板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 最高裁に口頭審理を要請中
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
◇ 5/31 欧州人権専門家の『legal opinion』を最高裁へ提出!! ◇
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<8>
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「オジロワシ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
かくして、「F」は、会場から追い出される。
途中、「何で板橋高校の教員を、追い出すんだ!」と「F」が言う。
対して、教頭、「だったんでしょう」
出席していた二年生のクラス4名ほどの列に笑いが起こる。
参加を要請する「F」に対し、
教頭、「もう静かにするのか」と問う。
「F」 「もちろんだよ」と答える。退去に抗議しているのだから。
私は、了解がなったと理解し、来賓席に向かうべく方向を転じた。
校長が立ちふさがるので、「教頭が、許可したよ」と私が言うと、校長はうなづいたのである。
やがて、左に進行した私が右折して来賓席に向かおうとしたところ、ふさがったのが指導主事とその後ろの土屋であった。
土屋、「決めるのは、校長だ!」 「排除せよ」。
来賓の都議・土屋が、来賓の元教員・私を追い出すという場面である。
この遭遇にあわてた校長は、再度、「退去命令」を出す。
こりゃ駄目だ。 すっかり諦めた私は、「みなさん、こんな状態ですよ」と言いつつも会場を後にしたのである。
後日、裁判官は、この発言に振り返った保護者の映像(TBS、報道特集の)一場面をとらえて、保護者が不安を覚えていると断じた。
ようするに、有罪にすべきと判断している検察官・裁判官はあらゆる言動、場面の中から有罪の理由づけに価値あるものを一所懸命探しだすのである。
ゆえに、刑事被告人は「一切黙秘」、これ以外に身を守る方法はない。
「憎くは思っていたが、その時はそんな思いはなかった」と供述したとする。
となると、何が利用されるか。 答えは簡単である。
「憎く思っていた」、この部分だけが引っ剥がされて、起訴状、判決文に「故意」として強調して記されるのである。
つまり、「罪探し」、これが検察官、それに同調する裁判官の最大の仕事となる。
まっこと、嫌な連中である。
有利であると思って出した証拠が、ものの見事に有罪の論拠とされていくのである。
彼らは、その意味だけで有能である。
人を捕まえ、貶め、恫喝しかつ慰撫し、生殺与奪の権を握ってやりたい放題なのが、わが日本の警察・検察であるといって過言ではないであろう。
だから多くの嫌疑をかけられた人びとが、罪を認めていくのだ。
彼らの意図を拒否すれば、保釈はされないうえに、反省の色なしとして一層罪が重くなると言うんじゃ、誰れだって認めた方がましだろうと考えるということである。
日本の市民社会は一見平和のように見えるのは、その底流において「冤罪」の恐怖が横たわっているからである。
「後ろ指を指されるようなことはしてならない」 「目立つな」 「変わったことをするな」 「家の恥」 と様々な禁忌が霧のように人びとを包み込んでいる。
※ 顛末記の過去ログは、
顛末記(7) http://wind.ap.teacup.com/people/4071.html
顛末記(6) http://wind.ap.teacup.com/people/4049.html
顛末記(5) http://wind.ap.teacup.com/people/4030.html
顛末記(4) http://wind.ap.teacup.com/people/4011.html
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
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「オジロワシ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
かくして、「F」は、会場から追い出される。
途中、「何で板橋高校の教員を、追い出すんだ!」と「F」が言う。
対して、教頭、「だったんでしょう」
出席していた二年生のクラス4名ほどの列に笑いが起こる。
参加を要請する「F」に対し、
教頭、「もう静かにするのか」と問う。
「F」 「もちろんだよ」と答える。退去に抗議しているのだから。
私は、了解がなったと理解し、来賓席に向かうべく方向を転じた。
校長が立ちふさがるので、「教頭が、許可したよ」と私が言うと、校長はうなづいたのである。
やがて、左に進行した私が右折して来賓席に向かおうとしたところ、ふさがったのが指導主事とその後ろの土屋であった。
土屋、「決めるのは、校長だ!」 「排除せよ」。
来賓の都議・土屋が、来賓の元教員・私を追い出すという場面である。
この遭遇にあわてた校長は、再度、「退去命令」を出す。
こりゃ駄目だ。 すっかり諦めた私は、「みなさん、こんな状態ですよ」と言いつつも会場を後にしたのである。
後日、裁判官は、この発言に振り返った保護者の映像(TBS、報道特集の)一場面をとらえて、保護者が不安を覚えていると断じた。
ようするに、有罪にすべきと判断している検察官・裁判官はあらゆる言動、場面の中から有罪の理由づけに価値あるものを一所懸命探しだすのである。
ゆえに、刑事被告人は「一切黙秘」、これ以外に身を守る方法はない。
「憎くは思っていたが、その時はそんな思いはなかった」と供述したとする。
となると、何が利用されるか。 答えは簡単である。
「憎く思っていた」、この部分だけが引っ剥がされて、起訴状、判決文に「故意」として強調して記されるのである。
つまり、「罪探し」、これが検察官、それに同調する裁判官の最大の仕事となる。
まっこと、嫌な連中である。
有利であると思って出した証拠が、ものの見事に有罪の論拠とされていくのである。
彼らは、その意味だけで有能である。
人を捕まえ、貶め、恫喝しかつ慰撫し、生殺与奪の権を握ってやりたい放題なのが、わが日本の警察・検察であるといって過言ではないであろう。
だから多くの嫌疑をかけられた人びとが、罪を認めていくのだ。
彼らの意図を拒否すれば、保釈はされないうえに、反省の色なしとして一層罪が重くなると言うんじゃ、誰れだって認めた方がましだろうと考えるということである。
日本の市民社会は一見平和のように見えるのは、その底流において「冤罪」の恐怖が横たわっているからである。
「後ろ指を指されるようなことはしてならない」 「目立つな」 「変わったことをするな」 「家の恥」 と様々な禁忌が霧のように人びとを包み込んでいる。
※ 顛末記の過去ログは、
顛末記(7) http://wind.ap.teacup.com/people/4071.html
顛末記(6) http://wind.ap.teacup.com/people/4049.html
顛末記(5) http://wind.ap.teacup.com/people/4030.html
顛末記(4) http://wind.ap.teacup.com/people/4011.html
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
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