2回手術したのに治らず、肺へ転移したことがわかったこと。
つらく屈辱的な治療に耐えたのに、がんは消えなかった。
「大学を卒業し、得意分野で就職して働いてみたかった。叶わぬ夢になったが諦めきれない」
・・・Aさんの声はとても可愛らしく、淡々としていた。でも、法廷では、終始泣きながら陳述していたことを後で知り、愕然とする。
Aさんの証言の中でもっとも衝撃的だったのは、肺に転移した病巣を治療するためのアイソトープ治療のことだった。
高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被ばくさせる治療だ。
福島県立医大はアイソトープ治療病棟が拡充していると聞いたことがあるが、どんなものかまったく知らなかった。
いくつもの扉で隔てられた治療室。
そこは病院なのに危険区域だった。
限られたものしか入れられず、一度中に入れたものは外に持ち出せない。
医師は薬を手渡すと、即座に病室を出ていった。
薬を服用したAさんが、部屋の中にある放射能測定機に近づくと、ものすごく数値が上がり、離れると下がる。
Aさんは自分という存在が、まわりの人を被ばくさせてしまうと悟った。
吐き気に襲われナースコールを押しても、看護師は来てくれない。
それでも、Aさんは医療者を責めることはなかった。
「医師も被ばく覚悟で検診してくれると思うと、とても申し訳ない。私のせいで誰かを犠牲にできない」と彼女が言うのを聞いて、私は言葉を失った。
これまでに何人もの人が「元の暮らしに戻りたい。でも戻れない」と訴えるのを聞いてきた。しかし、Aさんが「もとの体に戻りたい。どんなに願ってももう戻ることはできません」という言葉で陳述を終えた時、やるせなさで一杯になった。
大手メディアは福島の受けた被害から、健康被害をことごとく排除し、伝えようとしてこなかった。
小児甲状腺がんの裁判のことを唯一取り上げたのは、ТBS『報道特集』だったが、ものすごいバッシングを受けたそうだ。
こんな社会でいいのだろうか。「甲状腺がんなんて、大したことない」と言う人がいる。Aさんは全実存をかけて、こうしたことに抗った。
法廷で陳述を聞いた裁判官、被告側はどうだったのか。
裁判官は頷きながらAさんの訴えを聞き、「意見陳述は一回目はいいが2回目以降はだめだ」と言っていた被告側の弁護士も「裁判所の判断に委ねる」と言わざるを得なかった。
心を動かされたことに、誠実であってほしいと願う。6人の原告すべての声を、法廷で聞かせたいと弁護団は決意を語った。最後までこの裁判を見守っていきたいと思う。
『レイバーネット日本』(2022-05-28)
http://www.labornetjp.org/news/2022/0526hori
※ 【子ども甲状腺がん裁判】原告の意見陳述(録音 16:55)
報告集会で流れた原告の意見陳述(前日に練習した時に録音したもの)
『OurPlanet-TV』 https://youtu.be/cwvvJAH_h3E
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