ぴよしろうの半日登山

家からわりと近場での、軽登山を続ける私、「ぴよしろう」の記録です。麦汁登山は・・・危険ですのでお勧めしません(苦笑)

番外編 松浦武四郎の足跡を辿る 平成25年7月7日(日)

2013-07-10 20:44:11 | 支笏湖周辺・夏山
今回は登山記録ではない上、長ったらしいので、興味のない方はパスしてください(笑)

で、松浦武四郎を知らない人はいないと思います。
彼は北海道内を広く探検していますが、その記録は日誌などの形で残されています。
その中のひとつ、「夕張日誌」の中には、支笏湖近辺を歩いた記録があり、支笏湖の景色を描いた絵もあります。

↓クリックすると拡大。風不死は「フクシ岳」、樽前山は「タルマイ岳」となっていますね。


この日誌中、千歳の烏柵舞(日誌中では「ヲサクマイ」)を出て樽前の麓を通り、白老に行く記録があります。
昨年の秋、知人で郷土の歴史などを研究している槌本英秋さんから、
「自分が考えたコースがあるんだけど、ちょっと実際に行ってみてくれない?」と頼まれました。
自分には藪漕ぎは無理ですが、想定されるコースの近くの林道を使い、その足跡をたどってみることにしました。

↓槌本氏の考えたコース。武四郎がこのコースを歩いたのは7月23日。ちょっと早いですが行ってみます。


で、烏柵舞に泊ってスタートというのは正直厳しいので、スタート地点を千歳の街にすることにしました。
前日、夜11時過ぎに自宅を出発し、0時過ぎにJRで千歳に到着。
到着後、コンビニをハシゴして麦汁をいただきます。
まあ、前日も暑くて昼間から麦汁を飲みっぱなしでしたが(苦笑)

↓千歳の駅前の通りで。ジャージを着てザックを背負った酔っぱらいです(笑)


本当はまんが喫茶で休むつもりでしたが、もう1時。
3時前に出発することを考えるとちょっともったいない気が(笑)
それで、バス停で寝ようかとうろうろ探しますが、屋根のある待合つきのバス亭がみつかりません。
そうこうしているうちに住宅街に公園を発見。
めんどうなので、今日の寝床をベンチにすることに決定しました。

↓本日のベッド(苦笑) ここでも麦汁をいただき、それから就寝。酔っぱらいの浮浪者のようですね。


1持間ほど仮眠をとって、最後の補給になる千歳市大和のセブンイレブンへ。
ヤンキーの方たちの車が10台ほどいて、集会のようでちょっと驚きましたが・・・
気にせず店の前で座り込んでブリトーと麦汁をいただき・・・3時に出発です!

のんびりとジョグ&ウォークで進み、国道を離れて千歳川沿いの道へ入り、ウサクマイ遺跡の方に向かいます。

↓右側の道へ。自転車道と合流したりする道路ですが、旧道っぽくていい感じです。


↓ウサクマイ遺跡群のあたり。ちょっと開けていて、ここでシャケを取ってたのかなー、と想像しました。


↓さけます孵化場を過ぎてしばらくしてからルートミスに気付き、戻って川沿いのトレイルへ。


気持ちいい川沿いトレイルをジョグで進みましたが・・・王子製紙の発電所があって立ち入り禁止でした(涙)
そのあともまた立ち入り禁止があって・・・仕方なく予定していたルートをあきらめて、国道へ出ました。

↓日誌には「ヲサクマイから九折を上った」とあるので、もっと手前から上がるのが正解だったかもしれません。


次に「東烏柵舞」のバス停のあたりから「藤の沢林道」に入ることに。
で、ここで麦汁をいただくことにしてちょっと休憩しました。

↓ここにバス停があること自体がすごいことのように思えますね。利用する人がいるのか・・・。


槌本氏の日誌の訳によると、その後は「ママチ川の支流の谷間を進んだ」とあります。

↓林道に入って最初の川はこれ。谷っぽくないですね。


まあ、自分は林道を歩くしかないので、その近くの一応谷間っぽい林道を支笏湖方面に向かいました。
日誌では「一里ほど谷あいを上がって山に上がる」とありますが、地形で山っぽいところはありません。
まあ、多少丘のようになっている感じがあるので、それなのかなー、と思ったりします。

↓ちょっと山っぽい登りのあたり。日誌では針葉樹の森で衣服がずたずたになったとあります。


その後は、「一里あまりでユウフイトマという川を渡って山を越えるとユウフソウという滝を見る」とあります。
この辺の川は勇払川、丸山川、そして山は丸山(遠見のある)しかありません。

↓こんもりとした丸山。このへんの山はこれだけですね。


2つの川を渡って、丸山遠見へ向かいましたが・・・樹木が生茂って山からも滝は見えませんでした。
7条大滝は1.5kmほど離れてますし、近くの丸山川にも滝は見えず、音も聞こえませんでした。
松浦武四郎はめちゃめちゃ目が良かったのか、それとも昔は見える状態だったのか・・・。

で、8時33分、初めての丸山山頂へ到着です。

↓丸山遠見望楼。一度来たいと思っていましたが、やっと叶いました。


↓望楼からは樽前、風不死なども良く見えました。


望楼では、先週痛めた足がまた痛んできたこともあり、食事をして、麦汁を飲んでゆっくり休みました。
松浦武四郎もこの近辺の川のそばで食事をしたようです。

さて、右足の膝下外側がちょっと痛いのですが、ゴールまであと35kmはあります(苦笑)
次の目標は「口無沼」。
なんかちょっと怖い名前で・・・おばけがでそうですね(笑)
実際は、川などの出口がないから、ということでついた名前のようです。

痛い足でよたよた下り、休憩しつつ、のろのろ林道を歩いていると、何台ものオフロードバイクが通過します。
この辺はオフロードライダーの流行のコースなんでしょうか。

そして10時55分、やっとこ口無沼のそばへ。
GPSを見ながら、造林地に入っていくと、おおっ!!
沼です!

↓意外ときれいな沼でした。沼の周りには小道があり、桟橋もありました。奥にはパラソルさしてる方が(苦笑)


日誌では泥で沼に近づけず、鳥がたくさんいたけど人にあったことがないので逃げなかったとありますが・・・
沼の周りは割と歩きやすく、鳥もいませんでした。

ここから先、日誌では樽前の水のない川筋を何本も越えて覚生川に着き、思う存分水を飲んだとあります。
なので、南西側に向かう林道を通って覚生川を渡り、樽前ガローの方から海に出ることにします。

↓途中暑いので麦汁を飲みながらまた休憩。


午後に入ると暑くて、眠くて、酔っ払って・・・ここでまた睡眠歩行が発動してしまいました(苦笑)
そして・・・気がつくと林道ではなく、なんだか遊歩道のようなところにいました(汗)

↓睡眠歩行したあたりの地図。睡眠歩行に突入すると、左側に曲がる傾向があるようですね。


ぼーっとしながら「ここはどこだろう?」と思ってGPSを見ると、道自体は海の方に向かっているようです。
まあいいかー、と惰性で進んでいくと道が狭くなり、荒れていきます(苦笑)

で、しばらく進むと急に刈り分け道になり・・・なるほど、わかりました。
高圧電線の管理用道路に迷い込んだようです。

↓鉄塔を見て、やっと気付きました。


激しいアップダウンの管理用道路を進んでいきますが、丸太の橋を渡ると道が何故か消失。
どこかでまた道を間違えたようです(汗)
しばらくの間、藪漕ぎをしながら道を探しましたが、心の中では・・・
「松浦武四郎も藪漕ぎしまくりだったんだろうから、これくらいはいいよなー」と思ったりしました(笑)

で、今の時代は文明の利器GPSがあるので、昔の人にはちょっと申し訳ないけど、近くの道路にめぼしつけ・・・
川を渡り、ガケを上って林道に出ました。

↓当初予定していたコースとはまったく違いますが、とりあえず林道に出ました。


すっかり当初の予定のコースから外れてしまいました。
林道を道なりに海に向かってしばらく進むと、15時頃、オートリゾートアルテンというところに出ました。
売店で麦汁を購入し、店の女性の方に「ここ、苫小牧ですよね」と聞くと、「どこからきたんですか?」と
聞き返され「千歳から歩いて・・・」というと「えええ~!」と驚かれました(苦笑)
そしてもう1人の店員さんに、白老へ向かう道を丁寧に教えていただきましたm(_ _ )m

↓アルテンの近くで。300円のやや高級ビール(苦笑)


海に向かってのろのろ歩きますが、藪漕ぎしたのもあって、なんだか疲れました。
歩道で休んでチーズケーキを出して食べたりしながらだらだら海方向へ向かいます。

で、しばらくして、自分が歩いている道は松浦武四郎が水を飲んだ覚生川沿いだとわかります。

↓バス停も「覚生川」でした。もっと上流でこの川を渡りたかった・・・!


↓後ろを振り返ると、樽前と風不死が。


36号線に着いて海岸に沿って進んでいくと、また眠くなってきました。
もし眠ってしまい、36号で車道に出てしまったら・・・たぶん死にます(笑)
これ以上睡眠歩行でひどい目にあうのも困るので、道路の脇であぐらをかいてちょっとばかり寝ました。

そして起きてからまたノロノロジョグに入り、しばらく進むと5時過ぎに白老の社台に着きました。

↓社台の神社。この先の閉まったお店の自動販売機の前で休憩。


自動販売機でしばらく休憩し・・・またのろのろとジョグ&ウォークして・・・
なんだかめちゃめちゃに疲れたなー、と思いながら白老の市街のセイコーマートに6時前に到着。

↓迷わずボンゴレビアンコを買って食べました。おいしかった!


藪漕ぎをしたせいで、ジャージのズボンがめちゃめちゃに汚れて恥ずかしい状態です。
歩いている人にジロジロと見られたりしました。
なので、サンキに寄って300円のジャージのズボンを購入しました(笑)

さて日誌では、武四郎は夕方白老に来て、会所というところで福山藩、仙台藩の知人と会ったと記しています。
会所がどこにあったかは調べていませんでしたが、仙台藩陣屋跡というのがあったと記憶していました。
なので、今日はそこを終点にすることにします。

で、自分のボロ携帯で陣屋跡の場所を調べようとしますが、スマホじゃないので地図が出ません(涙)
仕方なく、走り回って探すことにしますが、なかなか人に会えず・・・住宅街でサッカー少年に遭遇。
「学校の向こうにプールがあって、その前に公園があって、そこから奥の方に行く道があって、そっち。」
と教えてくれました。
もう最後です、走って公園に行き、うろうろ走り回ると・・・女性が散歩していたのでまた聞いて・・・
なんとか日没前に仙台藩陣屋跡に到着。
もう資料館は閉まってますが、とりあえず満足です。

↓資料館横から陣屋跡の方を臨む。


↓陣屋跡の地図。


ちなみに会所跡ですが、ネットで調べたら白老川の河口のあたりとすぐわかりました。
調べとけばよかったです・・・(涙)

でもまあ、とにかくこれで今日の旅は終わり。
一応満足して、帰るために白老の駅へ。
苫小牧行きの出発(20:18)まで時間が結構あって、麦汁やコーラなどを買い、ゆっくりしました。

↓白老の駅で、ジャージを着替えて、顔がわからないように自分撮り(笑)


↓駅のホームには陣屋跡が名所として記載されていました。


北広島の自宅に着いたのは23時頃。
ほぼ24時間で戻ってこれました。
ここに書かなかった小さなこともいろいろあって、ちょっと思い出に残る旅になりました。

GPSトラックです。
千歳駅を出てしばらくしてからログを取り始めたので、ちょっと最初が切れてます。







本日の麦汁消費量は4.75L。距離67km。時間は睡眠時間も合わせて19時間(苦笑)でした。

今回強く感じたのは、松浦武四郎はすごい!!!
ということでした。
道もほとんどない時代に、藪漕ぎをしながら、このコースを1日で歩き切るとは!
それも毎日毎日歩き続けで、きっと今みたいに栄養状態もそんなによくなかったはずです。
もう、自分などは足元にも及ばないと思いました。
本当にすごい人です。

そしてこの松浦武四郎の足跡を辿る企画・・・またやって見たい気がしました。

コメント (12)
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