土日でおわらせるつもりが、英語の勉強では「無理をしない」子なので
月曜までかけてやさしい中1問題集を終了した。
ゴールデンウイークでゆっくり一般動詞とbe動詞の肯定文と疑問文
否定文、それから疑問詞の種類と作文の仕方をしたのだが
土日月の夕食後(それも見たいテレビの時間をよけているから本当に短時間ずつで現在進行形とcanなどの助動詞、過去形を終わらせた。
進行形のところでNoneがまたわけのわからないことを言い出して、
「*doesingって、なんで無いんやろう?」
もうあきれかえってしまって、「一度でもそんな形見たことあるか?
今まで英語やってきて・・・」
でも、こんな唐突な疑問を持つこと自体は大切にしたいと思っているんです。
言語は慣習から生まれた矛盾をかかえた構造をもつ規則で、言語学習と
いうのは、「こういう文法だから」とか「こういう言い回しだから」と
無条件で従うものなのだと思うのですね。従わずに新語を生み出すことも
あるけれど、大部分はその規則の中にあるのです。
一方数学とか化学とかは基本的に「現実にそうなる」規則に従うもので
いま見つけられてないもの、考えられていないもの、に向かっていくものではないかと思っているんです。
*doesingというものは、なんの発見でもないし、考案して発展できるものでもない。
でも、「こういうの作れないかな?」と思うこと自体は小4の小学生の
素朴な疑問としては大切なことのような気がしているんです。
私の好きなヴィトゲンシュタインの言葉
If people did not sometimes do silly things, nothing intelligent would ever get done.
ヴィトゲンシュタインの引用がここにいくつかあります。
「ありえないよ」というようなことをする(考える)人がいなければ、
この世が「ありえる」ことばかりになって進展しない。
そういう意味だと思っています。
リンクにあったもう一つの引用で
“The limits of my language mean the limits of my world”
という言葉も大好きです。私の語彙や言語能力を超えたことを私は思考できない。
Noneに早期教育をしたのも、わが子の「世界」を広げたいからです。
「原形にingがついたのが進行形なのですから、三単現にingがつくわけ
ないんだけど、疑問を持つということ自体はいいことだと思っています。
でもその奇抜な発想は英語以外で持ってください。」
Noneが「しまった」という顔をしながらも、私の言った意味がわかったらしく
「理科とか算数やったらいいの?」
「そのぐらいありえん発想で、なにかいいもの見つけてください。」
昨日、火曜日は私は中国語で、理科のプリントを渡して自分で解いて
自分で採点するようにしている。
Noneの発音があまりよくないので「音読」を控えめにしていたら、私が
いない間に昔読んだOXFORD BOOKWORMS LIBRARYシリーズを出して読んでいた。
今日は中1数学の予定だけれど、うまくいくかしら。まだ正と負の数で
加法減法がやっと終わったところで乗法と除法にはいる予定です。
数学も英語と同じように私が目の前でほぼ正解を出して進んで、ある程度
進んだところで簡単な問題集を自分でやらせるようになるんだろうなと
思っています。
だいたいこんな感じです
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月曜までかけてやさしい中1問題集を終了した。
ゴールデンウイークでゆっくり一般動詞とbe動詞の肯定文と疑問文
否定文、それから疑問詞の種類と作文の仕方をしたのだが
土日月の夕食後(それも見たいテレビの時間をよけているから本当に短時間ずつで現在進行形とcanなどの助動詞、過去形を終わらせた。
進行形のところでNoneがまたわけのわからないことを言い出して、
「*doesingって、なんで無いんやろう?」
もうあきれかえってしまって、「一度でもそんな形見たことあるか?
今まで英語やってきて・・・」
でも、こんな唐突な疑問を持つこと自体は大切にしたいと思っているんです。
言語は慣習から生まれた矛盾をかかえた構造をもつ規則で、言語学習と
いうのは、「こういう文法だから」とか「こういう言い回しだから」と
無条件で従うものなのだと思うのですね。従わずに新語を生み出すことも
あるけれど、大部分はその規則の中にあるのです。
一方数学とか化学とかは基本的に「現実にそうなる」規則に従うもので
いま見つけられてないもの、考えられていないもの、に向かっていくものではないかと思っているんです。
*doesingというものは、なんの発見でもないし、考案して発展できるものでもない。
でも、「こういうの作れないかな?」と思うこと自体は小4の小学生の
素朴な疑問としては大切なことのような気がしているんです。
私の好きなヴィトゲンシュタインの言葉
If people did not sometimes do silly things, nothing intelligent would ever get done.
ヴィトゲンシュタインの引用がここにいくつかあります。
「ありえないよ」というようなことをする(考える)人がいなければ、
この世が「ありえる」ことばかりになって進展しない。
そういう意味だと思っています。
リンクにあったもう一つの引用で
“The limits of my language mean the limits of my world”
という言葉も大好きです。私の語彙や言語能力を超えたことを私は思考できない。
Noneに早期教育をしたのも、わが子の「世界」を広げたいからです。
「原形にingがついたのが進行形なのですから、三単現にingがつくわけ
ないんだけど、疑問を持つということ自体はいいことだと思っています。
でもその奇抜な発想は英語以外で持ってください。」
Noneが「しまった」という顔をしながらも、私の言った意味がわかったらしく
「理科とか算数やったらいいの?」
「そのぐらいありえん発想で、なにかいいもの見つけてください。」
昨日、火曜日は私は中国語で、理科のプリントを渡して自分で解いて
自分で採点するようにしている。
Noneの発音があまりよくないので「音読」を控えめにしていたら、私が
いない間に昔読んだOXFORD BOOKWORMS LIBRARYシリーズを出して読んでいた。
今日は中1数学の予定だけれど、うまくいくかしら。まだ正と負の数で
加法減法がやっと終わったところで乗法と除法にはいる予定です。
数学も英語と同じように私が目の前でほぼ正解を出して進んで、ある程度
進んだところで簡単な問題集を自分でやらせるようになるんだろうなと
思っています。
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