早朝、おはようございます。
本日 実家に帰省する。○○家の嫁という立場を考えると、いかがなものか?ということになるが、もう、○○家の嫁などという時代ではないのだ。
もともとじっちゃんのお葬式にいたるまでの期間、とうちゃんのわけわからん伝達のおかげで自分たち( 妻・子供たち )の立場が恐ろしく無視・阻害されたじゃないか!と思うのだ。
ず~~~~っと自分じゃない自分を演じ続けてきて 最後はこれかい?と思うとあほらしくてやってられなくなったんだ。
しかしながら、そこから気を取り直してやってはきたものの、状況というのは全く同じであるということが一昨日だったか?はっきりと理解できた。つまり 奥さんというのは便利なお女中なわけで、それならそれで良しとして、割り切って生きることにした。
義母の容体は全くよめず、そのような病気なのだ。心配をしていないわけでもないし、こうしてほしいと言われれば すっ飛んでいく心づもりがないわけではない。
しかしながら、そこは やっぱり兄弟・姉妹にとっての母親のいのちであるわけで、そこは立ちいることのできない領域であるということは理解している。
他方 私にだって母親はいる。姉妹もいる。今までは 嫁いだならばその家のひととなり、その家の為に活きる的な発想があったけれど、 やめた! だって ○○家の人々は そうではないからだ。
私の中では実家の 父が倒れようと、母が倒れようと、姉が倒れようと 実家には帰れない感があった。とうちゃんの世話は誰がやるの?とこっぴどく叱られたりしたからだ。
とうちゃんは、「 俺は 帰らなくていいのか?」と言ったというが・・・。そのバックにある親たちの、縮みあがってしまうほどの圧力がそこにあって、怖くて帰れなかった。というのが一番当時のわたしの気持ちを言い表しているように思う。
はっきり、とうちゃんは守ってくれなかった。もしくは、とうちゃんは自分たち(夫婦)で小さな家庭をつくりあげようとしなかった、と思うのだ。
倒れるたびに、私を助けてくれたのは、友人たちと、どこからともなくあらわれる不思議おじさんたちだった。
>>>> >>>>
「 おんな三界に家なし。」とは今の時代 死語になりつつあると思う。家族のために泣き寝入り みたいなのももう古い!家はほしければ 手に入れる努力をすべきだ。
せめても、ここではっきりと宣言しておこう! これからは、自分のことは自分でやる!親たちを見送ったならば、とうちゃんだって、完璧リタイヤしたならば、自分のことは自分でやってもらう。
お食事の用意しかり、お洗濯しかり、お掃除しかり、だって それって 人間の一番基本中の基本でしょ?自分の健康は自分で管理する。他人にやってもらうもんじゃあない。だって自分のいのちだ。
同じく 子供たち。
なあなあの依存しあった関係だけはもう勘弁していただきたい。お世話になるなら 社会保障、だってしこたま税金を支払ってきた。
脱出計画は着々と進めなくてはならない。それがただいまの自分を、過去の自分を嘆いたり 人を恨んだりせずに、一番生かしていく方法で有ると思う。とうちゃんの発想は ○○家の発想と全く同じである。奥さんより、自分たち家族の生活より大事なのは姉妹であるのだ。あほらしくて晩年の面倒などみる気など起きない。
去年が甲午・今年はその陰の乙未 これからの30年間が決まるときだ。私もその間には確実あの世へお出かけに違いない。どのように残りの人生を生きていくのか?それをはっきりと決断するときだ。