自宅の座敷の長欄間には、
陋屋にまた戻った額です
義父の師匠だった書家の〇〇秋鶴先生作です。
自宅に戻って玄関の垂髪から備前の花入れを下ろして、庭の花を投げ入れました。
何ら生産的なことをしていませんが、どこか、ほっこりうれしい午後でした。
だいぶ埃が舞い落ちましたが、掃除は明日にします(笑)
かび臭い話でまことにすみません。
陋屋にまた戻った額です
義父の師匠だった書家の〇〇秋鶴先生作です。
自宅に戻って玄関の垂髪から備前の花入れを下ろして、庭の花を投げ入れました。
何ら生産的なことをしていませんが、どこか、ほっこりうれしい午後でした。
だいぶ埃が舞い落ちましたが、掃除は明日にします(笑)
かび臭い話でまことにすみません。
読みは 雲を撥(はら)いて道を尋ぬ 意味は:雲をおしひらいて道をさがす でしょうか。
目の前の雲を押し開きながら、一歩一歩進んでいくのが、人の生きる道 文字通りそう解釈して、ずっとこの額を仰いで日々を送ってきました。
マドンナさんは京都で学生時代をお過ごしでしたか?羨ましいです。てっきり、東日本の方(石川県は別としても)かと思っていました。
陋屋を訪ねてくれる知人友人は、懐かしくて落ち着ける場所だと、リピーター志願者と化します。
私の自宅(住民票をおいているところ)は、環境的にも陋屋の場所よりいいですし、しっかり設計施工した注文戸建住宅なので、本来は居心地がいいはず。。。
ところがどっこい、私自身がこの陋屋に来ると(戻ると)妙に落ち着き心穏やかになり、つまり居心地がいいのです。
自宅は白木づくりなので柱も建具も白い、陋屋は漆塗りなので、柱、天井、建具の桟まで赤黒くて暗いです。若い時はださい、と感じていたのがここにきて妙に落ち着くのは、年のせいか、それとも、少しは感性が豊かになったか。。。
今のところ何とか二軒の住宅をもちこたえていくつもりですが、ムスコにはいずれにしても不要のものなので、後のことを少しシンプルにしておいてやる必要があります。
少し前まで、先代の建てた5階建てビル(築45年)が悩みの種でした。やっと買ってくれる人がいて、壊す費用の大きさにおののくことから解放されました。
びっくりするほど安く売れましたが、気持ちの楽さは思っていた以上です。
アーケード街にありました。昼間はネコがたまに歩き、夜は、少しだけ歓楽街へと変わる、地方都市のシャッター街の典型でした。デパートも早晩なくなるそうです。。。
空き家について、さまざまに取り沙汰されますが、何とか認知症に罹患しないで済むならば、陋屋と自宅(これも老朽化は免れないでしょう)を持ちこたえたいです。
後は野となれ山となれ の心境も否めません(笑)
なんて表現したら良いのか、なんか懐かしいような落ち着くような。
京都の短大に行っていた2年間はこういう家に下宿していました。いえ、比較しては失礼かもしれません。昔の女郎屋さんでしたから。
6畳くらいのお部屋が2階にいくつもありました。
襖には絵が描いてあって。
私の家では想像の翼はなかなか広がりませんが、こう言う家に住んでいると、自分が色々な人間になれそうです。義父さまの書はなんとなく意味もわかりますが、ご師匠の方は雲(?)と道しか分かりません。
お花も素敵です。
焼き物の兜、初めて見ました。重いでしょうね(そこか、って言われそう)。
私にとっては夢のようなものを見せて頂きました。有難うございました。