記紀に記述のある神武東征は実際にあったのであろうか。古事記、日本書紀というのは支配階級の歴史捏造だとして戦後の一時期全く無視された時期がある。しかし最近見直しが起こっている。たとえば梅原猛は著書”葬られた王朝”のなかでレヴィストロースの言を引いて、神話には包含する真実がある、と立場を変えている。もっともその内容に紀元2600年などという歴史事実にそぐわない部分もある事も事実だ。
しかしここに面白い研究がある。古事記というのは稗田阿礼の口伝を大安麻呂が撰録したものとされているが、文字のない民族には語り部が居て正確に民族の神話を語り継いでおり稗田阿礼もその一人だと思える。その場合、天照大御神に始まる皇室の継承は正確に伝わっているのではないか。一方、各代天皇の在位年は権力者の見栄で古くするための捏造が入り神武天皇が137歳まで生きたなどという事になっている。そこで歴史上存在が確認されている天皇の平均在位年を割り出し、それに古事記の継承在位をかけて天照の年代推定をしたのが下記のグラフである。結果は魏志倭人伝に記載のある卑弥呼が239年に朝貢した時期と、天照大御神の年代はぴったり一致する。
そうなると天照から6代後の神武は3世紀の終わりから4世紀にかけての人物ということになる。この時期に何が起こったかかというと、それ以前、九州を中心とする銅矛、銅剣の文化圏と近畿を中心とする銅鐸の文化圏に分かれていたのが銅矛、銅剣のキャリアが畿内に侵入し古墳時代へと突入したのである。この事実は神武東征の伝説と一致するといって良いのでは無かろうか。
ちなみに、皇室の三種の神器は玉、鏡および剣であり、決して銅鐸では無い。