2017年6月30日1時25分(12時58分)
母が天国に旅立ちました。
6月19日
仕事に行く前に母に電話をしてみました。
しかし何度電話をしても電話に出てくれない。。。
携帯も家電も・・・
仕事に行く時間は迫ってくるし、気になり車で数分の母の家に向かいました。
運転しながら
「なんで電話に出ないの~~!」って母を叱るんだろう。
逆にそう言って叱れればいいなぁ・・・とかなぜか気になって。
玄関を開けると、なんか変な臭いがする。
母の靴も玄関にある。。。
出掛けてるんじゃないんだ。。。 いやな予感。
母はベットの上で洋服のまま口を開けて寝ていました。
「お母さ~ん!」と言いながら近づくと
胸が動いているのが分かり、死んでなかったぁとホッとした。
「お母さん、どうしたの?」と声をかけると
「あぁ~寝てた・・・」とふらふらしながら立ち上がったので支えると
母は数歩、歩いて椅子に座った。座ったというより・・・フラフラどすんと座った。
ベットを見るとその異様な汚れが目に入った。
便を失禁。 かなり水ぽい。
母を抱きながら立たせ、ズボンや下着を抜かせ
どうしよう・・・と思いながら、ウエットテッシュッも見当たらないので
テッシュを水で濡らし母をタオルで綺麗にして着替えさせながら
姉妹のグループラインに
「お母さんがへん!」とメールをしたり電話を架けてみた。
ちょうど昼休みの時間だから電話に出なくても着信に気づくだろう・・・
母はもうろうとしていて変だ。。。
母は普段は失禁などもしないし、普通の下着をつけている。
90歳だけど、杖も使わないしオムツなんてしない。
熱を計ると38度8分。
かかりつけの大学病院に連絡をすると、先生に確認をして折り返すとのこと。
そうこうしているうちに、妹が早退したと言って来た。
病院から電話あり
「救急車を呼んですぐ連れてきてください」と
「妹もいるので車で連れていけますけど・・・」
「いえ!救急車できてください!と先生が言ってます」
まもなく救急車が到着。
母は自分で歩けると支えられながら、玄関の外でストレッチャーに。
救急車の中で診察をしてから病院に向かいますと説明を受けました。
妹は先に病院に向かうと自分の車で出発。
救急車の中でバイタルチェックをすると酸素濃度が80パーセント台
「胸からはプスプスと音が聞こえるので肺炎をおこしているようです」と
救急車の中で酸素マスクを付けたり、救急車はなかなか出発しません。
この間、すごく長く感じたので、きっと妹はもう病院に着くころじゃないだろうか。
同乗した私もシートベルトをし救急車は出発しました。
救急車の中でもモニターを見ながら救急隊の人がいろんなチェックをしたり
私から状況を聞いたりと。
こういう場合、失禁の始末や着替えはしてはいけなかったらしく
救急隊の方から妹が言われたそうです。
救急車が病院に到着して母は処置室に私は廊下で待たされました。
大病院なので、妹も何処にいるか探すだろうとラインをすると
やっと病院に着いたとのこと。
あんなに遅く出発した救急車ですが、妹は病院近くで救急車に抜かされたそうです。
救急車ってやっぱり早いんだなぁと実感!
このころ、もう一人の妹から連絡が入り
「今日は仕事を休んで息子を病院に着いていってたので今、帰宅してラインをみた!」
「病院に向かおうか?」
きっと入院になると思い
「お母さんの家に行って入院の準備をしておいて~」
色んな検査をして、先生から説明がありました。
炎症数値が高く、肺炎になっており、普通の肺炎だけだと
ここまで炎症数値は高くないので何らかの感染症が考えられます。
つまり敗血症をおこしていて、高齢なので何が起こるか分りません。。。と
入院になりました。
個室に入り色々な書類を書き、入院手続をすませ
必要なものを取に母の自宅に向かいました。
病院のエレベーターの中で時間をみてビックリ。
4時か5時ごろだと思ったら、もう7時を過ぎていました。
母の家に行き、入院の準備をしたり、汚い物の始末をして待っていた
妹と一緒に再度、病院に行き、帰宅した時は既に深夜になっていました。
それから毎日、病院との往復。
何度か危険な状態になり担当医からも数度、呼び出しの電話がありました。
延命治療をどこまでするか等・・・
酸素をしていても、酸素の状態があまりよくなく
胸水も溜まり肺から水を抜く管が付けられました。
23日から27日まで ICUで過ごしました。
ICUでは、人工呼吸器の辛さがあるため、薬で眠っている状態が多かったのですが
目覚めると普通に会話もできました。
肺炎はだいぶ良くなっているようですが、やはり苦しそうです。
28日 ICUから病棟の個室に移動。
28日
この日は母は薬の影響からか、少しせん妄が起きていました。
すごくハイテンションでおしゃべりがすごい!
ず~~としゃべってる(笑)
8Bと書いてあるものをみて、88階?!
すごいね~だから景色が良いんだね! すごいね!
夜景がきれいだろうね~
わぁ~なんて綺麗な雲なの! 夕陽がほんときれい!
こんなきれいな夕陽初めてみた!
外を眺めながら、住んでる街がこんな素敵な所だって知らなかった!
病院だということは分っていますが、8階なのに88階と勘違いしているようでした。
「ここはすっごく景色が良いから死ぬまでここに居ようかな(笑)」
「8月の外来までここにいて、外来の診察が終わったら帰ろうかな~(笑)」
病室からの景色がお気に入りの様子です。
学生のころ詩を書くのが好きで、先生からよく褒められていたこと
なんせ、色んなことを話して、笑う笑う!
その笑い方がすっごく可愛かった!
適当に「あぁ~そう!」と応えると、
「適当にあぁ~そう!って言ってるでしょ(笑)」
そして、こちらが何か話すとわざと「あぁ~そう!」と言って笑い。
今まで母がこんなに楽しく長く話しているのは見たことが無かったように思いました。
面会時間が終わり、病室を出る時に
「泊っていけば良いのに・・・明日は何時に来る?」
私が母と話した最後の会話になりました。
6月30日
先に病院へ行った妹から
「昨日とはぜんぜん違うよ~」とメールがきました。
私が病院に着くと母は気持ちよさそうに寝ていました。
今日の様子を妹は
先生の話しでは、脈が乱れたけれど心配ないとのこと
昨夜は一晩中しゃべっていて、
今日の午前中は上手に歌を歌っていたそうです。
童謡の「チューリップ」や「ちょうちょ」を。
鼻からの管を抜いてしまったり、起き上がろうとしたりするので
昨日から拘束されています。
家族が来ているので、それらを外してもらったそうです。
昼夜が逆転してしまい、疲れたのかよく寝ています。
そして
妹の子供(姪)が高熱を出しているので妹は一旦帰ると言って私と交代。
私は母の寝顔をみていました。
本当に気持ちよさそうです。
そして・・・夕方5時ごろでしょうか。
呼吸が変な感じです。イビキとも違うような・・・
下顎呼吸って実際には知らないけど、これは違うのか???と
みていると苦しそうなのでナースコールで看護師さんを呼び
「変じゃないですか???」
看護師さんが他の看護師さんを呼んだり先生を呼んだり
この時点で、先生は血液検査をして酸素も取れているので
様子をみてみましょうと・・・去っていきました。
看護師さんも先生もいない病室で
これを下顎呼吸っていうんじゃないかなぁとスマホで調べました。
人が亡くなる前に起こることがある下顎呼吸。
なんかイヤの予感がして、妹達に連絡をして病院へ向かうように伝えました。
何度か先生が血液を採りにきました。
そして先生から
検査結果を待っているのですが・・・
ご家族に連絡をして来てもらった方が良さそうです。。。と
こういう呼吸がでると危険かもしれません・・・
時間が経つと母の呼吸は先ほどより治まってきてるようにも見えます。
それからは、モニターで呼吸数や心電図を確認しながら母の様子をみていました。
29日がもうすぐ終わるころ。
モニターでは酸素も血圧も正常です・・・
脈拍が乱れだし。
日付が替わった30日
心拍が0になり波形も一直線。
「お母さん!お母さん!」と声をかけると0から30~40
波形もまた波を打ちます。
12時50分ごろからは、とうとう波形も直線のまま・・・
1時25分、死亡確認。
母は4人の娘や孫たちに見守られ天国に旅立ちました。
6年前6月6日に亡くなった父のもとへ。
お母さんありがとう! そして頑張ったね!
看護師さんからも
「このおばあちゃん本当にかわいい♪」と言っていただきました。
ICUの看護師さんも個室に移った時に、わざわざ病室にきてくださり
「しっかりされていますね~ 90歳って人は年齢じゃないって看護師同士で話しているんですよ~」と
看護師さんたちに感謝の言葉をかけているかわいい母でした。
毎日、病院へ行き、亡くなる前日のニコニコした母との会話。
あの母の可愛い顔がみられて本当に良かったと思います。
親戚に連絡をしたり葬儀の準備をしたりで、昨日は一睡もしませんでした。
しばらくは、葬儀と母の家の片づけで忙しいと思います。
ブロ友さんが心配して下さりコメントやメールをいただきました。
お見舞いのメールありがとうございました。
返信ができなくて申し訳ありませんでした。
ご報告と自分の記憶の中に母の最期の様子を残しておきたくて書き残します。
お母さん!ありがとう♪
90歳のお誕生日の写真です。