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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

澤藤統一郎の憲法日記

2007年04月20日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 君が代処分取消事件・審理の冒頭にあたって
                        澤藤統一郎の憲法日記


 原告ら代理人の澤藤から、審理に当たっての意見を申し上げます。

※ 何よりも、裁判官の皆様に、この訴訟が問いかけている問題の本質をご理解いただき、その重さを受けとめていただきたいのです。そして、それに相応しい訴訟の進行をお願いいたしたい。
 本件は、訴訟の形式としては、173名の原告が被告東京都に対して、違法な懲戒処分の取消を求め、併せて慰謝料を請求するものです。しかし、実質において争われているものは、原告らの個人的利益救済の可否にとどまるものではありません。
真に問われているものは二つ。
 その一つは、教育という社会的文化的営みに国家の介入は許されるのかという問題。
 そして、もう一つは、個人の精神の内面に国家は立ち入ることができるのか、という問題なのです。
 いうまでもなく、その二つとも、日本国憲法の原理的核心をなす重大な課題です。

※ 日本国憲法は、62年前の敗戦を機に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意して」確定されました。戦争の惨禍をもたらした、旧体制を根底から否定して、現行憲法が制定されたのです。今、その歴史を再確認することは極めて重要なことと言わねばなりません。
 大日本帝国憲法から日本国憲法へ。国家と個人の地位は逆転しました。ところが今、その再逆転の試みが進行しつつあります。本件も、そのような文脈で生じたものにほかなりません。

※ 戦前の教育を思い起こしてください。
 天皇を神とし、神である天皇が唱導する聖戦に参加することこそが忠良なる臣民の道徳であると教え込んだのが戦前の教育でした。民族的優越を説き、富国強兵、植民地支配の国家主義政策の正当性を教え込んだのが戦前の教育でした。
 教育は、戦争による加害・被害の惨禍に大きな責任を免れません。その反省が、戦後教育改革となります。教育を国家の僕にしてはならない。教育に国家が介入し、支配してはならない。国家が公定のイデオロギーをもってはならない。ましてや、それを国民に押しつけてはならない。
 あまりに大きな代償を支払って、私たちはこの貴重な原理を手に入れました。
 憲法の条文を上げれば、26条、23条、13条。そして、教育基本法以下の教育法体系です。これで、教育の自由は確立したはず、でした。
 しかし、「10・23通達」はこれを踏みにじったのです。

※ 戦前の精神的自由に対する野蛮な権力介入を思い起こしてください。内村鑑三事件から、治安維持法による政治的弾圧、不敬罪による宗教弾圧、横浜事件に見られごとき言論弾圧、そして特高警察による流言飛語の取締まで。
 大日本帝国憲法は、臣民の精神的自由は国家から与えられたものでしかなく、国家はどのようにでもこれを規制することができたのです。
 歴史的には、思想・良心の自由は、常にその時代の為政者からの弾圧を受け続けました。ようやくにして日本国憲法は、19条で思想良心の自由を掲げ、20条で信教の自由、21条で表現の自由を定めました。これで、国民の権利は確立したはず、でした。
 しかし、「10・23通達」は敢えて原告らの精神の内奥に立ち入り、思想・良心の自由を蹂躙したのです。

※ 「10・23通達」は、これまでは為政者がやろうとしてやれなかった暴挙です。原告らは、教え子の教育を受ける権利を全うするためにも、抵抗せざるを得ないのです。
 教育は憲法に従って行われなければなりません。教育は行政の不当な支配を受けてはなりません。がんじがらめに縛られ、裁量と創意と工夫の余地を奪われての教育があってはならないのです。
 もちろん行政も、憲法に従わざるを得ません。公務員と言えども人権の享有主体として、思想・良心の自由を保障されています。行政がその精神の内奥に立ち入って、その人がその人であるための人格の中枢の領域に触れることは許されません。
 歴史的に天皇制とあまりに緊密に結びついた旗や歌に対して敬意を表明することを強制して、その人の信仰や思想、あるいは教員としての良心を侵害することがあってはならないのです。

※ そして当然のことながら、何よりも司法こそ、憲法に基づいて行われなければなりません。司法とは、憲法の理念を実現するシステムなのですから。
 実は、本件については、事案と争点をまったく同じくし、訴訟の形式だけが異なる提訴が先行しています。いわゆる「「日の丸・君が代」強制予防訴訟」です。
 昨年9月21日、東京地裁民事36部は憲法の番人に相応しい役割を果たす判決を言い渡しました。
 貴裁判所におかれても、事実経過を正確にご認識いただき、日本国憲法の理念の的確な理解と、教育の本質についての深い洞察によって、是非とも、主権者の負託に応えた審理と判決をお願いいたしたい。来年か再来年のある日、この法廷で、きっと貴裁判所から歴史に残る素晴らしい判決の言い渡しを聞かせていただくことができるものと確信していることを付言して陳述を終わります。

2007年04月19日(木)22:41 この記事のURL 日記 澤藤統一郎
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/sawafuji/

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