帳づけは、この検番が戦争で閉鎖されるまで、毛筆でなされたから、超大型の硯があり、その硯の水が乾いているのを見たことがない。そのわきには、いわゆる大幅帳が広げられ、その中には、子どもでも読める簡単な字が何回となく書き連ねられていた。私は勘で、それが何をあらわしているのか分かっていた。花、菊、梅など植物名が多かったが、丸の字や若の字も多かった。つまり、芸者の名と、花代を記し、料亭待合名がそれを区切っていたのである。
私が小学校で習字が得意であった理由も、実は就学以前より、ここで芸者の名を判読し、帳づけを真似た手習いが効を奏しているにちがいなかった。
私のこの芸者の名判読のために、学習用具がわりの役割を果したものがある。
その大きな机の前方に置かれた芸者の出勤着到盤である。芸者ひとりヽの名前が黒塗りの方形の駒の上に、白いエナメルで美しく書かれたのが、その着到盤の一番下段に並んでいる。これが、お座敷がかかると、適当な上段の欄のところに散らばり始めるのである。最高上段は「仕切り」、二段目は「通し」の欄で、そこに上がってしまうと、あとは電話がかかってきて、電話番が、その名をいくら復唱しようとも、その駒は、全部の駒が改めて最下段に並べ替えられるまで、他の欄に移し変えられることはなかった。次の三段目は「普通」で、この段に上がっている芸者には他からのお座敷から「貰い」ががかった。つまり交渉によってお座敷を移ることが出来る。もちろん、この盤上の動きが、芸者の出勤状況を示したレーダーであり、検番のまさしく目に当たる道具であることに気づいたのは、そう早いことではない。
この盤上の動きに集まる芸者たちの目も、検番の男衆たちの目も、それぞれに異様なことを私は知っていた。それだけに、検番の中で、私にとって一番興味のあるものであったけれども、この道具の使用方法を説明してくれとも言えなかったし、また、誰も子どもに教えようなど、たわむれにせよ思わなかったろう。私は検番にせっせと通って、この盤上に注がれる芸者や男衆の表情と、小耳に挿む会話のやりとりから、この道具の正体の見極めをこつこつと独習したのである。
私が小学校で習字が得意であった理由も、実は就学以前より、ここで芸者の名を判読し、帳づけを真似た手習いが効を奏しているにちがいなかった。
私のこの芸者の名判読のために、学習用具がわりの役割を果したものがある。
その大きな机の前方に置かれた芸者の出勤着到盤である。芸者ひとりヽの名前が黒塗りの方形の駒の上に、白いエナメルで美しく書かれたのが、その着到盤の一番下段に並んでいる。これが、お座敷がかかると、適当な上段の欄のところに散らばり始めるのである。最高上段は「仕切り」、二段目は「通し」の欄で、そこに上がってしまうと、あとは電話がかかってきて、電話番が、その名をいくら復唱しようとも、その駒は、全部の駒が改めて最下段に並べ替えられるまで、他の欄に移し変えられることはなかった。次の三段目は「普通」で、この段に上がっている芸者には他からのお座敷から「貰い」ががかった。つまり交渉によってお座敷を移ることが出来る。もちろん、この盤上の動きが、芸者の出勤状況を示したレーダーであり、検番のまさしく目に当たる道具であることに気づいたのは、そう早いことではない。
この盤上の動きに集まる芸者たちの目も、検番の男衆たちの目も、それぞれに異様なことを私は知っていた。それだけに、検番の中で、私にとって一番興味のあるものであったけれども、この道具の使用方法を説明してくれとも言えなかったし、また、誰も子どもに教えようなど、たわむれにせよ思わなかったろう。私は検番にせっせと通って、この盤上に注がれる芸者や男衆の表情と、小耳に挿む会話のやりとりから、この道具の正体の見極めをこつこつと独習したのである。