久しぶりに 土曜日に仕事が入った。(シフト)
個別児が二人、計7人を 二人の保育者で観る。
相手の方は久しぶりに出会った学生さん。(=R君)打ち合わせをすることもなく、あとから遅れて個別児をつれて公園まで出かける。B女、途中の坂道で何度も座り込み立ち往生。なんだかんだ言って、誘って、だましだましようやく公園にたどり着く。
そこでは 男子たちのおにごっこが始まっていたが、どうも、個別児に対して厳し過ぎる印象だ。A男(個別児)、ずっと鬼を続けている。
この公園は、急こう配の長い滑り台のついた、人口岩でできたごつごつとした岩山で、元気な男子たちのおにごっこには最適の公園なのだ。しかしながら追いかけても追いかけてもA男には、逃げる子供たちをつかまえることができないような感じがする。
そうこうしていたら、やっぱり大声をあげて泣き始めた。
こちらはB女がけがをしないように後ろからついていき、滑り台の頂上までやっとたどりついたところだったから、B女をR君にあずけ、A男をなだめる。なかなか捕まえることができなくて大泣きしていたのだけれど、それでもやっぱり遊びたいらしいのだ。
R君にこれまでの様子を尋ねる。そこそこ鬼の順番はかわっていたらしいのだが。。。
「 A男と鬼を交代することはできますけど、僕はガチで行きたいんですよ。」(みたいな発言)
確かにそういう気概は大事だ。障害を抱えていようがいまいが、何かに参加するときは、平等なる一個の人なのだ。大人だろうが子供だろうが、弱者だろうが強者だろうが、老人だろうが子供だろうが 一人の人間。自分が無理だと判断したら参加しなければいいだけの話だ。
障害を抱えている子供にはやさしく接するという事は大切なことだけれど、同時に鍛えてあげることも大事だろう。いったん子供同士の遊びの中に参加するのであれば、どこかしらそういった(同等の者である)覚悟のようなものを持って入らなくてはならないと思う。
そこにある、いじわるやある種のいじめのような事、に出会い、それによって強くなれることもあるのだ。泣いてもいいけど、泣いてばかりいてもダメだ。そこを越えていくのは、タダタダ自分しかないないのだ。
いつもぎりぎりの自分の限界点、それをちょこっと超える。泣く。また元気を出して挑む。そうしながら少しづつ少しづつ限界点を広げていくことも大事だ。
だけど、やさしい広い心 言葉かけ それほど力強いものはないのだろうと想像する。まだまだ、そういった境地にはとどかないのだけれども。