昨日行く 病院。Sちゃんにコーヒーとお砂糖、そして電池を届けた。電池は急だったので無理だと思ったが、走って買いに行ってなんとかバスの時間に間にあった。
院内 おばあさまたち、空(くう)を見つめていつものように座っている。見たこと無い若い女の子一人。Iちゃん私を見つけて喜び、すぐにSちゃんを呼びに行く。
ジャパンがパンやさんから持って帰ってくれたハロウィーンのマフィンが、丁度二つあったから「おやつの時間に食べてね。」と言ってさしだす。Iちゃん喜ぶ。甘いもの好きなんだ。
12/23日に 教会で行われるコンサートに連れて行ってほしい、という要望があった。一応この件 了承。●●家になにごともなければ・・・。
でも、元子どもたちのピアノ先生のクリスマスコンサートと思いきっりかぶってしまった。こちらは時間に間に合うようだったら短くても参加したい。
+ 早々にきりあげて 違う病棟に・・・
前々から気になっていた金ちゃんの面会をお願いする。簡単に会えると思っていたが私は家族ではない。ただの友達だ。こういう病院は外部の人間に対して神経を使う。それは当然なんだ。なぜならば、その訪問によって患者の病状が悪化することがあるからだ。
正式には 家族の了解と先生の許可がなければ、友達だろうが何だろうが面会は許されないのだ。
やさしそうな目をしたおばあちゃん看護婦さんが私に聞いた。
「娘さんですか?」(えっ?)「私は・・・・。」
何とかおばあちゃん看護婦さんの心遣いによって面会が許される。家族の同意なんて求められたならば絶対に会えなかっただろう。
私と金ちゃんは、何歳ちがいだったか忘れてしまったが、そんなに親子に間違えられるほど年齢差はない。だが金ちゃんを見たとき、親子に間違えられたわけがわかった。
入院していること自体病状が重いことは、頭では承知していたのだけれど、実際に会うのとでは大きなへだたりがある。金ちゃんは去年の八月に会ったときの金ちゃんとは全く別人だったんだ。
それを見たとき 思わず涙が浮かんだ。だが病人を見舞う時に涙は禁物だ。その涙を思いっきり飲み込む。変な表現だけどそんな感じ。私はやっとここに来て、それが何とかできるようになった。
>(ここから らしいをつけて お読みください。)
話す。病気のこと。私は金ちゃんのことはよくは知らないのだけれど 頭がいい。資格も沢山持っている。だから某会社を首になったあともすぐにお仕事はみつかった。前の会社では書類を捏造するように言われた。それを断って首になったんだ。
でも 「お天とうさまの方まっすぐ見て歩きたい。」ってそんなこと言ってた。私たちの年代より上なんじゃあないかな?こんな発想する人達って・・・?
金ちゃんは働き始めて睡眠が減った。早く新しい会社に慣れようとして頑張ったんだ。眠れないことがあって薬を増やしてもらおうとしたんだ。そんなに深く考えてのことではなかった。
そこから具合いが悪くなった。彼には休息が必要だったんだ。2~3週間で退院の許可が下りた。ところが家族が引き取りを渋った。家族と言っても奥さんなんだけれど。
子供達は金ちゃんの病気のことを知らない。奥さんが隠し通した。私が奥さんを尊敬するのはその点。まあもう子ども達は独立しているからそれも可能だとは思うけれど・・・。
そんな奥さんがなぜ 引き取りを渋ったのかその点がどうしても分からなかった。
「どうして? 金ちゃん 暴れたの?」 「・・・。」
そんなこと微塵も考えられない人なのに・・・。(私がやったというんなら、わかるけどね。)
金ちゃんは言った。「 先輩だった ●●さんの・・・こえが・・・。」
「そうなんだ~」
この点は実は私にはわからない。こういう人達がいることは知っている。やさしい人には聞えるんだと思う。やさしい人をたよって闇の国からメッセージが届くのだろうと思う。
私にわかること、それは薬をいれると体の自由がきかないということ。自分の体なのに自分の体ではなくなるんだ。思考さえもコントロールできない。睡眠は脅かされ眠れぬまま、夜が明け ぼーっとしたままの状態で仕事をこなさなくてはならない。多重人格者になることだってありうることだろう。
人様には 無能よばわりされ ずっと闇の中に沈んでいなければならない。体が見た目普通人と何らかわらないから余計苦しさは増すんだ。
そして 普通人は自分には理解不可能なその闇を恐れる。だから薬を飲ませ眠らせ、それでことたれりとするんだ。私はよい先生に恵まれた。今があるのはその先生のおかげ。こころを病んでいる人は薬を欲してるのではなく話を聞いてほしいのだ。そう思う。
そして自分の中にある「トラウマ」(たぶんそんなもの)をすこしづづ解消していくのが大切なんだろうと思う。
私は、自己確立ができている大人ならまだしも、子どもがこのこころの病にかかったとき立ち直るのには相当な苦労と努力と忍耐が、本人にも家族にも要求されることだろうと思っている。
子どもには偏差値をおしつけてはならないんだ。親の価値観を押し付けてもいけないんだ。そんなことを思う。
信じてほしい伴侶に信じてもらえない苦しさ 実態を見てはいないからなんともいえないけれど 返す言葉が見つからなかった。金ちゃんはそっと親ゆびで両目の涙をぬぐった。
激動の昭和の経済を支えてきたのはこんなまっ正直なおじさん達かも知れない。
白髪のおじさ~~ん、はげのおじさ~~ん、今わかるさぁ~。あんたらがいて 今の日本があるんだ。負けたらいけんよ。自殺したって浮かばれんけえね。
帰り道 声 にならない 無力さを感じた。
私はサングラスの中で泣いた。
>PHOTO・・・
お題・・・「 それでも 青空へ 」
たった ひとりの わたしが まず 立ち上がろう!
院内 おばあさまたち、空(くう)を見つめていつものように座っている。見たこと無い若い女の子一人。Iちゃん私を見つけて喜び、すぐにSちゃんを呼びに行く。
ジャパンがパンやさんから持って帰ってくれたハロウィーンのマフィンが、丁度二つあったから「おやつの時間に食べてね。」と言ってさしだす。Iちゃん喜ぶ。甘いもの好きなんだ。
12/23日に 教会で行われるコンサートに連れて行ってほしい、という要望があった。一応この件 了承。●●家になにごともなければ・・・。
でも、元子どもたちのピアノ先生のクリスマスコンサートと思いきっりかぶってしまった。こちらは時間に間に合うようだったら短くても参加したい。
+ 早々にきりあげて 違う病棟に・・・
前々から気になっていた金ちゃんの面会をお願いする。簡単に会えると思っていたが私は家族ではない。ただの友達だ。こういう病院は外部の人間に対して神経を使う。それは当然なんだ。なぜならば、その訪問によって患者の病状が悪化することがあるからだ。
正式には 家族の了解と先生の許可がなければ、友達だろうが何だろうが面会は許されないのだ。
やさしそうな目をしたおばあちゃん看護婦さんが私に聞いた。
「娘さんですか?」(えっ?)「私は・・・・。」
何とかおばあちゃん看護婦さんの心遣いによって面会が許される。家族の同意なんて求められたならば絶対に会えなかっただろう。
私と金ちゃんは、何歳ちがいだったか忘れてしまったが、そんなに親子に間違えられるほど年齢差はない。だが金ちゃんを見たとき、親子に間違えられたわけがわかった。
入院していること自体病状が重いことは、頭では承知していたのだけれど、実際に会うのとでは大きなへだたりがある。金ちゃんは去年の八月に会ったときの金ちゃんとは全く別人だったんだ。
それを見たとき 思わず涙が浮かんだ。だが病人を見舞う時に涙は禁物だ。その涙を思いっきり飲み込む。変な表現だけどそんな感じ。私はやっとここに来て、それが何とかできるようになった。
>(ここから らしいをつけて お読みください。)
話す。病気のこと。私は金ちゃんのことはよくは知らないのだけれど 頭がいい。資格も沢山持っている。だから某会社を首になったあともすぐにお仕事はみつかった。前の会社では書類を捏造するように言われた。それを断って首になったんだ。
でも 「お天とうさまの方まっすぐ見て歩きたい。」ってそんなこと言ってた。私たちの年代より上なんじゃあないかな?こんな発想する人達って・・・?
金ちゃんは働き始めて睡眠が減った。早く新しい会社に慣れようとして頑張ったんだ。眠れないことがあって薬を増やしてもらおうとしたんだ。そんなに深く考えてのことではなかった。
そこから具合いが悪くなった。彼には休息が必要だったんだ。2~3週間で退院の許可が下りた。ところが家族が引き取りを渋った。家族と言っても奥さんなんだけれど。
子供達は金ちゃんの病気のことを知らない。奥さんが隠し通した。私が奥さんを尊敬するのはその点。まあもう子ども達は独立しているからそれも可能だとは思うけれど・・・。
そんな奥さんがなぜ 引き取りを渋ったのかその点がどうしても分からなかった。
「どうして? 金ちゃん 暴れたの?」 「・・・。」
そんなこと微塵も考えられない人なのに・・・。(私がやったというんなら、わかるけどね。)
金ちゃんは言った。「 先輩だった ●●さんの・・・こえが・・・。」
「そうなんだ~」
この点は実は私にはわからない。こういう人達がいることは知っている。やさしい人には聞えるんだと思う。やさしい人をたよって闇の国からメッセージが届くのだろうと思う。
私にわかること、それは薬をいれると体の自由がきかないということ。自分の体なのに自分の体ではなくなるんだ。思考さえもコントロールできない。睡眠は脅かされ眠れぬまま、夜が明け ぼーっとしたままの状態で仕事をこなさなくてはならない。多重人格者になることだってありうることだろう。
人様には 無能よばわりされ ずっと闇の中に沈んでいなければならない。体が見た目普通人と何らかわらないから余計苦しさは増すんだ。
そして 普通人は自分には理解不可能なその闇を恐れる。だから薬を飲ませ眠らせ、それでことたれりとするんだ。私はよい先生に恵まれた。今があるのはその先生のおかげ。こころを病んでいる人は薬を欲してるのではなく話を聞いてほしいのだ。そう思う。
そして自分の中にある「トラウマ」(たぶんそんなもの)をすこしづづ解消していくのが大切なんだろうと思う。
私は、自己確立ができている大人ならまだしも、子どもがこのこころの病にかかったとき立ち直るのには相当な苦労と努力と忍耐が、本人にも家族にも要求されることだろうと思っている。
子どもには偏差値をおしつけてはならないんだ。親の価値観を押し付けてもいけないんだ。そんなことを思う。
信じてほしい伴侶に信じてもらえない苦しさ 実態を見てはいないからなんともいえないけれど 返す言葉が見つからなかった。金ちゃんはそっと親ゆびで両目の涙をぬぐった。
激動の昭和の経済を支えてきたのはこんなまっ正直なおじさん達かも知れない。
白髪のおじさ~~ん、はげのおじさ~~ん、今わかるさぁ~。あんたらがいて 今の日本があるんだ。負けたらいけんよ。自殺したって浮かばれんけえね。
帰り道 声 にならない 無力さを感じた。
私はサングラスの中で泣いた。
>PHOTO・・・
お題・・・「 それでも 青空へ 」
たった ひとりの わたしが まず 立ち上がろう!