普通の人間は肉体の脳髄がものを考え、感ずるのであると考えがちであるけれども、
肉体はただ意識のラジオ・セットにすぎないのである。
脳髄にどんな打撃が加えられようとも、肉体のどの部分に故障が起ろうとも、
意識の主体たる人間そのものは「 神の子 」 だから何ら破壊せられることなく、故障が起ることなく、
ただ毀(こわ)れたラジオ・セットに音波が起らなくなるように、その肉体は音無しくなるだけである。
眼が傷(きずつ)いたら、人間はその眼を通して見なくなる。
脳髄が傷いたら人間はその脳髄を通して考えなくなるだけである。
『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 十三日の法語 谷口雅春先生