ヨハネ伝第九章に 「 この人の盲目にて生れしは、誰の罪によるぞ、己のか、親のか 」 と
弟子がたずねたのに対して 「 神の業のあらわれんがためなり 」 とイエスは注目すべき答をなしている。
吾々の苦痛は、内在無限の神力を発揮せんがための重圧であるのである。
偉(おお)いなる病苦に悩む人が、その内在の力を発揮していることは
同じような病苦に悩む人にとっても偉大なる励ましとなり慰めとなるのである。
両手両脚なくして炊事も洗濯も裁縫もなし得る中村久子女子や、
盲聾啞の三重苦のヘレン・ケラーが普通よりも一層魂の眼がひらいて人々を指導し得る事実を見るとき
多くの人は希望を持つのである。
『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 十一日の法語 谷口雅春先生