地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

かぼちゃの少女・・・三十一

2005-08-06 08:23:00 | ある被爆者の 記憶
 それは、××ちゃんのいなくなった時期と、ほぼ時を同じうするから、救援に駆けつけた呉の海兵団のせいばかりにも出来ないけれども、とにかく、被爆者は、この救援隊を一方では待ち焦がれ、一方では忌避していた。被爆者たちは、物が言えないわけではない。しかし、殆んどが、もう口を利かなかった。だが、救援隊の健康な人々は、口々に元気づけや、いたわりや、時には、被爆者を笑わそうとして、下卑た冗談で、話かけてくる。それがいやだった。その人々の気持ちは分かっていたが、それに応対する体の知覚を動員することが大儀であり過ぎた。但し、もう一日早ければ、われわれは、これに応じたかもしれない。更に一日早ければ、惨事にうろたえる救援隊を、狂気で、わめき散らすことも出来たであろう。ところが、もう出来ない。もう出来ないというのは、命運が刻々と迫っている予感が、いよいよ限界に達していることのためだとも思えない。もう助からないと諦めたわけでもない。また、何とか助かりたいと思い、救援隊の到着で、復活が保証されたと、期待する力もなかった。即死を免れた被爆者と雖も、心身ともに受けた衝撃と、障害などによって、来る日、来る日、不帰の客の数が増えつつある事実も充分知っている。
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かぼちゃの少女・・・三十二

2005-08-06 08:22:00 | ある被爆者の 記憶
 だから、自分の生死のことは頭のどこにもなかったと言えばうそになる。しかし、私は敢えて記しておきたい。本当に死に近い人々にとっての関心は、自分が今、息を引きとるかもしれない恐怖、不安に包まれてのことではないことを。もちろん、諦観に達していると言えば、これまた誤りとなろう。あるいは逃避か。それに近い気もするが、決して何かにまぎらわせているのとも違う。そこでは、一切の常識や才智は無力であり、煩瑣であった。
 救援隊の人々からみれば、われわれの意識は、朦朧としていて、混濁の状況にあると判断されていることも、どこかで分かっていた。そんなことは、どこか遠くで分かっておればよいのであって、私を誘って離さないものは、もっと透明な自然の摂理に身を委ねているとしか言いようのない幼さの気分であった。  


冥土行きの荷札を付けると、われわれは、次には閻魔の庁に呼び出されるまでもなく、救援隊の派遣軍医によって品定めされて、声がかかった者から、否やを言わさず、次々と担架で、赤十字のテントに運び去られた。
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かぼちゃの少女・・・三十三

2005-08-06 08:21:00 | ある被爆者の 記憶
 私は最初、指差しされて運び去られる者の方が、重傷なのだと決めてかかっていた。一目で分かる赤十字活動なのだから、本来ならば、これで救われると思うのが普通なのだが、先にも述べたように、現実に連れ戻されるような光景を見るのは、ひどく興ざめで、うるさかった。ただ、軍医の品定めによる判定が、私の場合、どちらになるだろう、担架で運ばれて医療を受ける方に入れば助かるのだろうか、生きる力ありとみた者を残すとしたら、却って指定されない方が、死に遠いかもしれないなどと、他所事のように思って、順のくるのを待っていた。
 軍医は私に近づいた。
 例のベルトの荷札をとり上げると、
 「よし、これ。」
と思案の数秒もなく、私を担架に乗せることを命じた。
 ”なぜだ。私に死期が迫っているのか”
 私は咄嗟に私の実感に改めて呼びかけていた。それは、決して癌の宣告を受けたというような、切羽つまった衝撃からではなかった。どちらに判定されようが、私にとっては、うろたえないだけの、それぞれの解釈のしようがあった。
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かぼちゃの少女・・・三十四

2005-08-06 08:20:00 | ある被爆者の 記憶
ところが、一方に判定された途端、私のそれぞれの解釈は、土台、反対だったかもしれぬと思ったからである。まるで、中学生時代に答案を出し終った途端、間違った箇所に気づいたのと似ている。そうだ、あの軍医は、助かる可能性のある者を拾い出しているのだ。それに決まっているではないか。こんな大勢の中から、死に近い者から手当てして、どう追いつくというのだ。それが、自分が選ばれたら分かったというのは、どういうことなのか。なんだかんだ思いながら、ひょっとすると、自分を助かる方に助かる方に、好都合に考えようとしているだけではないかと思ったら、何だか一番みっともない、未練たらしい生への執着心が身の内に蠢いている気がして、うろたえた。
 潔く死なねばならない━。なぜだか、頭の中に、呪文のように聞えた。潔いということが、どういうことなのか、まだ概念的に捉えられる年齢ではなかった。しかし、物心つく頃から、何はともあれ、この教育だけは行われもし、また、これだけは受けてもきたといえるような、骨の髄に浸透した直感であった。
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かぼちゃの少女・・・三十五

2005-08-06 08:19:00 | ある被爆者の 記憶
 テントに移されると、甲斐々々しく働く看護婦ではあったが、もうこなしきれない被爆者の数に麻痺したせいであろう、被爆者は、とりつく島もないような無口に、固い無表情さの前に、焼け焦げた体をさらした。すると、看護婦の手の先の刷毛が、食用油を含ませて、被爆者の傷口の上を、ざあっと一撫でして、次へ移る。その間、看護婦は、目をそむけることもなければ、患者の容態を気遣う様子も示さなかった。被爆者は患者ではなかった。すでに物体というより、襤褸布であり、看護婦は、この襤褸布に油を染み込ませる工夫しかしなかった。
 この単純作業が一しきり終ったところで、この空気に耐えられなくなった私は、一言その看護婦に口を利いた。
 「あのー、油がすぐ乾いてしまったんだけど、もう一度塗ってくれませんか。」
 言った途端、その看護婦は、くるりと首をすげかえるように、ふりかえりざま、私を見据えた。ろくに、私の傷も見ないで、
 「いくら塗っても、無駄でしょう。」
と、平然と答えた。

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かぼちゃの少女・・・三十六

2005-08-06 08:18:00 | ある被爆者の 記憶
 どうしたら、ああいうふうに、気持ちと声が切り離せて物が言えるようになるのだろう。それに引き換え、何と哀願じみたことを私は言ってしまったものかと後悔した。
 あれほど、絶対に痛いとは言うまいと心に誓ってきたのに、この看護婦は私を未練臆病者とみたのではないかと思うと、私はたまらなく口惜しかった。高熱のせいもあろう。急に頭ががんがん鳴った。私は、金時の火事場見舞いのように真赤で、しかも火傷に爛れた無念の形相で、その看護婦を睨み据えたにちがいない。
 「看護婦さん!」
さすがに、看護婦は黙って、真直ぐに私の傍に来た。
 「あなたは、いま、幾ら塗っても無駄でしょうと言った。では質問だが、いくら塗ってもということは、二度以上は効果がないということか。一度は効果があるのか。それとも一度も効果はないということか。」
 看護婦は、私の声の響きに驚いたか、真剣に聞いていた。
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かぼちゃの少女・・・三十七

2005-08-06 08:17:00 | ある被爆者の 記憶
「私は、軍医の指示に従っているのです。」
今度は、いわゆる性根を入れて答えた。
 「よし、それでは、二度以上は患者に塗ってはならないことになっているのか!」
言いながら、そんな権威主義に私は負けるものかと思った。
看護婦は答えられなかった。
私は畳み込むように、
「いくら塗っても無駄でしょうというのは、やはりあなたの判断ではないか。その判断の根拠を聞かしてほしいのだ。」
私はまだこの言葉のあとの用意さえあった。ここでも、看護婦は、口ごもってしまうと思っていた。口ごもれば、私は、
 「いま、生死の境にいる人間を、あなたは扱っている。あなたとの言葉のやりとりを最後に、この世と別れる者たちかもしれないではないか。私は決して、あなたに優しくしてくれとは言わない。(いや、本心はそうなのかもしれないのだけれども、まさかそこまで言う必要はない。なぜなら、この看護婦をとっちめることが目的なのだから)しかし、あなたによって、死に赴く者たちの、この世の最後の印象が作られていることを、あなたが人間である限り、考えるべきではなかったのか。」
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かぼちゃの少女・・・三十八

2005-08-06 08:16:00 | ある被爆者の 記憶
 弁舌さわやかとまでいかなくとも、せめて人と人との生別、死別の時の作法だけは、看護婦である以上、知らしめる必要がある。私は本気でそう考えていた。
 ところが、実際は、私の方が二の句が継げなくなってしまった。
 私の質問に、その看護婦は、いとも簡単に、しかもあざやかに、間髪を容れずに回答したからであった。
 「私の判断ですから、まちがっているかもしれませんけど、多分、あなたの両足は、第二関節から  以下、切断しなければならなくなるでしょう。」
  私は、何とか動じないふりをして、言葉を探した。
 「よく分かりました。それならば、私の脚に塗って頂く分の油は、無駄ではない他の患者に回して上げて下さい。」
 まるで、中学生の英訳のような言葉が私の口から出ていた。
 私は完全に敗北者であった。どうして言わなくてもよいことまで言うのだろう。
 死に際を美しくするなど、生易しいことではなかった。
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かぼちゃの少女・・・三十九

2005-08-06 08:15:00 | ある被爆者の 記憶
 私はこの時、無関係であるべき一つの昔の映像が、ちらっと重なったことを憶えている。
 お座敷がかかって、あたふたと鏡の前で化粧直しする芸者たちが、決まったように言う言葉があった。
 「さあ、戦争よ。」
 そして、彼女たちは、丸い大きな刷毛で、鼻の頭や、横を向いて頬っぺたを、気ぜわしくポンポンと叩いた。


 その夜に露が降りた。露に濡れる私の体を我が手で抱えて、私は一度だけ小声で、
 「寒い。」
 と言った。
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おまけ・・・童話

2005-08-06 08:14:00 | ある被爆者の 記憶
    

      ++++++あとかくしの雪++++++

 
 あるところに、なんともかとも貧乏な百姓がひとり、住んでおった。
 ある冬の日のもう暗くなったころに、ひとりの旅びとが、とぼりとぼり雪の上をあゆんできて、
 「どうだろうか、おらをひとばん、とめてくれるわけにはいくまいか」
というた。百姓は、じぶんの食べるもんもろくにないぐらいのもんだったが、
 「ああ、ええとも。おらとこは貧乏でなんにもないが、まあ、とまってくれ」
というと、旅びとは、
 「そうか、それはありがたい。おら、なんにもいらんぞ」
というて、うちにあがった。
けれどもこの百姓は、なにしろなんともかともびんぼうで、何をひとつ旅びとにもてなしてやるもんがない。それで、しかたがない、晩になってから、となりの大きないえの、大根をかこうてあるところから大根を一本ぬすんできて、大根やきをして旅びとに食わしてやった。
 旅びとは、なにしろ寒い晩だったから、うまいうまいとしんからうまそうにしながら、その大根やきを食うた。


 その晩さらさらと雪はふってきて、百姓が大根をぬすんできた足あとは、あゆむあとからのように、すうっとみんな消えてしもうたと。
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