最終章だけど、、、

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ちょっとだけ頑張った午後でした

2019-04-22 18:40:40 | 日記
こんばんは、というにはまだまだ明るい春の夕方です。

大袈裟なタイトルになりました。

少しだけ頑張りました。

結果は大したことではないのですが、早くしたいと逸る気持ちはありました。

当節、私のようにのんびり、古臭いことに重きを置いている人はすくないでしょうが、ちょっとだけご紹介してみます。

まずは、男の子のお節句、兜をやっと出しました。

先日36歳になったムスコも私にとっては男児そのもの。

我が家の五月人形は、兜に集約されています。

備前焼の兜です。作者は木村友敬さん。興楽園十三代長十郎を襲名されています。

幼いころには、こちらも気合が入って、後ろには二枚折の金屏風を置いたり、雪洞を両端に置いたりしていましたが、今はシンプルに兜のみです。

五月五日のその日には、菖蒲を薄綿に活けます。三宝には柏餅を二十個くらい供えます

今月は残り少なくなってやっとほっとしました。

以上、ムスコの育った自宅でのことです。


















そして座敷を見回すと、目に入った長欄間の上の横長の額、ここに置いて十年くらいですが、以前あった陋屋の方がしっくりくる、、、

そう思って助っ人を呼びました。快諾してくれさっそくはずし、
代わりは、義父が最後に個展をしたとき、私が求めた義父の作品です。
この字が好きで求めさせてもらいました。

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2 コメント

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Unknown (ちえ)
2019-04-22 23:42:08
立派な兜ですね!私、歴史の中で徳川四天王のひとりといわれた本多忠勝が好きなのですが、そのひとの被っていた兜を思い出しました。勇気ある強い男子にという願いを形にされているように感じました!
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歴女!!!あやかりたい! (ぽこ)
2019-04-23 00:23:53
ちえさんは、何となく、ヨーロッパの古城のおひめさまのような雰囲気の方かと今の今まで思っていました。
日本史にもお強いのですね。
さもありなん、とも思いました。

こちらの伝統産業が銅器なので、最初は、男の子のお節句は、鎧兜が決定していたのです。
送り主の私の実家が備前焼の熱烈ファンでして、窯元がいつも泊まっていくほどでした。
私の両親に頼まれて、古い兜の型を起こして再考?再興された久しぶりの兜づくりだったようです。江戸時代以来とか聞きました。ムスコの兜を見た何人もの人がそのあと注文をされたとも聞きました。
私は世界史(西洋史)はともかく、日本史はまるでだめです。弥生時代くらいで勉強をギブアップしました。
唯一興味があるのは、江戸末期から明治中頃まで。若い有能な人たちが活躍するのを司馬遼太郎さんから学びました。
ムスコの兜をまじまじと見たこともなくて、今日は、ちえさんにコメントいただいて原点に返らせてもらった気分です。
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