では、どうして「ゴッホ」の絵はこれほど人気が高いのでしょうか。
「ゴッホ」の絵からは、いわゆる「デッサン力」のようなものは見つけることができません。「アカデミック」な教育を受けた画家に多いのは、「既成の概念」」で絵を描くことが多く、その中には人をひきつける力があまり見られません。
「ゴッホ」は独学で絵の勉強をして、独自のスタイルを築き上げた作家の一人です。
見てもわかるように、この作品の中に「明暗」とか「陰影」とか学校で学ぶようなものはどこにも見当たりません。
そしてどちらかというと、「平面的」な構図にさえなっています。しかし、その色を見ると俄然力を増し、私たちの目に迫るものが見られます。
「形が正確だ」とか」「リアルである」という言葉をあざ笑うかのように、「ゴッホ」の作品の中には不思議な力があります。
「糸杉」という絵もたくさん描いていますが、その弾むような「タッチ」と「心躍らせる色彩の構成」には一体何が隠されているのでしょうか。
彼は、絵の勉強に「毛糸」を使って色の組み合わせを考えたといわれています。この「ひまわり」を描いたものからそうしたことが納得できるのですが、幾重にも色を並べてその効果を吟味しているようなところがあります。
また、彼は「補色」というものにとても興味を持ち、それをとても効果的に使っています。
この作品も「黄」と「青」の補色でできていて、その意図がとてもよくわかる作品になっていると思いませんか。
そうした「補色」の作品とはうってかわったような作品になっているのがこの画像で、「類似色」にまとめられた中に「白」をおくことにより「すがすがしい」感覚を起こすものになっています。
日本の「浮世絵」に影響のある作品のようで、線が強調され全体的に平面的になっています。
しかし、「色」と「色」がつくる別世界がそこに出来上がり、我々の心を揺さぶるものができています。
「ゴッホ」は自画像をたくさん描いていますが、こうした「女性」を描くのは少ないのですが、「アルル」にうつって宿の「女主人」を描いた作品がこれになります。
「アルル」に来てとてもうれしかったように見られるこの作品からは、とてもインパクトのある色をバックに使い、その時の「ゴッホ」の」気持ちがあからさまにでているように思えてなりません。
では、どうしてこれほど「ゴッホ」の絵が人の心をひきつけるのでしょうか、それを私なりに考えると「子供のような純真な目」を彼は持っているからにほかなりません。
彼の絵は「つくった絵」ではなく、「感じたまま」の作品が多いのに気づきます。
「つくった絵」とは計算された画法や製作過程のいことをさし、そこには偶然やハプニングがありません。
「感じたまま」というのは、「無垢な気持ち」でなりふりかまわず、制作に「没頭」するという意味ですが、そうしたものが自然に我々の心に伝わってくるように思われます。
そんなことよりも、「ゴッホ」の絵を見てください。日頃のいやなことも忘れ、そこがあたかも「楽園」のような世界へ導いてくれることに気づくのではないでしょか。
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