「日本画」にしても「浮世絵」にしても、その主流となるものは「線」の存在です。
日本人の持つ「美意識」がそうさせるのかも知れませんが、「線」というものの中に「美」を見つけることができるのも確かです。
絵といえば、色をつけたり「明暗」をつけたりということで、そこに「立体感」を出すのが当然のことのように思われています。
しかし、あまりにもたくさんの要素を絵の中に盛り込むと、作者のねらいのようなものが見えなくなる場合があります。
ここにあげているKさんの作品は、女性独特の「優しさ」や「優雅さ」が線の中に表現できている作品だと思います。
ある種の「ロマンティシズム」を感じさせるこの絵の中に我々の目をくぎ付けにするものがあるのはどうしてでしょうか。
よく見ると、「線の流れ」と「顔の表情」がとてもマッチしていて、「優しい空間」を創りあげているのがわかります。
同じモデルさんを描いたもう一人のKさんの作品ですが、とても強烈でインパクトのある作品になっています。
「線」の中に「強い意志」と「自分との対話」が見られ、思わずその世界へ引きずり込まれていくようです。
「ヴァイオリニスト」を描いたこの作品からも、Kさんの独特な個性が輝いているのがわかると思います。
日本画家の「片岡球子」という画家をご存知だと思いますが、私が始めてKさんの作品を見た時、この画家と共通するものを感じ取ることができました。
それは「既成概念」にとらわれず「自由奔放」に描いているその作風の中に、実は「創造の喜び」のようなものが満ち溢れているからに他なりません。
この二人のKさんの作品を見ていると「描くこととは一体どういうことなのか」という疑問がおきてきます。
同じ対象物を見ていても「違うフィルター」を通して、見たものを描く人が内面の中で浄化し、それを「新たな創造物」に変身さしていく過程を見ていると、「描くこと」の無限の可能性を感じてしまうのがわかります。
ということは「創造」というものは「人」に与えられたとてつもない崇高な能力で、誰もが持っているものではないかという思いに駆られます。
「ピカソ」や「ゴッホ」という特殊な人だけが持っているものではなく、誰もが潜在的に持っていているのにもかかわらず、その存在に気づかずにいるのではないかと思います。
「人の目」を気にせず、「素直な心」で対象物と接したならば、自ずとそすいう世界にめぐり合う機会が訪れることは確かだと思っています。