さ霧消ゆる湊江の 舟に白し朝の霜
『冬景色(ふゆげしき)』は、1913年(大正2年)刊行の「尋常小学唱歌」第五学年用』に掲載された文部省唱歌。
歌詞の季節は冬の初め頃、1番は水辺の朝、2番は田園の昼、3番は里の夕方が描写されている。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。
さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家
烏(からす)啼(な)きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日(こはるび)の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ
嵐吹きて 雲は落ち
時雨(しぐれ)降りて 日は暮れぬ
若(も)し灯火(ともしび)の 漏れ来(こ)ずば
それと分かじ 野辺(のべ)の里
一番の歌詞の意味
「さ霧」とは、霧のこと。秋の季語。狭霧とも書く。「さ」は語調を整えるための接頭辞。「さ霧消ゆる」で秋の終わりを意味している。
「湊江(みなとえ)」とは、港になっている入江のこと。
二番の歌詞の意味
「麦を踏む」とは、秋播きの麦が発芽した後に足で踏みつける「麦踏み(むぎふみ)」のこと。
芽を踏むことで茎の伸び過ぎを防ぎ、根の張りをよくして、より多くの実がつくようになる。11月~2月に毎月一回程度行う。
「げに」とは、「本当に、いかにも」。
「小春日(こはるび)」とは、晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴れの日。冬の季語。小春日和(こはるびより)。現代の暦では11月頃になる(陰暦10月)。
「のどけし」とは、天候が穏やかでのどかな様子。
「かへり咲(ざき)」は、ツツジやサクラ、ウメなどの春の花が小春日和に誘われて時季外れに咲くこと。冬の季語。「返り咲き」、「二度咲き」、「帰り花」などと呼ばれる。
「花も見ゆ」の「見ゆ」は、「見える」の文語形(終止形)。
三番の歌詞の意味
「雲は落ち」は、雲が低く垂れ込めること。
「時雨(しぐれ)」は、秋の末から冬の初めごろに、降ったりやんだりする小雨。
最後の2行の意味
日暮れと悪天候で真っ暗になってしまったため、里の集落もほとんど見えずn、もし家の明かりが漏れ見えていなければ、そこが集落だとは分からなかっただろう(「それと分かじ」)という意味。
昔の少年少女は、かくも難しく、かつ美しい日本語の歌詞を声高らかに歌ったのでしょう!
菜の花畑に入日薄れ、の『朧月夜』や、
園の小百合、撫子(なでしこ)、垣根の千草。
今日は汝(なれ)をながむる最終(おわり)の日なり。
おもえば涙、膝(ひざ)をひたす、さらば故郷(ふるさと)。の歌詞の「故郷を離るる歌」を
亡き母はいつも歌っていました。
私の息子の誕生日は今日です。毎年妙に早く眼が覚めるのは、早朝、3重にもへその緒を首にまきつけて仮死状態で生まれた吾子の記憶がどこか身体に残っているから?
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。
と、陣痛室で声もなく耐えていた私に何度も母が歌ってくれました。
その母とこの世の別れをしてから20年になります。
私の長兄に頼まれて、ムスコは、母の四十九日の納骨の際に、母の好きだった「狩人の合唱」と「上を向いて歩こう」とをサックスで演奏してくれました。
昨夜、ふと思い出して「狩人の合唱」のヴァイオリン編曲のを弾いてみました。
アラフォーとなったむすこの誕生日に吾子を抱いた感触をリアルに思い出し、母のそのときの必死の励ましも同時によみがえらせた私です。
さて、私が小学生のときに、一番好きだった曲は、
「小鹿のバンビ」でした。モカ色のセーターにおそろいのベレー帽、焦げ茶色のジャンパースカートをはいて、学校の講堂の舞台にひとり、独唱を歌ったのが三拍子のこの曲、屈託なく育った少女時代の象徴的ひとこまになります。
私は未熟な母でしたが、ムスコは、何とかいまのところ、まっとうに生きてくれている、と嬉しく齢を重ねる今日の日が有難くてなりません。
あの日も満開の桜の下を母はこぼれる笑顔で病院と家とを往復してくれました。
またいつか母と会う時があったら、その日までは、何とか元気で、たった一人しかこの世に残せなかった吾子の背中をずっと見守りたいと思います。
ムスコがはじめて手にした八分の一のバイオリンを置いている椅子の横にささやかなアレンジメントを飾りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/bd/b3b3e6f20a481404167cdc8fcd6425d3.jpg)
ムスコと共に落ちていたツバキの実を埋めましたら、それから30年、こんなに立派な花が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0e/771085a515e0ea586ff7e51dbe47ee1b.jpg)
その椿の木です。
『冬景色(ふゆげしき)』は、1913年(大正2年)刊行の「尋常小学唱歌」第五学年用』に掲載された文部省唱歌。
歌詞の季節は冬の初め頃、1番は水辺の朝、2番は田園の昼、3番は里の夕方が描写されている。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。
さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家
烏(からす)啼(な)きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日(こはるび)の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ
嵐吹きて 雲は落ち
時雨(しぐれ)降りて 日は暮れぬ
若(も)し灯火(ともしび)の 漏れ来(こ)ずば
それと分かじ 野辺(のべ)の里
一番の歌詞の意味
「さ霧」とは、霧のこと。秋の季語。狭霧とも書く。「さ」は語調を整えるための接頭辞。「さ霧消ゆる」で秋の終わりを意味している。
「湊江(みなとえ)」とは、港になっている入江のこと。
二番の歌詞の意味
「麦を踏む」とは、秋播きの麦が発芽した後に足で踏みつける「麦踏み(むぎふみ)」のこと。
芽を踏むことで茎の伸び過ぎを防ぎ、根の張りをよくして、より多くの実がつくようになる。11月~2月に毎月一回程度行う。
「げに」とは、「本当に、いかにも」。
「小春日(こはるび)」とは、晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴れの日。冬の季語。小春日和(こはるびより)。現代の暦では11月頃になる(陰暦10月)。
「のどけし」とは、天候が穏やかでのどかな様子。
「かへり咲(ざき)」は、ツツジやサクラ、ウメなどの春の花が小春日和に誘われて時季外れに咲くこと。冬の季語。「返り咲き」、「二度咲き」、「帰り花」などと呼ばれる。
「花も見ゆ」の「見ゆ」は、「見える」の文語形(終止形)。
三番の歌詞の意味
「雲は落ち」は、雲が低く垂れ込めること。
「時雨(しぐれ)」は、秋の末から冬の初めごろに、降ったりやんだりする小雨。
最後の2行の意味
日暮れと悪天候で真っ暗になってしまったため、里の集落もほとんど見えずn、もし家の明かりが漏れ見えていなければ、そこが集落だとは分からなかっただろう(「それと分かじ」)という意味。
昔の少年少女は、かくも難しく、かつ美しい日本語の歌詞を声高らかに歌ったのでしょう!
菜の花畑に入日薄れ、の『朧月夜』や、
園の小百合、撫子(なでしこ)、垣根の千草。
今日は汝(なれ)をながむる最終(おわり)の日なり。
おもえば涙、膝(ひざ)をひたす、さらば故郷(ふるさと)。の歌詞の「故郷を離るる歌」を
亡き母はいつも歌っていました。
私の息子の誕生日は今日です。毎年妙に早く眼が覚めるのは、早朝、3重にもへその緒を首にまきつけて仮死状態で生まれた吾子の記憶がどこか身体に残っているから?
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。
と、陣痛室で声もなく耐えていた私に何度も母が歌ってくれました。
その母とこの世の別れをしてから20年になります。
私の長兄に頼まれて、ムスコは、母の四十九日の納骨の際に、母の好きだった「狩人の合唱」と「上を向いて歩こう」とをサックスで演奏してくれました。
昨夜、ふと思い出して「狩人の合唱」のヴァイオリン編曲のを弾いてみました。
アラフォーとなったむすこの誕生日に吾子を抱いた感触をリアルに思い出し、母のそのときの必死の励ましも同時によみがえらせた私です。
さて、私が小学生のときに、一番好きだった曲は、
「小鹿のバンビ」でした。モカ色のセーターにおそろいのベレー帽、焦げ茶色のジャンパースカートをはいて、学校の講堂の舞台にひとり、独唱を歌ったのが三拍子のこの曲、屈託なく育った少女時代の象徴的ひとこまになります。
私は未熟な母でしたが、ムスコは、何とかいまのところ、まっとうに生きてくれている、と嬉しく齢を重ねる今日の日が有難くてなりません。
あの日も満開の桜の下を母はこぼれる笑顔で病院と家とを往復してくれました。
またいつか母と会う時があったら、その日までは、何とか元気で、たった一人しかこの世に残せなかった吾子の背中をずっと見守りたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/1d/3ea7af76553ea24e0f2665fe8ce655dc.jpg)
ムスコがはじめて手にした八分の一のバイオリンを置いている椅子の横にささやかなアレンジメントを飾りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/bd/b3b3e6f20a481404167cdc8fcd6425d3.jpg)
ムスコと共に落ちていたツバキの実を埋めましたら、それから30年、こんなに立派な花が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0e/771085a515e0ea586ff7e51dbe47ee1b.jpg)
その椿の木です。