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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

教育界に自由な討論をよびかける

2011年01月17日 | こども危機
 ☆ 教育界に自由な討論をよびかける ☆
 ―――教師に誇りと勇気を―――

 北海道で選出された小林衆議院議員に北海道教職員組合が献金した事件(政治資金規正法違反事件)の後、これを口実として、北海道教育委員会による教職員組合にたいする異常ともいうべき攻撃が続いている。
 違法な献金事件をもって、教職員の政治的な発言・活動の禁止、教職員組合のあらゆる政治的発言・活動の禁止さらには教職員の自主的な教育編成権までも否定されようとしている。
 そこで私達は冷静に事柄を見つめてみよう。近年、学校教育に政治を押しつけてきたのは誰だったのであろうか
 教師は、生徒と向かい合い、できるだけ多くの時間を生徒と過ごしたい、と念願している。それを阻害し、学校での様々な自主的な行事を軽視し、国旗掲揚・国歌斉唱を強要し、教師と生徒を抑圧してきたのは、誰であったのだろうか。あらためてここで答える必要はないであろう。
 自分で考え、判断できる主体的な人格になって欲しい、と子どもたちに期待してきた教師にとって、問答無用に国旗国歌にかしこまれ、強いものには巻かれよと子どもたちに命ずる事は、自らの職業倫理に反する。
 また、形式的で管理主義的な「させられる教育」に追い込まれた結果、競争と成果主義のなかで「多忙化」が蔓延化し、教師と生徒とが人格的に触れあう機会が剥奪され、他方では教職員の精神障害、うつ状態による休職が急増している(昨年度約5400名の休職)。
 そして、子どもたちの幸福感は減少し、社会への参加意識は希薄化している。

 教師としての職業倫理を守ること、病気になり自殺や休職・早期退職に追い込まれることを防ぐこと、これらは明らかに労働組合の目的である「労働条件の維持改善」の仕事である。
 この労働条件と教育条件の改善のために、教職員が市民的・政治的な権利を行使できることは、ILO151条およびILO・ユネスコ勧告にみられるように、国際的に承認されたものである。
 ましてや学校の労働条件の悪化を防ぎ、改善する活動は労働組合の基本的な活動であり、それは国民の期待を実現する営為であって、組合の単なる利害に収斂するものではなく、それを超えた普遍的なものといえる。
 北海道の教職員組合は、学校に「政治」を侍ち込むことに反対してきた。だから、子どもたちに基礎学力をっけさせ、自主的な人格になることを願っても、子どもたちに特定の政党の論理を押しっけたり、無批判的で従順な精神を涵養したりすることに反対してきた
 北海道教職員組合は、この反対の代弁者を求めて、一人の衆議院候補者に献金した。もちろん、政治資金規正法に違反することは認められない。だからといって、教育を守ろうとするすべての活動を攻撃したり、禁止したりすることを、決して見すごすことはできない。
 ここで近代の北海道の歴史的な性格とそこでの教育の意味を振り返っておこう。
 日本近代史に組み込まれた北海道は、二つの性格をもっていた。
 一つは、植民地の性格であり、屯田兵が送り込まれ、植民が奨励され、それらは北のロシアへの防衛線としての性格を帯びていた。
 他の一つは、封建的な日本とは異なる新しい社会を創ろうとする、自由と進取の性格をもっていた。これは北海道人の胸に灯り続けてきた。厳しい開拓に耐え、新しい農業や牧畜さらには鉱業にとりくみ、労働運動が芽生えるところに、北海道の心が生きていた。教育においても、さまざまな実践の記録を蓄積してきた。
 しかし、これらは、国家による開拓の大きな流れに翻弄され、侵略と戦争のなかに飲み込まれていった。先住民であるアイヌの人々はそのなかで皇民化を強いられた。
 敗戦によって、一時的に国家のための植民の圧力が弱まった。そこで革新の精神が再生し、労働運動が起こり、民主的な教育を創造しようとした。だが、これは、米ソ冷戦によって抑えられ、ふたたび北の防衛地そして補助金に支えられた中央政府への従属を強いられ、北海道の自立が阻害された。
 それでもなお、北海道の労働運動は深く根をおろしている。とりわけ教職員組合による教育運動は、戦後の教育思想を守り続けてきた。とくに、近年の新自由主義的な思想にもとづいて、学校教育を放任しておけば、教育の格差が生じ、それが果てしなく進む。教育においてこそ、子どもたちの平等な機会を与え、自由で民主的な社会を造る場でなければならない。そんな戦後教育の理念を守ってきたのが、北海道の教職員であった。
 戦後10年もたたないうちに、保守政治は労働組合、教職員組合を正当に認知してこなかった
 だからこそ、日本の労働者とその組合の権利保障の水準が、ILOが述べているように、国際的な水準から大きく遅れた「後進国」となっている。
 政権交代となった昨年の衆議院選挙でさえ、自由民主党はみずからの教育政策を語ることなく、「日教組に教育を任すな」「日教組対策のために全国学カテストを実行した」と異様な発言が飛び出てきた。このことは、不況のなかで醸成されてきた不安・不満の原因と責任が教師集団にあるかのような、意図的な誘導であった。
 この誘導に加担することは、自分の子どもたちを託した教師を信頼し、教師と対話するものではなく、また学校現場がどうなっているのか、真実にみずからの目をふさぐものであろう。そして、このことは、教師の教育環境を悪化させ、子どもたちの不幸につながるだけであろう。
 ところが、こうした事態は、この北海道のなかで拍車をかけて進んでいる。
 北海道教育委員会は、2009年9月、一教師が北海道新聞の「社説」(各政党の雇用・景気対策についての社説)をもって授業をおこなっているとの、自民党道議の通報をもって、「1紙のみの活用は特定政党の政策についての偏った認識の授業を与えかねない」と問題視し、全道の道立高校を対象に新聞や雑誌を使った授業の実態調査をおこなった。
 このことは、教育への政治介入であり、教師の創造的な実践を委縮させてしまうものである。
 そして、北海道教育委員会は、先の政治資金規正法違反を口実に、自民党の圧力に乗じて、「教職員の服務規定等の実態に関する調査」(2010年5月)を実施した。この調査は、きわめて多岐にわたるが、労働組合の活動に関する調査、教職員の政治的行為に関する調査、教育課程の実施状況の調査、教職員団体との関係に関する調査、などからなっている。
 一人一人の組合員に職務命令でもって組合活動について質問し、回答を要求することは、不当労働行為であり、個々の労働者および教職員組合の団結権にたいする侵害であり、また政治行為の調査は思想調査としての人権侵害であり、教育課程の実施調査は教育内容の管理と教師の自主的な教育課程の介入と言わざるをえない。
 こうした内容をもった調査がILO「結社の自由委員会」ないしILO、ユネスコに訴えられたならば、即座に、この調査が不当だ、という「勧告」が日本国政府に与えるであろう。
 さらに北海道教育委員会は「法令違反に係る情報提供制度」を設置し、教員および保護者に、たとえば「学習指導要領にもとづかない指導」を行っているものを「密告する」ことを薦め、一方では大綱にすぎない学習指導要領を絶対化し、それに法的根拠を付与し、教師の自主的な教育編成権を剥奪し、他方では、保護者と教師および教師集団との相互不信・対立を生み出すものである。このことは、教育を信頼関係のうえに築くものではなく、「監視すること、処罰すること一監獄の誕生」にするものである。
 このような教育現場での常軌を逸した事態と、その閉塞的な雰囲気のときにこそ、近代北海道に灯された教育の理念を思い起こさなければならないのではないか。
 そのために、いま学校でなにが生じているのか、討論を呼ぴおこそうではないか。
 そこで教師の自由な発言を聞こうではないか。
 教師に自由な風をおくり、国家や行政機関ではなく、社会が責任をもつ教育をつくろうではないか。
 私たちは、そのために、以下の内容で、公開シンポジュウムを開催することにした。

 日時 1月19日(木)18時~19時(ないし20時)
 場所 ホテルライホート2F
 (札幌市南十条西一丁目)札幌駅から南
 パネラー 野田正彰(関西学院大学教授)
       高橋哲哉(東京大学大学院教授)
       結城洋一郎(小樽商科大学教授)
 コーディネーター 宮田和保(北海道教育大学教授)


 呼びかけ人
  野田正彰(関西学院大学教授)
  堀尾輝久(東京大学名誉教授)
  高橋哲哉(東京大学教授)
  小森陽一(東京大学教授)
  斉藤貴男(ジャーナリスト)
  結城洋一郎(小樽商科大学教授)
  竹之内一昭(北海道大学)
  岩本一郎(北星大学教授)
  吉田徹也(北海道大学名誉教授)
  鈴木敏正(北海道大学教授)
  三上勝一(北海道教育大学名誉教授)
  宮田和保(北海道教育大学教授札幌校)

 以下この紙面では省略…

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