熱海駅の改札を出ると間欠泉と足湯、その裏側に目立たないチビ機関車(7号蒸気機関車のホンモノ)が置いてある。明治時代に熱海~小田原を走っていた熱海鉄道の汽車ポッポは、25Kmの距離を2時間半(今はアクティーで25分)もかかったとか。狭い客車(ほとんどカゴ)に押し込められて、ガタゴトと止まりそうなスピードで崖の上を走って、夏は暑くて冬は寒くて、たいそう評判が悪かったらしい。写真の機関車が導入される前は、なんと人力トロッコ(豆相人車鉄道)で4時間近く。カーブでよく脱線したり、上り坂になるとお客さんも一緒に客車を押したり、お金を払った上にとんでもない目に合うこともしばしば。丹那トンネルが開通して東海道本線が通るまで、熱海に来るのはホント大変だったんだなぁ・・・
ちなみに豆相人車鉄道の運賃(片道)は、1等1円、2等75銭、3等50銭で当時としてはメチャクチャ高かったらしい。料金設定の根拠は、車を押すお兄さんの一日分のお給料とほぼ同じなんだとか。明治30~40年頃、1円でお米が10Kgくらい買えたようだから現在の4,000円くらいかな?。4時間も人に押してもらって、時々自分でも押して4,000円、高いような安いような。そんな由緒ある機関車には目もくれず、島では飲めないマックシェイクに夢中の若旦那。こんなに天気がいいんだから、熱海港までちゃんと歩いてくれるんでしょうねぇ・・・
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ちなみに豆相人車鉄道の運賃(片道)は、1等1円、2等75銭、3等50銭で当時としてはメチャクチャ高かったらしい。料金設定の根拠は、車を押すお兄さんの一日分のお給料とほぼ同じなんだとか。明治30~40年頃、1円でお米が10Kgくらい買えたようだから現在の4,000円くらいかな?。4時間も人に押してもらって、時々自分でも押して4,000円、高いような安いような。そんな由緒ある機関車には目もくれず、島では飲めないマックシェイクに夢中の若旦那。こんなに天気がいいんだから、熱海港までちゃんと歩いてくれるんでしょうねぇ・・・
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