こんちにちは~あやかし@です。
あやかし@はこのところ、忙しい。
お菓子工場のパートには何とか慣れた。2日の日には、人身事故に巻き込まれ、工場に遅刻しそうになったから、慌ててとうちゃんに電話をして、夕寝の寝入りばなを起こし、車に乗っけてもらってぎりぎり工場に到着した。助かった。
電車とホームの隙間に落っこちた人を初めてみた。( 乗りそこなった(=跨ぎ[またぎ]そこなった)のだろうか?)遠目にチラッと見えたその方は、線路上”くたっ”って倒れたお人形のようで、ぴくりともしなかった。
仰天だったが、
あやかし@仕事人は、パートといえども仕事人を自負しているので、その方の心配よりも自分が仕事に遅れることを心配してしまった。その人に対して、その姿を見るまでは(何やってんのよ!)みたいな感情も湧いていた。
で、そういう冷たい自分を発見したことも驚きだった。
ワタシは本来は、時間通りに事が運ばないのが嫌いな性格。昔から時間にルーズな人は嫌いだし、信用しないようなところがある。
とうちゃんはその典型だった。二十数年間、送り迎えの時間、待たされっぱなし、の印象。”人の時間を何だと思っているのよっ!”っていうのがいつも思っていたこと。二十数年間は、やっぱり長い。
しかしながら、最近はルーズにしないと、こっちが疲れることがわかって、こっちも結構だらしなく過ごすことが多くなった。
このところ、車(→ あやかし@は例の銀の馬車はハイテクすぎて乗ることができない)の送り迎えがなくなって、イライラがなくなった。
考えたてみたら、二十数年間、家族の送り迎えをするのに、一番近くの駅だとしても、一人1回につき最低でも25分位(駅待ち時間を含む)かかっていたわけで、一日トータル、2時間くらいは割いていた。
実際は、二駅、三駅 むこうだったりもしたからもっと大変だったし、ぶっ飛ばし運転をせざるを得ない状況( 会社に遅刻するでしょ!)もあったし・・・。
しかも深夜&早朝、この送迎に時間を割いていたわけでね。タクシー代に換算したら、一体いくらになるんだい?って思う。
自分じゃあ、よく頑張ったと思うなあ~。
時間にせよ、お金にせよ、使い方の感覚の違いっていうのは、結婚生活や友達間において結構な摩擦やズレを生じるものだと思う。つまらないことだと思うかもしれないけれどね。
これが、価値観の不一致だとか、性生活の不一致だとか、という問題になると、それはそれは大きな問題だと思うわけでね。・・・。 驚きなんだけれど、こういうこと(=価値観の不一致、性生活の不一致など)を占いで計算できるんですよ。
まだお習いしていないけれど、個々の人が、どんな因縁を背負って生まれ出たか?っていうことも恐らくわかるのだろうと思う。
>もどり・・・駅の状況・・・
あの隙間から、どのようにして救出したのかはわからないが、この先、電車に飛び乗ったりしないようにしなくてはいけないな と思った。
注)駅員さんでは救出は無理だったので、救急隊員が6名ばかり出動し、駅前は結構な騒ぎになった。結局のところ、車に乗せてもらって出勤したから、事故後発車まで何分かかったのかはわからなかった。
この間、眠気ざましに、たばこ吸ってからきたのかな?わからないけれど、とうちゃんの送りの車がなかなかこなくて、やっぱりいらついてしまった。こっちがお願いしておきながらね。
でももしもワタシがこの役だったら、相方が仕事に遅れてはいけないから、どんなに眠かろうが、走って駐車場に行き、急いで駅まで直行!って感じになると思うけどね。この辺りの感覚は相当ずれているように思う。
とうちゃんが、
「 俺なんか、人身事故に巻き込まれるのはしょっちゅうだから、「 電車の遅延証明書 」( 正式名 わからず )をもらえば、ちょっとコーヒーショップでお茶飲んで行ってもいいくらいなんじゃない?」的な発言をするものだから、カチン ときた。
( あのね、こっちとら、パート始めたばっかりで、最初から遅刻するわけにはいかないんだから・・・。真面目だけが取り柄みたいなところあるんだから・・・。)
それでも、しっかり運転してくれたとうちゃんのお陰で、工場に入り、タイムカードを打つのが、予定時刻ぎりぎりで間に合った。
このタイムガードを押すのは、退社時刻ぴったり●時以降でなければならない。と決められている。だから、例え、みなで協力しあって少しくらい仕事が早く終わったとしても、タイムカードの機械の前で●時になるのをじっと待たなくてはならない。
しかしながら、この機械、実は4分遅れているんだ。
だからワタシは、9分発の電車に乗る為に、気あい入れて、夜道を、ひたすら走った。この日は成功した。(=間に合った)”やっほ!”(こういうバカバカしいこと 好き!)
最後の直線コースは何メートルあるのかな?200メートルくらい?これをひたすら走る。
今は試験勉強(=例の占いの試験)で太らざるを得ない状況が続いているけれど、この試験さえ終われば、東京マラソンなり、三浦のマラソンなりを目指して、がんばるつもり。できれば、乗り換えの場所から自宅まで走りたい。
まあ、それが、近い夢。
いつも、いつも、一人になると、申し訳ないが家族以上に感謝するんだ。神様なのか、仏様なのか、ご先祖様なのかはわからないけれど、オオイナル存在に、
「 元気にしてくれてありがとう!」
「 外を歩けるワタシにありがとう!」
「 外を走れるワタシにありがとう!」。
「 働けるワタシに ありがとう!」 ってね。
あやかし@はこのところ、忙しい。
お菓子工場のパートには何とか慣れた。2日の日には、人身事故に巻き込まれ、工場に遅刻しそうになったから、慌ててとうちゃんに電話をして、夕寝の寝入りばなを起こし、車に乗っけてもらってぎりぎり工場に到着した。助かった。
電車とホームの隙間に落っこちた人を初めてみた。( 乗りそこなった(=跨ぎ[またぎ]そこなった)のだろうか?)遠目にチラッと見えたその方は、線路上”くたっ”って倒れたお人形のようで、ぴくりともしなかった。
仰天だったが、
あやかし@仕事人は、パートといえども仕事人を自負しているので、その方の心配よりも自分が仕事に遅れることを心配してしまった。その人に対して、その姿を見るまでは(何やってんのよ!)みたいな感情も湧いていた。
で、そういう冷たい自分を発見したことも驚きだった。
ワタシは本来は、時間通りに事が運ばないのが嫌いな性格。昔から時間にルーズな人は嫌いだし、信用しないようなところがある。
とうちゃんはその典型だった。二十数年間、送り迎えの時間、待たされっぱなし、の印象。”人の時間を何だと思っているのよっ!”っていうのがいつも思っていたこと。二十数年間は、やっぱり長い。
しかしながら、最近はルーズにしないと、こっちが疲れることがわかって、こっちも結構だらしなく過ごすことが多くなった。
このところ、車(→ あやかし@は例の銀の馬車はハイテクすぎて乗ることができない)の送り迎えがなくなって、イライラがなくなった。
考えたてみたら、二十数年間、家族の送り迎えをするのに、一番近くの駅だとしても、一人1回につき最低でも25分位(駅待ち時間を含む)かかっていたわけで、一日トータル、2時間くらいは割いていた。
実際は、二駅、三駅 むこうだったりもしたからもっと大変だったし、ぶっ飛ばし運転をせざるを得ない状況( 会社に遅刻するでしょ!)もあったし・・・。
しかも深夜&早朝、この送迎に時間を割いていたわけでね。タクシー代に換算したら、一体いくらになるんだい?って思う。
自分じゃあ、よく頑張ったと思うなあ~。
時間にせよ、お金にせよ、使い方の感覚の違いっていうのは、結婚生活や友達間において結構な摩擦やズレを生じるものだと思う。つまらないことだと思うかもしれないけれどね。
これが、価値観の不一致だとか、性生活の不一致だとか、という問題になると、それはそれは大きな問題だと思うわけでね。・・・。 驚きなんだけれど、こういうこと(=価値観の不一致、性生活の不一致など)を占いで計算できるんですよ。
まだお習いしていないけれど、個々の人が、どんな因縁を背負って生まれ出たか?っていうことも恐らくわかるのだろうと思う。
>もどり・・・駅の状況・・・
あの隙間から、どのようにして救出したのかはわからないが、この先、電車に飛び乗ったりしないようにしなくてはいけないな と思った。
注)駅員さんでは救出は無理だったので、救急隊員が6名ばかり出動し、駅前は結構な騒ぎになった。結局のところ、車に乗せてもらって出勤したから、事故後発車まで何分かかったのかはわからなかった。
この間、眠気ざましに、たばこ吸ってからきたのかな?わからないけれど、とうちゃんの送りの車がなかなかこなくて、やっぱりいらついてしまった。こっちがお願いしておきながらね。
でももしもワタシがこの役だったら、相方が仕事に遅れてはいけないから、どんなに眠かろうが、走って駐車場に行き、急いで駅まで直行!って感じになると思うけどね。この辺りの感覚は相当ずれているように思う。
とうちゃんが、
「 俺なんか、人身事故に巻き込まれるのはしょっちゅうだから、「 電車の遅延証明書 」( 正式名 わからず )をもらえば、ちょっとコーヒーショップでお茶飲んで行ってもいいくらいなんじゃない?」的な発言をするものだから、カチン ときた。
( あのね、こっちとら、パート始めたばっかりで、最初から遅刻するわけにはいかないんだから・・・。真面目だけが取り柄みたいなところあるんだから・・・。)
それでも、しっかり運転してくれたとうちゃんのお陰で、工場に入り、タイムカードを打つのが、予定時刻ぎりぎりで間に合った。
このタイムガードを押すのは、退社時刻ぴったり●時以降でなければならない。と決められている。だから、例え、みなで協力しあって少しくらい仕事が早く終わったとしても、タイムカードの機械の前で●時になるのをじっと待たなくてはならない。
しかしながら、この機械、実は4分遅れているんだ。
だからワタシは、9分発の電車に乗る為に、気あい入れて、夜道を、ひたすら走った。この日は成功した。(=間に合った)”やっほ!”(こういうバカバカしいこと 好き!)
最後の直線コースは何メートルあるのかな?200メートルくらい?これをひたすら走る。
今は試験勉強(=例の占いの試験)で太らざるを得ない状況が続いているけれど、この試験さえ終われば、東京マラソンなり、三浦のマラソンなりを目指して、がんばるつもり。できれば、乗り換えの場所から自宅まで走りたい。
まあ、それが、近い夢。
いつも、いつも、一人になると、申し訳ないが家族以上に感謝するんだ。神様なのか、仏様なのか、ご先祖様なのかはわからないけれど、オオイナル存在に、
「 元気にしてくれてありがとう!」
「 外を歩けるワタシにありがとう!」
「 外を走れるワタシにありがとう!」。
「 働けるワタシに ありがとう!」 ってね。