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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

教育行政が学校を壊している

2010年04月20日 | 暴走する都教委
 ◎ 子どもと教職員が共にのびのびと自由に学び、
   教えることができる学校を取り戻すために

東京・教育の自由裁判をすすめる会運営委員会

一、教育行政が学校を壊している

 事態はますます悪化し、陰湿化しています。

(一)「一札入れよ…」
 昨年度、一学年のHR担任として一所懸命に仕事をしてきた教員がいます。彼は不起立で処分を受けたことがあります。二学期半ば、彼は校長から一札入れてくれないと、二学年の担任はさせられない」と言われました。「一札」とは<卒業式・入学式で立って歌う>ということです。
 都立学校の校長は次年度の「人事構想調書」なる文書を十月頃に提出します。経営支援センターという教育庁の出先機関から校長にお尋ねがきます。「この教員は卒業式にきちんと仕事ができるのかね?」つまり、きちんと起立斉唱するよう、校長が指導できるのかね、ということです。
 HR担任であれば生徒を指導する役割で式場に入る可能性が高いから、担任が起立しないなどという<不祥事>は絶対避けなければならない、と支援センターは考えたのです。そして、校長もそのように考えさせられました。
 彼は自分の良心を裏切って「一札入れる」ことなどできませんでした。今年度、彼は二学年の担任団から外されました。事情を知らない生徒たちは驚いたことでしょう。
 不起立で処分を受けた教員をHR担任に充てない校長が増えています。HR担任の仕事は教師としての大きな生きがいです,その生きがいを奪うのは、当の教員をスポイルするだけではありません。まじめで良心的な教員たちを遠ざけられることで、子どもたちにも大きな被害が及んでいます。
(二)「HR担任にふさわしい仕事…」
 今春に卒業学年のHR担任だった教員がいます。彼は不起立で処分を受けたことがあります。
 校長は彼が再度の処分を受けぬよう「国歌斉唱」に際して指定された席で起立する義務から逃れることができる仕事を、職務命令として発しました。校長にも良心の一片を忘れない人はいます。
 しかし、卒業式の朝、経営支援センターから「HR担任にはそれにふさわしい仕事を割り当てよ」という〈指導〉の電話が入りました。
 校長は事前に、役割分担、式進行の詳細、会場図、座席表等を支援センターに提出しなければなりません。それがチェックされたわけです。校長彼への職務命令を書き換えなければなりませんでした。彼は「国歌斉唱」で泰然として起立せず、処分を受けました。
 この話には続きがあります。彼は昨年度に「主任教諭」試験に合格しました。昇任試験の申込みは、養うべき家族、介護すべき親を思っての苫渋の選択でした。しかし、四月一日、彼には昇任辞令が発せられませんでした。合格が取り消されたということでしょう。
 「校長のリーダーシツブ」という謳い文句とはうらはらに、行政当局が学校に直接に介入、干渉するシステムが整ってきています。
(三)「この生徒の家庭環境は?」
 事は教員に関わるだけではありません。
 昨年に行われた卒業式で、ある学校に派遣された都教委幹部が、卒業生の答辞の中に都教委批判と受け取れる部分があったと問題にし、校長に調査を命じるという出来事がありました。
 卒業式担当教員の指導のあり方が問われたのはもちろん、驚くべきことに当該生徒の家庭環境についてまで質す内容だったと言われます。
 「10・23通達」をさらに精緻に仕上げようとする動きが年々強められています。
 教育行政の教育内容に対する不当な支配が一段と進み、その内容が一段と悪質になり、陰湿になっています。
 東京では、教育行政の手による学校破壊が深刻化しているのです。
二、最高裁大法廷で公正な審理を

(一)難波判決からピアノ判決への逆走

 「10・23通達」から六年半が経過しました。この間、懲戒処分を受けた人は427人を数えました。
 「立てない、歌えない、弾けない」「何とか司法に問いたい」という思いから始まった予防訴訟は、2006年9月21日に東京地裁で勝利判決を得ました。
 「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務、そのものが存在しないことを確認するという内容的にも、義務不存在確認というというほとんど前例のない訴訟の形においても画期的な勝利でした。
 しかし、2007年2月27日最高裁第三小法廷は、ビアノ伴奏拒否事件で、職務命令を拒否した音楽教師に対する戒告処分は合憲合法であるとの判決を出し支ました。これ以降、類似事件における下級審は「ピアノ判決」をほとんどそのままなぞるだけです。
 北九州ココロ裁判然り、大阪枚方市事件然り、また、東京の解雇撤回裁判での地裁佐村判決(2007.6.20)・高裁奥田判決(2010.2.23)、嘱託採用拒否撤回裁判での地裁中西判決(2008.2.7)、高裁稲田判決(2010.1.28)も然り。
 起立斉唱伴奏命令が合憲合法であるというにとどまらず、地方教育委員会は学校の教育内容について具体的命令を発することができるという都教委側の主張も認められ、「不当な支配の禁止」はどこへやらという状況です。
 さらに解雇裁判、採用拒否裁判では、行政当局の任用権限を乱暴に拡大し、裁量権乱用の法理をまったく捨て去ってしまいました。
(二)最高裁判決を変更できるのは最高裁
 司法状況は厳しい。しかし、私たちはあきらめるわけにはいきません。どんな小さな条件でも、それを生かしましょう。
 諸裁判は次々に上告され、最高裁に集まりつつあります。北九州、東京・解雇、採用拒否等、神奈川心の自由裁判、さらに遠くない時期に予防訴訟、被処分者の東京「君が代」裁判も。
 最高裁はもはやそれぞれの事件を個別の事例判決としては扱えなくなります。統一的な判断ということで各事件を大法廷へ回付する条件が生まれます。大法廷で慎重に審理を尽くした21世紀の新しい判決、基本的人権を守る判決、教育の自由を守る判決を出せということで注目されます。
 法曹界が注目する、マスメディアが注目する、国民みんなが注目する、そういう状態にもっていかなければなりません。そこに画期的判決を得るチャンスが生まれます。
 (以下略)

『エデュカシオン エ リベルテ』
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース 第19号(2010年4月11日)

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