我々は外界を認識し、自意識を持って行動している。これらの全ては脳というスクリーンに投影された写像なのだが、普段はこの事実を忘れて見たものを現実だと思い行動している。
幻肢という症状がある。事故などで手足を失った人が、それが無いにもかかわらず痛んだり、痒みを感じたり、あるいはコーヒーカップを掴んだり出来る。他人が無理にその掴んだコーヒーカップを引っ張ると、引き剥がされるような痛みさえ感じる。これは当人にとっては厄介な問題で事故後何年たっても消えない。
この幻肢を消すことに成功した医者がいる。 V.S.ラマチャンドラン、インド系米国人で最近ニュートン(雑誌)のインタビュー記事でよく目にする。 彼の”Phantoms in the brein;脳の中の幽霊”という本の中でそれが述べられている。かれは簡単な箱と鏡でつくった器具を使い10年間消えなかった患者の幻肢の”切断”に成功した。
脳の中で何が起こっているかというと体の各部位、腕、足、手、唇等は脳の上にマッピングされている。事故で切断された腕や足が脳内マップに残ったままになっていて異常感覚を起こすのが幻肢である。これを消すには視覚によるフィードバックによりマップの再構成を行うことが有効でラマチャンドランはそれに気がついて成功した。
話は変わるが犬に意識はあるだろうか? 最近盲導犬クィールの訓練士である和多田さんの本を読んでいると ”犬には過去も未来も無く、今しかない” ので訓練の際には常にそれを意識しておく必要がある、と書いていた。 受動意識仮説というのがあって、”意識というのは自己の過去の経験を紐つけ(エピソード記憶)するために形成された”というもので、その意味では犬には意識は無いのだろう。なぜ意識が受動かという事に関して、リベットの実験というのがあり、人がある行動、例えばボタンを押そうとする場合、押そうと思うより前に指に準備電位が発生するという事実が実験により判っている。
この実験の結論は”人間の行動は無意識になされており,意識はそれを追認しているだけ。” と言う事になる。進化の観点から考えると犬やその他の哺乳類に意識がなくて人類にだけそれが有るとすると、後付で発生したと考えるのが自然である。 要は意識というのは過去の自己のエピソード記憶を形成するためのモニター機能であって、魂などとは全く関係ない代物だという説である。