ハイヤーセルフに関するサイトを検索していたら・・・
興味ある サイトに行きあたった。確か?SUN LIGHT という会社のサイトだったと思う。。。
・・・すみません、また勝手に記事をお借りします。
「画像」を解放する
画像とは、エネルギーの一単位です。
私たちのオーラやチャクラは、無数の「画像」から成っています。
「画像」とは、映画のフィルムのひとコマのようなもので、その人の人格や感情、過去生での出来事など、その人に関するあらゆる情報を示します。思考や感情、過去生や今生での記憶など、すべては、「画像」なのです。
これは初耳のお話だった。
確か?ナポレオンがエジプトのピラミッドの中で 自分の過去の映像が走馬灯のように流れたという話をどこかで読んだような気がするが・・・それと関係するのかな?
無数にある「画像」の中には、他の「画像」に比べて、エネルギーをより多く保持しているものがあります。たくさんのエネルギーが保持されている、エネルギーの重たいその「画像」が、私たちを動かし、私たちの現実に影響を与えています。
よく オーラが黒くなっています。みたいな表現をされることがあるががこの重たい画像というのがそれにあたるのかも知れない。
わかりやすくお伝えしましょう。
たとえば、「苦労しなければ、欲しいものは手に入らない」という思い込みの「画像」が、オーラの中にあるとします。
この場合、たとえ、顕在意識では、楽々と、簡単に欲しいものを手に入れたいと望んでいても、この「画像」によって、マインドの欲求がはばまれます。つまり、手に入れようと欲しいものを求め始めたとたん、自動的に、たくさんの苦労を人生に招き入れ、欲しいものがなかなか手に入らない、という状況を生じさせることになるでしょう。
ん~~ん、ワタシは、例えば”財は額にあせして得る物という発想をしているのでね、同時に苦労は背負いこむに違いないと思っている。
しかしながら、一攫千金っていう言葉もあるのだし、濡れ手で粟と言うことわざも存在するのであるから、その方法を選択する人がいても 何ら不思議ではないし、お好き好きだと思うのだ。
ただ、自分ちのとうちゃんががその後者の方法を選択したならば そりゃあ文句の一つ二つ言いたくなるにちがいない。
正直に言えば、実際のところ ワタシはこれまでの人生においてのとうちゃんのお金の使い方には怒っているのだし、専業主婦の置かれた立ち場(女中みたいなもん)に怒っているのだ。
よって只今うちんちにある財産の半分は当然の権利としていただきたいと思っているくらいなのだ。
半分こにしたあとは お互い、煮て食おうと焼いて食おうと自由であると思っている。但し まる坊主になってもお互いに 自分で自分のしりぬぐいをすべし。・・・とまあ考えている。この話合いがきちんと成立するか否かは、とうちゃんがリタイヤしたあとの話だけど。。。
スピリチュアルな話の中で、しばしば使われる、”手放す”とか”解放する”という言葉は、言い換えれば、たくさんのエネルギーが保持されている重たい「画像」から、すべてのエネルギーを抜き去るということに他なりません。「画像」からエネルギーを完全に抜き去ることができれば、もはや、その「画像」に振り回されることはなくなります。
もし、前述の、「苦労しなければ、欲しいものは手に入らない」という思い込みの「画像」から、エネルギーを完全に抜き去ることができれば、マインドの望む通りに、楽々と、簡単に、豊かさを手に入れることが可能になるでしょう。
あっの~ぅ ぐうたら寝ていても よろしいのでしょうか? 飯はちゃんと食っていけるんですか? えっとう それって 宝くじとか買えばいいんですか~?
毎日 溜息つきながら起きあがり、満員電車にギューギュー詰めになって会社にでかけ、わけわからん客に怒鳴られ 心ならずも頭を下げ 「 ごめんしてください。」って言わなくても大丈夫なんですかぁ~?。。。少ないお給料の中から 老後支払われるか全くわからないのに しぶしぶ?支払っていかなくても大丈夫なんですかぁ~???。。。みたいなことは思いまする。
ブログ内 エッラそうにいろいろ言ってますけどね、自分が すっごい怠け者なんだとわかりました~。
ワタシも 楽して 金ほしい~~!!人間だということを発見いたしました~。ごめんしてくださ~い。
「自分の内側が変われば、現実が変わる」とは、まさに、このことです。
「画像」を解放すれば、現実が変わるのです。
逆を言うなら、心の持ちようや想念を変えるだけでは、現実を変えることはできません。
過去を振り返らず、前向きに生きようと心掛けたり、ポジティブなアファメーション(肯定文)を唱えたり、あるいは、望む未来を現在形に言い換えて手帳に記してはみても、望むような効果が得られないのは、自分を足止めしている原因の「画像」が解放されていないためです。
やっぱり ここね、文章を読んだだけでは理解不能だな~。
ワタシは 想念が大事なんだと思っていたし、そこのところを変えると 世界がかわっていくと思っていたからね。。。
思いや想念を変えたら、現実が変わったという体験があるのなら、それは、思いや想念よりも奥深くにある「画像」を、無意識のうちに、何らかの方法で解放したためです。
この先、無意識の世界について考えていくことが問題を解き明かしていくカギになるのだろうな~。例えば インナーチャイルドと向き合うとかそういうことが自己解放に繋がっていくのだろうと思う。
そして、今、直面している問題を引き起こしている「画像」をつきとめ、意識的に解放していく、それが、のちほどお伝えする「リーディング」という手法なのです。
人は、いつでも、自分の「画像」を通して、外側の世界を見ています。
ある状況において、居心地の良し悪しを感じるのも、単に、自分の中の「画像」の反応に過ぎません。
誰かを好ましいと感じたり、誰かに恋心を抱いたり、あるいは、その反対に、嫌悪感や怒りを覚えるのも、自分の中にある「画像」が反応しています。
自分と同じような「画像」、すなわち、自分と共通する信念や信条、視点や価値観、あるいは、とてもよく似た人生体験を持つ相手に対しては、おのずと好感を抱いたり、親しみを感じるでしょう。
また、幾たびもの過去生を通して関わり合った相手、つまり、共有する過去生の「画像」が多い相手ほど、互いに強くひかれ合うことでしょう。
最近思うには 新しくお友達になったり お近づきになったりする人の宿命をみさせていただくと 意外とね これが似たもの同士だったりするんですわ。はい。