物質はただエネルギーが想念の影響を受けて凝縮し、それが形をあらわしたものであるから、
本来の相(すがた)はないのである。
本来ない姿が仮にあらわれているのであるから、それは無常なるものであり、
常に間断なく変化するものなのである。
かかる無常なるものから 「 神の子 」 たる人間は生れて来ると云うことはないのである。
だから 『 生命の實相 』 の実相篇には 「 未だ曾(かつ)て人間は女の子宮から生れて出たことがない 」
と明瞭に断言してある。
人間は神聖受胎であって神から生れたものである。
『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 十五日の法語 谷口雅春先生