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「 子供に教えるのではない 」 こだわりからの脱出 & 夢を持つということ (2)  衝撃 

2015-01-28 04:45:21 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
 
  衝撃ON 個人編  
恩・・・わかるんですけど・・・でも・・
上原・・・あのね、わかるんですけど って言ってるけどね、あのこういうことなんですよ。今出ている話と全然違う事を言いますけどね、これは全く恩自身の個人的な問題なんだけどね、僕は恩に対して不満を持っている点があるんですよ、私は、個人的な問題で。で、そこの所どうして壁を破らないんだろうって僕は常々思っている点がある。

それはね、恩って言う人間は非常に真面目な人間なんですよ。と、僕は見ているわけ。
真面目なんだけどね、自分をさらけ出すっていうことは絶対にしない人なんですよ、あなたは。
自分の内面的な問題は絶対にさらけ出さないんですよ。

それは関係ないでしょっていう雰囲気で、ぱっと捨ててしまうわけ。つまり公私の別を非常に明らかにする人なんですね。公私の別を明らかにしている。ワタクシをここへは持ちださないんですよ。

だけども僕の不満っていうのは 持ちだしたらいいんですって言いたいわけ。
もっと具体的な例をとるとね、あなたはあれなんだ、よく勉強もする人なんだけどね、勉強のことだったら その~ん~私が一生懸命勉強をしたいと思って、そしてここへ 皆さん先輩の前へ持ってきて 私はこういう勉強をしたいんです。だからその~ いや こういう勉強をしたいんじゃあない、私は勉強していますから皆さん教えてください、これでいいじゃないか、と思っている点がある。

だけども、もうこれからはね、それでは誰も教えてくれませんてって言っている。私は今ね、どうしてもこの問題を片付けなければならないんですから教えてください、っていうんだったら教えてくれるって言うんです。

あなたは勉強に関してはね、中学生と同じような姿勢を取る。勉強だったら世の中の人達は誰でも教えてくれると こう思っている。ところが教えてくれないんですよそれは。塾とかそういうものとは違うんだもの。だからね、私はこういう目的を持っていますから、こういう 私は個人的な問題を持っていますから、この問題を教えてくださいって言ったら言うんだよ。特に研究会は教えてくれるわけよ。

先ほどの 下(個人名) の例でとるならば 下は 自分の目標を持っているわけよ、課題を。そして自分は課題をここまで調べてきましたからどうぞ皆さん方、ここまで調べたんです。そしてこれは皆さんにご報告申し上げますから教えてください。って言ったらそれに答えるんです。

だけどあなたの場合は何もあなたはサービスしないわけです、他の人に。ね、だから教えないんです。いや 教えるでしょうけどね。この会は教えるでしょうけどね。
冗談じゃアない。てめえだけ何かみやげ持って帰ろうなんて そして何くれた?っていうことになる。って。・・・僕は 不満はそういうことなんです。
私はここまで私を見せたんだから それに対して皆さん方も何か言ってください、って言うんだったら言うんだっていう。

市・・・かなりみな親切だからね、ここの会は。言うから、言うんだから・・・。こう わかるんだけれど・・・って言ってあと何も言わないでしょう、待っているんだけど、皆。分かるんだけど・・待っているんだけど、あなたがわからないって言う事を ここがわからない、そこがわからない、って言えばこちらも言いやすいんです。でも黙っているとあなたのわからないのはこっちかな?あっちかな?と雲をつかむような話を逐一掴まなきゃあならない、っていう面倒くささをやった後に・・・。

上原・・・そして皮肉な材料を持ってきたもんだと思うんだ。国語の小林秀雄さんの中身を読んでみて、皮肉な材料を持ってきた、おもしろいなと思うの。
”わかる”っていうようなことだけをを問題にしていては駄目なんだっていう材料を持ってきているでしょう?(笑)
あなたはわからないからこれを教えてください、これでもうすべてであります、って言う風に言いきろうとするんだよ。
だけども、これから教えようとする問題は”わかる””わからない”だけの問題ではない、って言ってるわけでしょう、この材料自体が。

大変皮肉な材料を持ってきている。(笑)とこう思って僕はおかしいなと思って。だから自分がそういう姿勢に切り替えないと、こんなの言いようがないなということで敢えて言ったんだよ。君が一番嫌なことかも知れないけど、そこを潰しなさいっていうのよ、そこにあなたのこだわりがあるんだよ、ん~。

市・・・こだわりには気がついているんだよね。こだわりには。

飯・・・あの恩がね、疑問に思いますっていうような所をさ、自分のこう考えてきたところをダ―っと喋ればいんだよ。こうこうこう ダ―っと。こういう風に考えたんだけれども、この段階で ちょっとわからなくなって来ている、ってことをさ喋ってもらえば皆乗るよ。

市・・・教材分析じゃあなくて、子供と自分との関わり、もしかしたら、自分のことばっかりかも知れませんね、それを喋ればいい。ここで つっとっている。これもつっとっている。これもつっとっている。どうにもならないっていうことを言えばいい。

私の頭の中にね、あなたが教室で子供と向き合っている姿が全然頭に浮かんでこない。だのに この教材はどうですか?って言われても困っちゃうわけ、ね。だから子供とこう言う付き合いをしています。そいで そういう事だけ こうバ―ッと言う事だけでもはたから見てああ、あそこに つっとりあるなってわかって それでもいい。

恩・・・     

飯・・・さあ 苦しいとこだね。
市・・・時間つらいとこだね。
飯・・・うん。

下・・・でも、皆それ抜けてきてるんだから。
市・・・ぬけてないよ~。
飯・・・抜けてないよ。(笑)

下・・・ぬけるっていうか、そういう目には合ってきている、ってこと。
市・・・そうそうそう、辛い思いにはあっている。
下・・・私も何度も今の恩のような感じじゃあなかったかな?
市・・・辛い思いにはあっている。ちっとも抜けていない。

 上原 帰ってくる。
上原・・・俺 恩 泣くな~って思ったよ。( ははは 笑 )
もう あの~僕が喋り出す前に 僕はそう思った。だからやめようかな?と思ったんだけど・・・。泣くな~こりゃあ なくな~ って。 ・・・つづく


#、玉川大学の通信教育の夏のスクーリングで上原先生に出会って、この研究会の存在を知った。だから恐らく、ここで話されていることは、この研究会に入って四年目の夏合宿での出来事であると思う。

この研究会で行われていることは教育においてとても大事なことだと言う風にはずっと感じていた。
しかしながら 何が話されているのかが さっぱりわからなかった。先生方の発言を、一つ一つパズル絵のピースのように、1ピース 1ピースを手にとりながら 何を言っているのかを探っていたように思う。

わかってから発言をしたい。
わかってから発言をしたい。とずっと思っていた。

もっとふみこんで言うならば、叱られたくない。誉められたい。いや違うな、バカにされたくない、中身がないのを知られたくない、そういう気持ちだったと思う。#

参考・・・この記事の下に ここで話された小林秀雄さんのご著書を載せておきます。
                              
>写真は イメージ。岡本太郎さんの記念館のもの。

この記事は 2015・1・12日のものである。
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「 子供に教えるのではない 」 こだわりからの脱出 & 夢を持つと言う事 小林秀雄 美を求める心

2015-01-28 04:44:46 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
たぬきちが 葛 先生を通じて調べてくれた。( ありがとうございます。)
まさしくこの教材がワタシが 葛先生に紹介していただいたものである。長い時をへて たぬきちと葛先生のお陰さまで 再びわたしの元へ届けられた。
。。。ライターのお話はこの後またでてくる。。。


小林秀雄 「 美を求める心 」 教育出版6年 (昭和52年~58年)
がでてきました。恐らくこれでしょう。
昭和32年、小林秀雄54歳の春、小中学生に向けて美はどうすれば見えてくるか語ったものだそうです。

これもちょっと引用しますが

『 若い人達からよく絵や音楽について意見を聞かれるようになりました。近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものが解るようになるにはどういう勉強をしたらいいのか、どういう本を読んだらいいか、という質問が、大変多いのです。私は何も考えずにたくさん見たり聴いたりする事が第一だ、と何時も答えています。

極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。まず、何を措いても見ることです。聞くことです。

 話は私事になるが、私は、ロンドンのダンヒルの店で、なんの特徴もないが、古風な、如何にも美しい形をしたライターを見つけて買ってきた。書斎の机の上に置いてあるから、今までに沢山の来客が、それで煙草の火をつけた訳だが、火をつける序でに、よく見て、これは美しいライターだと言ってくれた人は一人もいない。成る程、見る人はあるが、ちょっと見たかと思うと、直ぐ口をきく。これは何処のライターだ、ダンヒルか、いくらだ、それでおしまいです。黙って一分間も眺めた人はない。詰らぬ話をするなどと言わないでください。(中略)

見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。』
・・・・・これでしょうね
ネットで調べると、これは
・考えるヒント 3 (文春文庫 107-3)文庫– 1976/6/25小林 秀雄(著)
・小林秀雄全作品〈21〉
に収録されているようです。
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「 子供に教えるのではない 」 こだわりからの脱出 & 夢を持つということ (1) 

2015-01-23 07:28:34 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

 1982年 児童の言語生態の研究会、夏合宿のもの。テープを発見したので より正確なテープ起こしに努めた。

先生方の名前は 名字の一文字目を使わせていただきました。ワタシは 恩の字使用(黒)。読みやすいように色を変化させておきます。申し訳ありませんが ”先生 ”の文字は省略させていただきます。

恩師 上原輝男先生は流石に”上”ではなく上原と書かせていただきます。
  はじまり はじまり・・・。
飯 ・・・ しかも中身をチラッと見ますと耳目に関わることのようで二重の意味でおもしろいんじゃあないかと・・・。じゃあ恩さん今日の素材を配った気持ちを言ってください。

恩・・・はい。えっとですね、こないだ4月の会の時に六年生は思い切って何かをすることがないとか、妙に老成ぶっている。彼らにも夢を与えたいということが話されたんです。

で、あの そこで論理性と言う事を問われたんですけれどもね、論理的思考を育てる教材というのを私は良く知らないんですけども、私の知っている中では、まあ「 ワニの話 」っていうのと「 一休さん 」の話とあるんですね。

で、その話がどうしてその子供の夢を育てることにつながるのか良くわからなかったので、今日はそれが聞きたいことが一点と、それから何か教材を持って来たいということで、どんな教材があるか分からなかったので 葛 にお聞きして、あ、こういう教材があります。ということでね、今日はそれを印刷してきたということなんです。

この教材を読んでみて自分が感じたことは 子供たちの視点とは違った捉え方をして、より高い、高度な、というのか、高尚というのか、の目で作者が捉えていることを子供たちが一体どういう風に受け取るだろうか?というのをみてみたいな、と言う風には感じたんですけれど、

只この教材をどういう風に使ったらいいのか、わからないものですからもし何か一点で使えるとしたら それが何なのか?というのを教えていただきたい。というのが二点目なんですけれども・・・。二つのヒントを頂けたらと思うのですけれども・・・。
( 間・・・ 教材に目を通していると思われる。 蝉の声 )
上原・・・二つ言ったね。研究発表じゃなくて 皆に聞いて帰る。っていうの?
恩・・・はい。
上原・・・何を?
恩・・・一つ目は、だから その、六年生の子供に夢を与えたい っていうことを言われたんですけれども、それとね、あの、私の知っているワニの話や一休さんの話を学習するということとどうつながるのか?
上原・・・こっちのほうは?( トン ) 
恩・・・それからこの教材を使うとしたら どういうことで使えるか?( 声が一気に小さくなる )
上原・・・使うためには”使いたい”とするものがなくちゃあダメだ。ん~。昨日も言ったけども これを教えるんではない。

恩・・・これを読むと、あの、子供が今まで気がつかなかった見方というのが・・・。

上原・・・ほらね。それの姿勢がもう違うんだ。ん~。これを読めば今まで子供たちが見ていた見方とは違う何か、っていうと、”これ”(ドン、机をたたく音)が中心になっている。

だから、あなたが六年生の子供たちをやっぱりこういう方向へ持っていくんだという あなた自身が”夢 ”を持たなくちゃあダメだ。あなたが描く六年生の子供達へ近づけること自体が、あなたが夢を持って、で、私がやりたいっていう、で、その時に これは利用できる。
こういう態度でなくちゃあいかんっていうことだよ。

だから まずみんなの意見を求めて そしてそれを持ち帰りたい。というのは非常に謙虚な言い方なんで
私はこうしたいんだって、六年生の子供をこうしたいと思っている。そうして こういうものを用意しかかったんだけれども、みなさんお知恵をかして下さい(トン) って言うんだったらよくわかる。

あなたが何をやりたいのか?それがわからないのにね、これはこういう風に教えるものですよ、なんていうようなこと誰も言ってくれないよ。この会だから そりゃあ言うだろうけれどね。

他の会合に出て ちょっとこれを教えてくださいなんて言ったって誰も教えないよ。それが大人の社会だ。皆忙しいんだもの。皆自分の事をやりたいんだ。

飯・・・恩さん(以下 さん 省略)が 六年生に夢を与えたいっていうのが恩の夢だとすると、論理の領域の中でどういうふうな事を考えれば夢を与えることになるのか?と言う風な事にもなろうかと思うんだけれど・・・さっき説明していたのを聞いて言いかえるとそんな形になろうかと思うんだけれど・・・。

上原・・・あのちょっと 夢を与えるということは、う~ん、昨日までの仕事でいうならば感情面であると、で、片一方 論証性であるとか論理の問題とかは思考の問題であると、この思考と感情のつなぎ目をどうするのか?
なんで 論理的なものをやれば夢を与えることになんて変わるのか?
世界が違うんじゃあないか?ていう疑問を提出してみるということなんですか?

それとも、それはやっぱり論理を発見するということは六年生段階にとっては夢なんだというふうに考えるべきなんだということが言いたいのか?その辺はどうなんですか?


恩・・・ちょっと前者の方をもう一度言っていただけますか?

上原・・・論理の世界と感情の世界とは別ではないか、って まずその事について私は疑問を起こします。ところが六年生には夢がないと言っている。その夢は、六年生段階における夢は必ずしも感情面ばっかりとは限らない。

何か一つの論理の発見って言う事も子供たちにとっては夢を与えるということにつながるんでしょうか?あるいは繋がると私は思いますから敢えてこの材料を提出したんです、と言う風に言うのか どちらですか?って

市・・・子供は何を求めているかを言えばいいんですよ。したらこの教材はダメとか・・・この教材は ・・・とか・・・。

上原・・・いえ つまり・・。
飯・・・あのね、恩が一休さんの話とワニの話っていうことを材料にして思考教材だっていうことはわかるんだけれども それがどうして子供に夢を与えることになるのかよくわからないから教えてくれっていったでしょう。

それについて先生(上原)がその疑問の中身は、夢っていうと非常に感情領域のものだと考える。
感情領域の教材で夢を与えたいと言うならば、新しい境地に入るっていうことを夢だとするとね、感情領域のほうがやりやすいということを考えたうえで、論理と夢が結びつかないんじゃあないか?ということを考えてこれを提出したのか、その疑問なのか、ということ。

それとも思考でも新しい思考を見つけることによって夢が出来る。その為にはこの教材がいい。と言う風な意味でこれを提出したのか どうか っていうこと。
感情とのつながりでこれを提出したのか?・・・。

恩が一休さんの話とワニの話が思考教材だっていうのは分かるんだけれど、それがどうして夢だと言う風にされるのだろうか?って恩が疑問に思ったところの疑問をもう少し解きほぐして行きなさい、っていう・・・

僕なんかは最初、先生の発言がある前は いや思考の面の論理で新しい論理形式を身につけさせることは子供にとっては 新しい境地を切り開くことになるから夢ではないか。なんて言う風に単純に考えていたんだけれどね。

今先生の発言があって少しそうか~と思いながら・・・。

恩・・・わかるんですけど・・・でも・・・

・・・つづく
                         
>写真は イメージ。なんとなく。2005年 11月23日頃のもの。
# 当時の体感を思い起こしてみるならば・・・
研究会に、資料を持って出かけ、”一つの疑問点を述べることと、何かヒントをください。”と言う意見を言うだけでも当時の私にとってはとても勇気のいることであり、精一杯の事であった。

上原 ”研究発表じゃあなくて 聞いて帰るっていうの・・・?”
と言われた段階で私はかなり縮みあがったト思われる。声はかなり小さくなっている。
頭に血がのぼったのか?頭から血の気がひいたのか?どっちなのかはわからないのだが、いや、まて、ガンガンする感じに近かったと思うので頭に血がのぼったほうだト思う。

そういう状態になると、何を話されているのかがさっぱり分からなくなった。それでも、何とか皆さんがおっしゃっている意味を理解しようと努めたのだが、すでにこの時点でワタシは壊れかかってているように思う。#

>この記事は 2015.1.10のものである。
今 この時に聞きたかった質問の内容はなにか?を答えるならば、前者、すなわち、思考の領域と感情の領域は別ではないのか?夢というと感情の領域にはいるのではないか?ということになる。


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過去に向き合うとき・・・ 序 

2015-01-09 22:24:13 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
お詫び・・・
一般の読者のみなさま、わざわざのおこしくださいましてありがとうございます。
実は、この先、このブログにて、元所属していた教育関係の研究会( =児童の言語生態研究会 )の資料起こしをする予定でございます。よって 折角おこしくださいましても なんじゃこれ?状態になることが予想されます。何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

ごめんなっし~。なっし~。


どのような状況下におかれても結局、最終的には人間関係であって、その中で奮闘努力( この言葉は好きじゃアなくなったけれど )をするしかないのだろう。

何で今更?なんだけれど、たぬきちと  で喋っているうちに話がそっちの方向へ行ったのだから( 仕方がない? )やってみようではないか?ト思い直した。

只今とんでもない( 精神的にも、肉体的にも大変な )状況下にあるたぬきちが、あと少しで去年の年末に行われた授業記録のテープ起こしが終わりそうだと言うのだから、こっちだって頑張らなくてはならないと思ったんだ。

それに約束は守るべきだよね。
 二回目なんだし。 

但し
気は重い。
だが切り替えよう。気は想い。( いくぜィ ぶいぶい   )

ワタシは、
1、とりあえず、只今、元気である。
2、とりあえず、生活( 主として金銭的なこと )には困っていない。
3、とりあえず、娘に「 ヒマでいいわね~。」と言われている 専業主婦(= 千行主婦 )である。
故に時間の確保が可能。

 何より 会員の先生方の老齢化に伴って 過去何年だ?わからないけれど積み上げてきた 児言態の知的財産がこのままなくなってしまうのがもったいないということなのだ。私のもっている資料が決して素晴らしいものであるというわけではないが、たたき台にすることは可能だ。ということをたぬきちが教えてくれたので 勇気をだして進むことにしたんだ。

<<< 過去 に ワープする! <<<
一体いつの話になるのだろうか?児言態の研究授業に挑戦してみようと考え始めたのが 多分 昭和 57年の夏頃。
当時、力量もないのに、独身 子供いない、体自由 というだけで 五・六年生の担任になった。非組(組合に入っていない)であったことも関係しているのかも知れない。

その学年は、一度 三年生の時受け持ったことのある子供たちの学年で 絶対に担任するのは嫌だったんだ。
 つまり ここ逃げたわけです。だけど、またご縁を頂いた。と 子供によっては 3・5・6の三年間 同じ教師に当たったということになる。

 1982年 ( 壬 戌 ) 楽に読めるように 字を少し大きくしてみよう!
六年生担任当時 いろいろと問題を起こしていたクラスを何とかしたいとしたいと考えて、児言態による研究授業をやらせていただこうと考えた。
いろいろな教材を持って出かけたのが夏ごろ、


1、「 こだわりからの脱出 」 これが夏合宿に持って行った内容だろう。ここで上原先生にこっぴどく叩かれ へこみまくった。 ☓ 10 =           

最後のにこちゃんは やっと児言態の仲間にいれてもらえた感あり!っていうこと。
2、「 素直な心を育てる。」  これが主題か?  1982年(S 57) 11月 23日 

3、「 あとかくしの雪 」 教材は最終的にはこれを遣う事に決定した。これは 上原先生が選択した。
授業は 1982年 12月 17日 行われた。 


  壬戌年 ・ 壬子月 ・ 甲戌日 
ちょっと よりによって・・・感あり!だな。

+++ 愚痴 ・・・ 
今日もBさまとトラブった。おみくじでは心を広くして、孤立をさけるように言われたが 孤立するほうがナンボかましだと思った。
言う事がころころかわるのは我慢ができない。どれかにきっちり決めてくれぃ。

いずれにせよ もうお友達と遊ぶのはやめた。そのことでなんだかんだ言われるのが嫌だし、時間のやりくりをして家事にぬかりがないようにしたって、心配りをしたって、その事( お友達と遊ぶこと )自体が気に入らないんだから。

当日に、自分の決めた家事だけをやる。あとはおこもりして作業をする。もしくは疲れるけれど外に出かける。それなら文句もないだろう。。。楽しんではいけないのだ。

Aさまに二人とも病気だと烙印を押されるのも情けない。病気って一体なんなのさ?と思う。


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たまねぎ 剥いたら  ( 人って 何なんだ?)

2013-06-09 08:26:18 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

たぬきちのHPに恩師(上原輝男先生)と藤岡喜愛先生の会話(研究会内の会話か?)のテープ起こしが載っていたので、勝手に頂いてきた。

お二人ともあの世にお出かけになったけれど、今 ここにいらしたら聞きたいことが山のようにある。

平成3年4月6日

T 聞いてばかりいて申し訳ないんですけど2年前だったか・・・生命力と想像力・・・イメージの強い子が生命力が強いってやったでしょ。その時は我が身と考えずにやっていたんですけど、最近我が身を考えるにあたってイメージが貧困というか湧かないというか・・・それは生命力がないっていうことですか?

上原 それは押さえているからですよ。「私」が押さえているからですよ。私を潰してしまえばイメージなんて出るに決まっているんです。だから「私」という個人を捨てることですよ。そうしたらパーッと広がって出てくるんです。

藤岡 あのね、「私」っていうのは「一人きり」と思うからアカンのですよ。「私」っていうのは何層もあるんです。一番上の「私」なんていうのは気楽にどうかして(?)・・・なんぼでも下から私が出てくるから・・・安心して。

T 剥いたら何も出てこなかったりして・・・。

M タマネギからっきょうみたいに・・・

上原 いや、思い切ってむいてごらん。なかったらなかったでいいじゃない。

B もともとない。

T それがおそろしい。

藤岡 それは大丈夫。こうして生きているいじょうはね「私」っていうのは少々剥いてもまだあるの。遠慮無しにどんどん剥いていって。ありますから。

・・・普通に言っている「私」っていうのは、やっぱり「こうでこうしてこう」と常にみている「私」ですよね。それを捨てろと言っているわけです。ですけどね、まだあるんですよ。捨ててもまだあるんです。・・・最後にもし「魂」というのがあるとすればね、「私」っていうのを捨ててもまだ私を成り立たせている「魂」というのはあるんですね。騙されたと思うてやってみれば分かりますから。


 @@@  @@@ あやかし@ 

Q,生命力があるか? といえば・・・

このところヘタリまくりだからな~。年もとったわけで・・・。生命力なんては 殆どなくなっている。。。ような。。。?気がする。

 今回の病院おでかけ体験によって・・・

いろいろな自分を見つけた。なんでもいいから まずは、大いなる存在にすがりつきたくなる自分がいた。
しかしながら、今回もわかったことは、最後に自分を救うことができるのは、霊能者でも、お医者様でもなく、家族でもなく、自分の中のもう一人、二人、三人・・・の自分でしかない。ということ。(← ここ おわかりとは思いますが、ワタシが入院していたわけではありません。)

自分の目の前に現れた人の なんだかんだの事情・対応・反応・意見・顔いろ・関係(順不同)・ などなどから 学ぶくん だよな。

いいかっこしたって、繕ったって、限界点がくると、ヒトってぼろが出るっていうか、本性が現れるっていうか・・・素の自分が出るっていうか・・・ そんな存在だと思うもの。

占いは 人を理解する上でかなり役立つ方法の一つであるト思う。
表だけじゃあない裏の姿を予測できる。
だけど、それだって、自分の目というフィルターを通すから、自分勝手な理解でしかない。
各々の人間の置かれた立場、思考、経験、それこそ元々持っている宿命などなどが織りなす彩なんていうのは わかりようもない。

生と死のはざまで、何を頂き、何を諦めるか(捨てるか)?
いろいろな患者さんを観たからな~。

>> 一つ 理解できたことは、ワタシは 『 いのち 』( 寿命・子供・未来・伝達 )とはなんだろう?と考える人間であること。そして、そこに人生の目的がある。

とうちゃんは、『 財産 』( お金・人も同じく財産・奉仕の心・現実 )とは なんであるか?ということを考える人間であるということ。そして、そこに人生の目的がある。

この違いは如何ともしがたいな~。

お金がなくちゃあ、病院にだって行けない。お金は大事だ。だけど、お金で 人のこころは買えないと思う。
ま、自分でお金を稼いでないんで、偉そうには言えないんだけどね。


>写真は特に意味はない。とうちゃんの産土神社のある街にある レトロな映画館の看板。



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恩師(上原輝男先生)の命日に思うこと ・・・ 生きる方 ( かた{ 方向 & 型(構え) } )は ?

2012-04-11 05:37:57 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
おはようございます。こちらあやかし@普通びと。( 普通の、その辺のおばはん という意味 )

普通の女の子に戻りたいと言ったのは キャンディ―ズでしたかしらん? 
その方々も普通で終わったわけではなかったかも知れないのだけれど、それにしても普通のおばはんでいられるという事は、大層幸せなことであると思えます。

ず~~っと、なんだかんだのビョーキを続けてきたワタクシではありますが、一番ハードだったのが、十年前くらいですか?こころの病気を得た時であります。

あの頃の事を思いだすとき、それは思いだしたくもない苦しい思い出なのですが、だからこそ、只今、この普通(より恵まれているかも?)の生活ができるワタクシがとてもありがたいのです。サクラの花を愛でながら、ただ、ららこさんと一緒にお散歩できるワタクシが誠に誠にありがたいのです。
『 こころのビョ―キ 』
ご存知ないでしょうけれど、心を病んで薬を頂くとこれは結構一生ものなんです。大体、病院の先生も、患者さん達も異口同音に、『 薬をやめてはいけない 』といいます。

しかしながら、ヒトにもよるとは思いますが、ずっと同じ薬を続けていると、自分の中にその薬に対する抗体ができて、5年もすぎれば効かなくなって、次なる薬 次なる薬と、変化していくだけで、どんどん症状は重くなっていくように思えます。( まあこれはお医者様の意見をきかなくちゃあわからないんですけどね )
「 遠い カコ 」 ・・・薬を飲んでいるのに・・・
眠れない状態ということはワタシにとって恐怖でした。薬を飲んでいるのに眠れない。
鳥の声が聞こえる。( あ~もう朝だ。とうとう眠れないまま朝を迎えてしまった。)これが二日目。一日くらいなら何とかなる。しかしながら、同じくそのまま、眠れないまま、三日目の朝の鳥の声をきくとそれは恐怖に変化する。( 薬を飲んでいるのに・・・なぜ? )

薬を入れているから、体もいうことをきかない。ある時は、頭の先から足のつま先まで、いらいらするような感覚、またある時はだるくて何もしたくないような、どうでもいい、投げやりな感じ。お布団の中にいても、気持ちよく眠れるわけでもない。漠然とした焦り。苛立ち。怒り。恨み。嘆き。とまあ、ろくでもない感情ばかりが自分の体の中をうごめくわけです。

現代医学の発達を否定するわけではありませんが、それを全面的に信じて薬漬けになることが良いとも思いません。だいたいこころを病むということは こころが枯渇しているわけです。こころを何とかしないかぎり、薬で抑えたところで元の状態になるわけがありません。(でしょうと思います。)
「 ある時 フト ・・・」
ずっと 寝たきりでした。でも、ある時、ふっと思ったのです。
( まてよ、ワタシって、このまま 70歳になっても寝たきり老人なんだろうか? )
( それじゃあ 困る )
( よしっ !!)     
>>>  そこから 闘いの日々は はじまったのでした。 >>>
=== 恩師の言葉 ===
 『 ( 子供たちの為に )這ってでも 行け! 』
 『 鏡をみて 顔を作れ ( 顔 を整えよ。)そして出かけよ。 』 

というような言葉を思いだしたのです。
 鏡を見る。顔をつくる。
(  よし! 大丈夫だ! )

鉛のように重い足を引きずりながら 坂道を下る。そう、イメージを言うならば、奴隷たちが、足に大きな鉄球のついた足かせをはめられ歩いているような感じ。
( 負けるものか!)
( 子どもたちの為に頑張るんだ!!)

ま、そのように思って 坂道をのぼりくだりした日々があったわけです。
<<< しかしながら・・・ <<<
あとあと聞きましたところによりますと・・・
「 ●●さん どうしたの? 」
「 ●●さん どうしたの? 」
「 ●●さん どうしたの? 」 と
親友のおみっちゃんちに何本も電話が入って、その度 おみっちゃんは、
「 更年期障害。」
「 更年期障害。」
「 更年期障害。」 と答えたんだそうです。
やっぱり 役者じゃあないんでね、顔をつくることは至難の業であります。

>>>     >>>
そして何年かたって、子供にも言いました。 「 人殺しをしたわけでもない。泥棒をしたわけでもない。一生懸命に生きています。堂々と胸をはって表にでて生き(行き)なさい。」と・・・。

自分の一番の敵は自分自身で、一番の味方も自分自身で、世間様に問いながら、だからといって完全に迎合するんじゃあなくて、自分らしく生きたいと思う。

>写真は 自宅のあるマンションの散歩道にさいているサクラ。昨日のもの。満開。緑とピンク色のコントラストが気に入っている作品。( シャッター押しただけですけどね )
 恩師の辞世の句
  『 散りぎわは 梅か 桜か 寒つばき 』 
桜の季節にあっという間にお出かけになってしまいました。

ワタシは、恩師に頂いたたからものを大事に受け取って まずは自分育てをしたいと思っています。
「 先生 ありがとう ございます。」

>なぜか また赤い字になりました。なぜ こうなるんでしょうか?わかりかねます。





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こころ ・ 精神 ( たましい ) を磨く

2011-10-29 12:12:23 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
人生をずっと長く生き続けていると、そりゃあ いいことばかりじゃあない。
むしろ、苦しいこと・嫌なことだらけといっても過言じゃあない。
いいことなんて 3(いいこと) /100( 嫌なこと ・苦しいこと )位なんじゃあないだろうか?いや もっとかな?言葉の使い方違うけど、千三(せんみつ)?

 
たぬきちからメールが届いた。( どうもです。)
その中に、こころを惹かれる恩師の言葉が書いてあった。すぐに忘れるので記録しておこう!

+++   +++
上原『 もっとわかりやすく言うと、我々は、「精神」という言葉を使う。「精神」っていうのは、生きている間だけもっているなんていうことじゃないんだよ。
「精神」って、あれ、神様っていう字を書いてあるじゃないか。「神様」を詳しくすること、「精米する」って、お米を食べられるようにする、あれを「精米」って言うだろう。「米」書いて、「青い」って書くわけよ。「米をどんどん青くすると、そうしたら、つやつや光ったものができてくる」と、それが精米だろう。
精神っていうのは、人間の心をどんどん磨き研いでいくと、精神が生まれる、神様が見えてくるはずだっていうのが、精神ですよ。』

・・・???合宿の記録か?ちょっとわからず。???

 同じような例えだけれど、ダイヤ(原石)を磨くということは、傷をつけるということ。沢山傷をつけて、ダイヤモンドは、ひかり輝きだす。( カットという言い方もするけど )
おなじように、傷ついて、傷つけられて・・・こころは光りだすんだと・・。
<<<   <<<
傷ついてなんぼ、傷つけられてなんぼ・・・なんだけどね。だけど・・・なかなかね~ そこから立ちあがる & たち直るのってそんなにも簡単なことじゃあない。

ワタシはいつだって満身創痍状態である、・・・と思う。
ダイヤに例えるならば、磨きそこない、っていうんですかね? それ!
屑ダイヤ って言い方もできるかも?
> 屑・・・( う~~~ん )・・・屑カゴ・・・ 屑屋さん・・・屑糸・・・( う~~~ん )
   「 星くず 」 星屑がいいな~ 何となく きれいだもの。
  そうだ!星屑だの、宇宙のチリだの集めて また 美しい星作るもんね~。( こんちきしょう )

そんなこんな、なんだかんだ、すったもんだ、・・・しているうちに・・・

日本には 八百万(やおよろずの)神様がいるわけで、どなたかしらは、お助け or お迎えにきてくださるんじゃあないだろうか?
ま、そんな事を思う今日このごろです。

>写真は、この度 児童の言語生態研究会から出版( 平成 23年 7月 7日 )された 上原輝男先生のことだま。『 続 感情教育論 』 
 先生の没後、弟子たちが こころを砕いて作りあげた 一冊。定価 2600円。
 ( ごめんなさい、ワタシはまだ ちゃんと読んでいません。)

> 「 美しい星 」http://www.youtube.com/watch?v=R8iMNc67NIk
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児言態 「 イメージ運動の再起動  」 by たぬき先生

2011-03-31 06:40:53 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
恐らく 大事な教育の根幹になるもの。
ワタシには、うまく説明ができないのだけれど、『 児童の言語生態研究会 』に所属している たぬき先生(= たぬきち )のHPの中に学習会だよりのコーナーがあって、そこに教育に大事だと思える記事があったので、それをそのまま頂いてきました。そのコーナーは時々、入れ替えが行われるので、リンクをしていてもどこかに行ってしまう?んです。

その記事には、ワタシの恩師でもある、上原輝男先生の言葉が書かれています。ワタシには難しいことはわかりませんが、生きるヒント、子供を育てるヒントになると思います。そして、それは、私達大人にだって十二分に使えそうな、生きる知恵だと思います。

ワタシ自身、二十歳すぎまで、ずっといつも不満に感じていたことは、これだったのではないだろうか?思っています。
(小)中・高・大の時代、現実対応ばかりを追い求めて、体が全くといっていいほど鳴らなくなっていましたから・・・。そのことを研究会に所属していた時代に、上原先生に指摘して頂きました。当時はなんのことやらよくわからなかったのですが、二人の子供の子育てをして、やっぱりこっちだったんだと反省しきりです。

多分、ワタシは、これまでの人生、他人のせいにばかりして、自分が、自身を、本気で生きていなかったんだと思います。

>ちょっと、補足つけたしの上原先生のご紹介・・・ウルトラマンの生みの親、金城哲夫氏の恩師でもある。ウルトラマンの発想は、上原先生の、そのまた恩師の折口信夫さんの「 まれびと論 」から きているらしいです。難しいことはわかりませんので、たぬき先生に聞いてください。

>>> イメージ運動の再起動 -東北関東大震災 復興に向けて- H23,3-4 byたぬき先生 >>>

平成23年3月11日、日本人にとってずっと忘れられないような大災害が起きてしまいました。多くの人たちが当たり前だと思っていた日常から放り出され、いまだに大変な生活を送っています。

心の世界もズタズタになり、これからの生活をどうしたらいいのか、全く考えるゆとりも力も出ない状態になっています。

 私が所属している児童の言語生態研究会では長年イメージ運動について研究してきたのですが、その主要なテーマの中に「イメージの裁断と継続」というのがあります。これは主宰であった上原輝男先生ご自身が若い時に広島で被爆された体験に原点があるように思っています。一瞬にして自分をとりまく世界が崩壊した・・・その中から如何に人間は人間としての心や生活を取り戻していったのか・・・その心の働きのカギが「イメージ運動」にあったのだろうということです。

 そこでこれからの復興に向け、まず自分の内側から再起動していくためのヒントとして上原語録から言葉をひろってみました。

*現実いっぱいの子ども逹は「壁にぶつかった」そうしたらこの壁を抜けないですよ。だけどイメージ力のあるやつは突き抜けていく。現実の時間・空間とは違う世界に入っていけるんですよ。『ああ、この子は新しいイメージの世界に入ったんだ』と、これでいいんですよ。・・・だから人間ってやつはいつでも時間・空間の継続と裁断を行いながらイメージを展開させているわけ。           (平成七年合宿)

*停滞したときにどう脱出していくか、そういう状態になった時にどうしてもう一度復活させればいいのか・・・なに、簡単なことなんだ。答えを言うと『イメージ運動の復活』なんだよ。つまり『予見』『邂逅』『祈祷』『没我』『瞬起』これがパッと復活すればイメージは再び動き出す(平成5年 合宿より)

これを読んだだけでは今一つ具体的に分からないかもしれません。それは仕方のないことで、「説明を読んで方法を知る」というのはイメージモードではなくて、知識・思考モードが優先して動くわけですから、「頭では分かっても心の奥底には響いていかない」のです。

 ただ、みなさんの年齢だと、こうしたことを「理解」しておくこともイメージが素直に動き出すための潤滑油のような働きをするので先ずは説明文っぽい言葉を紹介しました。


大人でも深いトラウマを背負った今回の出来事、大事なことの一つに「我慢しすぎない」というのがあります。それに関係あることを上原先生は次のように話しています。

*トトロがそうだったじゃないか。「もしもお母さんがなくなったら」ってワーって泣き出す。上手につかまえていたよね。だからああいうふうにイメージが展開しだすと、もう押さえがたいのね、子どもは。それは知的な展開よりもイメージ力。あれがイメージ力なのね。子どもにとってあれがバイタリティなんだから。だからそれがいい方向で動き始めるようになればこんな強いものはないってことですよ。

 現実対応の仕方ではないんだっていうこと。大事なのはそのイメージ力がどう出るかってことなので、一つのものが出始めたら、誰が何と言おうがダーッと止まらないというのが人間の持っている自分自身のものだから。いのちだもの。

 僕自身、正直に告白するとね、弱くなったなぁって気がしているのよ。子どもの時の事思うとイメージ力が弱くなってるなって思う。僕は子どもの頃にはね、笑われるかもしれないけど僕にイメージがわいてくるとね、体が震えたよ。体が震えるのがよくわかった。つまり、何か『もののけ』が乗り移るっていうのがわかる人間だったのよ。(平成六年合宿)

このサツキにシーンに通じる他の宮崎アニメだと「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」にもありましたね。一生懸命に我慢していたのが我慢しきれなくなって感情が一気に流れ出す。そうすると自然にイメージ運動が再起動します。

 極度の緊張状態で気がはっている時には涙は出ません。

>写真は、マンマミーヤが卒業式に頂いたお花 
 お題 『 送られし 花 』

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夢をみたんだ

2011-03-18 11:27:00 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
朝方 夢をみたんだ。
夢というのは奇妙で 何なんだ?みたいな感じなのだけれど・・・。
>>> たぬきちのこと >>>

茨城県で被災した、たぬきちとは固定電話が通じる。マンマミーヤの大学合格のお礼の電話をかけたのがついこの間。教育に関する見解の違いでケンカ別れみたいになったが、それ(お礼の電話)をきっかけに復活した。ワタシは酔っぱらったおっさんみたいに喧嘩っぱやいのだし、たぬきちは学者タイプで、喧嘩を好まない。そしてお互いに譲れないものがあるのだと思う。
たぬきちの家は被災して、あちこちめちゃくちゃになっているらしい。唯一あった石油ストーブもひっくり返り、暖をとるというより、危険物に変身したみたいだ。

そのたぬきちは、被災したその晩だったか?上ちゃん(ワタクシ達の恩師、上原輝男先生)の夢をみたらしい。たぬきちもよくは覚えていないらしいのだが、その上ちゃんに夢の中で言われたことは、
「 こんな時こそ 勉強をしなさい。」 だったらしい。誠に、先生らしいお言葉であると思う。
 。。。ところが。。。
今朝がたみた、ワタシの夢にも、上ちゃんがでてきたんだ。お亡くなりになって以来、ワタシは上ちゃんの夢をみたことがない。( と記憶している。)
ところが、今朝、夢に出てきたんだ。
夢は大体わけわからんものであることが多い。場所はどこだかわからないが、ワタシは上ちゃんに指示されて?やってくる方々のお接待をしている様子だった。それから ヒトを探して、何だか居酒屋みたいなところを尋ね歩く。

何だかんだしていると、なぜか、外国人に ナンパされる。( ここは若い時のワタシなのだろう )で、めちゃくちゃ片言の英語で、
「 あんな~ そんな暇 あるかいっ! こっちとら 平和の為に 闘っとんじゃあ。おとといきやがれ!!」
みたいなことを言ってる風だった。あまりの勢いに自分自身がびっくりして目がさめた。もちろん、そんな英語を喋れるわけもないのだが・・・。
なぜこのような夢をみたのだろう? 多分、ワタシはこころの奥底のどこかでは、ひたすら平和を願って生きているからなのだと思う。

原爆が落ちた、あの65年前のヒロシマの街の光景にも似た東北地方の状況を目の当たりにして、ワタシは再び恩師に叱られたような気がしたのだ。
『 君たちは 一体何をしているのだ。しっかりしなさい。』と。
+++  +++ 
 何かをしなくてはならないのはわかる。だけど 何をすればいいのだろう?平和とは 一体何なのだろう?戦争はなぜ起こるのだろう?

+++ ヒロシマ 『 慰霊碑 碑文 』のこと +++
碑文論争 [編集]原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「 安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから 」と刻まれている。

この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。

この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。


ヒロシマの原爆の被爆者であった、恩師 上原輝男先生の言葉は厳しかった。「 過ちはくりかえしませぬから 」と書いてあるけれど、有史(恐らくこの字)以来、戦争のなかった時代などなかったではないか。( 即ち、過ちはくりかえすものであると。)
しかしながら、原爆のような悲惨な状況下においても生き残るものは必ずいる。君たちは その子供たちを育てなくてはならない。

当時まだ、若かったワタシは、この言葉は被爆をしたヒトが言うならばまだ、許されるとは思うが、そうでないものがこんな事を言うことは、許されるものではないだろうと思った。

今、このような東北の地震や福島の原発の様子をみると、誠に、その通りであると思わざるを得ない。自然の完膚なきまでのすざまじい勢いの前では、なすすべのない人間の非力を思う。

しかしながら、被災者の方々の老若男女を問わず、今を生きている姿を見る時、いろいろなことを教えられる時、ワタシはワタシで自分のできる精いっぱいのことをしなくてはならない。

小さな単位で考えると、60年ごとに歴史はくりかえしていく。戦後 65年 物質の豊かさを追い求めてきた時代は終わり、これからは、こころの豊かさを問う時代になっていくのだろう。本当の豊かさとは何なのか?自分に問いかけながら、今日を生きようと思う。


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そんな所に 答えがあったのか?

2010-08-14 08:00:18 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
ブログ開設以来、毎年八月にUPしてきた、恩師のご著書 『 忘れ水 物語 』
(→被爆体験を元に描かれた 上原輝男先生の世界 )

( ご興味のある方は、先ずは2005年の八月六日へ 。再 スタートは2006年、の八月六日に飛んでください。)
>>>    >>>
今年は、田舎(実家)に帰って、時間がたっぷりあるだろうから、その間に、今年UPする予定の章を全部仕上げようと考えていた。しかし、姉のパソコンを操りそこね、自分のブログなのにもかかわらず、アクセスできなかった。( なんでだろう? )
だけど・・・UPできなくなった理由はそれだけじゃあない。
出雲への旅 ~ 出雲大社のお国かえりとも呼ばれるお祭りへの参加 ~ 霊能者と呼んでいいのかな?そういう方々との対話 ~ そのねぇや、「 木馬 」の人々との対面 ~ 八月六日の広島・原爆ドームに集まった人々 ~ 実家の家族との対話 ( 両親のこと、姉との昔話、)村祭りにきていた、ファミリー楽団 ~ 姉との二人旅( たった数時間だけどね ) ” 広島 & 宮島 ”・・・ などなど・・・。

なんだろう?あまりにも 多くの出来ごとが駆け足で過ぎていったからなのか?考えなくてはいけないことが多すぎて、自分の中で収拾がつかなくなってしまった。
例えば、自分の主義・主張と、自分の実態、これを出来得る限り近づけていかなくては、その主張は空論でしかない。

先人に頂いた,『 平和 』について考える。どうしたら日本の国が、平和で 幸せでいられるのだろうか?

その大きな課題にむかうにあたって、多分だけど、一番重要というか、基礎というか、元になることがわかった。
それは おそらく 先祖供養   なのだと思う。
もしも、嫁いだ女性であれば、嫁ぎ先の両親を大切にし、先祖を祭らなくてはならない。
もしも養子にでかけたのであれば、その先の両親を大切にし、先祖をまつらなくてはならない。

何だか、占い師のカズちゃん( 細木○子 )みたいだけれどやっぱりそこにたどり着くように思う。
 < 実は・・・出雲の宿で、観音様の声が聴こえるという女性に出会った >
じゃあというので、たのまれていたこともあり、マンマミーヤのことを尋ねる。
観「 親を恨んでいるからよ。 」 「 子供がうまく育たないのは、親を大切にしないから。」
 ” 一刀両断 で 姫 晴天の霹靂 ”
姫 ( そんな 簡単〈 じゃあないけれど 〉・・・なことだったんですね。)正直申せば どこかでは、やっぱりな、っていう思いもあった。
>占い的に考えても・・・ 
「 子供の病気は 両親のせいである。」
 と考える。
世の中で事件をおこしている若者( 何歳までを若者と呼ぶのかは?ちょっとわからないけれど )は元を正せば、みな親のせい。(らしい)

よくよく、冷静に、自分を見渡せば、親と同じことをやっているのだ。実家でも、嫁ぎ先でも。どこかで、誰かが、そのことに気づき、「 負の連鎖を断ち切る努力をしなくては この、同じように繰り返して行くスパイラルの中からはぬけだせないだろう。」

両親のよいところを頂く。悪い所は改善していく。少なくとも頂いた ”いのち ”を大切にする。恨みごとは すっぱり 河に流せるように 気持ちの切り替えを早くする。

恨むことはよした方が身の為だ。自分がやっていたからよくわかる。ろくなことにならない。いつまでも地獄の中をぐるぐる這いまわるだけ。
 もっとも・・・
地獄を、限界近く(以上に)、ぐるぐると這いまわったから、地獄で仏に会った時に、
 ( あッ ほとけさまだ! ) って分かるんだと思うけれど・・・。
恨みごとに向けるエネルギーがあるならば、それを自身の、プラス方向へのエネルギーに変えることだと思う。相手を鏡にして、自身を変化させる(= 相手より器を広げて行く努力をする。度量を広げる。)多分 そのことによって眼前が開けてくるように思う。
できているわけじゃあないんで、偉そうでごめんなさい。ですけどね。

「 がんばりませう! 」
「 あなたさまも 頑張ってくだされ! 」

そうそう、出雲で、このブログにアクセスしてくださっている方の、お幸せ祈ってきましたから、きっと大丈夫! 

姉さんに、介護の仕方を習った。オムツ一つ替えるにもこつがあるんですね。家族や世間様にお習いすることは沢山あると思う。

では、とうちゃんの実家 ( 先祖供養と親孝行 するつもり )と、家族旅行に行ってきま~す。  

>写真は 2010 ・ 8 ・ 6 。 HIROSIMA 。 原爆ドーム 。

>そのねぇへ・・・四人目の介護、そのねぇだからできるんだろうな~。と思う。ワタシには逆立ちしたってできない。あの 『 木馬 』の、ふところの深い、暖かい雰囲気は、人生のある意味「 負 」の部分を沢山越えたから醸し出せるんだろうな~って思いました。

>てつ兄さん・・・いつかね、延々 木馬カウンターで、語り合えるといいね。そうそう、トンボさんがご馳走してくれた、コーヒーゼリーのアイスに乗かっている、何だっけ?モカ・何とかっていう?リキュール? おいしかったよ。

注)モカ何とかのかかっているアイスとコーヒーぜリーの絶妙な味のハーモニーが・・っていうこと。多分コーヒーゼリーは夏場しか食べられないと思う。













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