地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

かぼちゃの少女・・・二十一

2005-08-06 08:33:00 | ある被爆者の 記憶
 ××ちゃんは、腫れぼったい目の奥で、そのかぼちゃを持ってあの世に行った亡霊を追っているにちがいなかった。
 ××ちゃんが、こんなことを言ったことも、書き連ねておかねばなるまい。
「お兄ちゃん。××ちゃんのお目々は、いつもお寝み(やすみ)しているの。××ちゃんは起きているのに。でも、××ちゃんは起きているのかな?お寝みしているのかな?どっちだか、分からなくなりそう。」
 ××ちゃんは、闇に消えたかぼちゃの器を、見えない目の中に探し求めたにちがいない。私は、盲目のことを失明という意味が痛いほど分かった。 


かぼちゃの事件の翌日、多分、被爆三日目であったろう。
 死体の群れの中に、負傷者が混じっているのか、負傷者の群れの中に、死者が混じっていたのか、寝たままの私には判断出来ることではなかったが、いずれにしろ、生か死かの境をさ迷い続ける者たちしかいない空間というものの陰湿さを破ったのは、やはり、生きて働く健康体の人々の声であった。
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かぼちゃの少女・・・二十二

2005-08-06 08:32:00 | ある被爆者の 記憶
 呉の海兵団が救援に来たという。 
 それは喜びにちがいなかった。しかし、激励のつもりか、あまりに絶叫に近い悲劇的な声を響かせるので、今しがたまでの空気とかけ離れすぎて、違和感の方が先に立ってしまう。ああ、そうだったのだ。われわれは戦争の最中にいたのだと、思い直してみたりはするのだが、現実が現実にならない。
 ただ、呉の海兵団と聞いて、永松四郎さんを思わずにはおれなかった。
 暫くすると、
 「めしを炊き出してやったから、取りに来い!」
などと、声高にいう。
 もう次の瞬間には、その声がびんびんと傷口に響いて痛かった。
 「頑張れ!傷は浅いぞ!何だ!これしき!」
 軍人万能の世の中なのだから、ましてや名にし負う呉の海兵団の兵士だから、婦女子も混じる非戦闘員で、しかも半死半生の負傷者を目の前にした時、彼らが驚きを隠し、威厳を無理にでも保とうとすれば、こういう物の言い方になることは、百も承知の上であった。だから、決してそれに腹立たしさを感じはしなかった。けれども、それにしても、田舎芝居のせりふを聞くようで、うるさかった。
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かぼちゃの少女・・・二十三

2005-08-06 08:31:00 | ある被爆者の 記憶
 確かに、呉の海兵団の救援隊は、甲斐々々しく、被爆者の回りに立ち働いた。軍医らしき将校はわれわれを品定めするかのように、眼鏡に叶ったからか、叶わなかったからか、兎に角選別したいずれかの者を、次々と担架に乗せて、どこかに運び去った。
 また、その部下の一群の兵隊は、せっせと被爆者たちから、氏名、年齢、出身地を聞きだして、それを紙片に書き留め、その紙片を被爆者の腰のベルトに結びつけた。
 なるほど、こうしておけば、死んだ後でも、どこの何某であるかが分かる。さすがに軍隊のやることは手回しのよいことだと、感心させられた。
 ただ、このことが、後に、思い出として遠ざかるにつれて、不思議さがつのることがある。その時、自分もその群れの中の一人だということが、充分分かっていたはずであるのに、なぜ、私に、何の感傷も苦悩も起こさなかったのであろう。
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かぼちゃの少女・・・二十四

2005-08-06 08:30:00 | ある被爆者の 記憶
 死は意識されていないはずはない。その紙片がバンドに結びつけられる時、私は、こう言った。
 「自分で付けられます。」
 兵隊は一瞬、私の顔を見守ったが、結局は黙って紙片を渡してくれた。
 私は、その紙片をみて、にやりと笑ったらしい。
 兵隊は、ふりかえりざま、
 「何がおかしいか!」
と、権柄(けんペい)ずくに言った。私は咎め立てされたと、背筋に水が走った。この兵隊は、自分の筆蹟のまずさを笑われたと思った様子である。
 「いいえ、何でもありません。」
 戦争中が弁解無用の世の中であることは、夙くから脳裏に焼きついていた。そんな時、この”いいえ、何でもありません”が最も効果的であることを私は知っていたから、そう答えたのだが、私には妙に余裕があって、あわてなかった。
 だが、その兵隊は、私にお構いなく、次の被爆者に向かって、住所、姓名を問い始めた。
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かぼちゃの少女・・・二十五

2005-08-06 08:29:00 | ある被爆者の 記憶
 私は何だか拍子抜けしたが、”いいえ、何でもありません”などと、戦時下の訓練に阿(おもね)らずに、正直に言ってやれば、一時にせよ、この場に笑いが出たかもしれないのに、残念なことをしたと、また紙片に見入った。
 私が、”何がおかしい”と咎め立てされたのは、この紙片が、官製の鉄道荷札であったことが原因であった。
 おそらく、広島駅が破壊されて、落ち散ったものを利用したにちがいない。それにしても、皮肉な利用である。
 鉄道荷札を人体につけたのは、少なくとも日本鉄道開設以来の出来事であったろう。私の場合、宛名のところに、郷里の地名が書かれ、送り主のところに、学校名と私の名が書き込まれてあった。
 私が多分にやりとしたと見られたのは、郷里にこの荷物は届くかどうかと思った時だったろう。この荷物の行き先は一括して、冥土なんだと、繰り返し思った。
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かぼちゃの少女・・・二十六

2005-08-06 08:28:00 | ある被爆者の 記憶
ところで、どう考え直しても、この荷札の時より前に、私はあの××ちゃんと別れていなければならぬ。
 なぜなら、この荷札をつけてから間もなく、私は軍医の指示によって、すぐ近くに張られたテントに担架で運ばれている。この時が、××ちゃんとの別れであったとは思えない。もちろん、同じテントに移されてもいない。それというのも、××ちゃんが、私のもとから去って行った後ろ姿が印象的であるとか、何とかであれば、こうしたまわりくどい書き方をしなくてもすむのだろうが、忘れたとも、憶えているとも言えない不都合な絵コンテのようなものだけが残っている。不都合な、というのは、前後関係との時間的な辻褄を全く持ち合わせない絵コンテだから、映像になり変わらない。感情的な裏打ちがなくなってしまっているということである。間違いなく、××ちゃんと私とは、死線をくぐっていた相棒だったのだから、その別離に忘れられない思い出があって当然なのに、何も思いだせない。
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かぼちゃの少女・・・二十七

2005-08-06 08:27:00 | ある被爆者の 記憶
 兎に角、××ちゃんは、××ちゃんの近所の人に、偶然に発見されて引きとられて行った。面貌が崩れているから発見など容易でないのだが、着ている洋服から見つけられた。見つけた近所の人は、もう六十以上の老人であった。といっても、その老人の顔も姿も憶えているわけではない。ただ、その老人が、しきりと、私の事を気遣って、必ず私の郷里に連絡をとると、約束してくれた。後日、私が郷里に戻ってから、半月以上のちに、その方から、私の父宛に一枚の葉書が届いたから、逆推が出来るまでである。


 冥土行きの切符を、自分で、言われるままにズボンのベルトに結びつけている自分の心を、私は計りかねた。
 傷ついて死ぬかもしれぬ自分のために、死後の自分の遺骸の処理の便利さのために、自分が手をかしていることの奇妙さが、思われれば思われるほど、私は、私と私の肉体との向き合っている姿を、はっきりと捉えられた。
 このまま、私は昇天とまで言えないにしろ、私の魂は、私の肉体から脱け出して、もう、このぼろぼろになった曾つての魂の容れものを、見下ろしているのではないかと思ったりした。
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かぼちゃの少女・・・二十八

2005-08-06 08:26:00 | ある被爆者の 記憶
 私は、そっと頭をもたげて、荷札と、この荷物がどんなふうに見えるものか、改めて見直したりした。
 でも、まだこんなことが出来るうちが、生きているというのであろう。この体の動きが止まったら、人々は死んだというのであろうなどと、ぼんやり思った。そして、相変わらず生か死かと切羽つまって物思わぬ心に、どうしても、体から脱け出している魂のようなものを思わないではいられなかった。
 近松の「曽根崎心中」の道行場面を思い出していたのも、魂が脱けることにおいて似たようであったからであろう。
 男、涙をはらはらと流し、二つ連れ飛ぶ人魂を、よその上と思うかや。
 まさしう御身と我が魂よ。
 なにのう二人の魂とや。
 はや我々は死したる身か。
 近松が、道行に入ると、心中する者の名を書かず、男、女、我々と記す意味も分かる気がした。
お初の、徳兵衛の、それぞれの生命は、はやそれぞれの肉体からあくがれ出ている。「はや我々は死したる身か」と言っても、徳兵衛の言葉ではない。ましてや嘆きの声であろうはずはない。魂と肉体の離反と牽引の神秘を、近松の麗筆は一刷けさっと彩っているように思えた。
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かぼちゃの少女・・・二十九

2005-08-06 08:25:00 | ある被爆者の 記憶
 また東の空が、白み始めた。まだあたりは依然として、どす黒くてぼろぼろした黒と、うす汚れた、それでいて乾ききった白との、葬礼場のイメージが居座ったままである。しかし、××ちゃんがいなくなった頃から、物の色が消える夜の方が、精神的にも肉体的にも楽であった。
 それは××ちゃんがいなくなったせいかとも思えた。また、自分も含めた被爆者の傷口の赤や黄や土色が、最初のように目に入らなくなったからだろう程度に思い、こんなにまでなっていながら、いつまでも、怖いものは怖い、見たくないものは見たくないとは、勝手なものというより、人間のしようのない甘さがおぞましく思えた。

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かぼちゃの少女・・・三十

2005-08-06 08:24:10 | ある被爆者の 記憶
 しかし、ふと、私は、被爆者同士の目が、どういうものか意識し合わないことを改めて思い返した。
 互いに見合うことがない。互いに観察し合ったり同情し合ったりしない。目線を放棄しているように思えた。これは、それを避けたり甘えたりすることのためではなかった。呉の海兵団がきてからは、被爆者は、普通人の正視に耐えねばならなかった。それが夜になると、そのうるささから解放される。普通人から見れば、それらは空ろな目としか映らなかったろう。しかし、われわれの目が視力を失っていたわけではない。被爆者同士は、それぞれが、何かを見ていたのだと思う。それぞれが何かをみていることが、互いに分かるから、被爆者は、被爆者を見なかったにちがいない。
 瞳孔が開きかかったとしかみえない被爆者の目は、本人たちにとって、あれがあの状況における最良にして、効果的な目であることが、私には間もなく分かった。


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