恩田 陸「夜のピクニック」
たまには日本の小説を。
この本は発売と同時にある書評にひかれて買いました。今時こんな女子高校生なんていないよな、と感じながらも読み終えるのが悲しく、もっと続いてくれ!と思っちゃう爽やかな青春小説でした。
で、思い出したのが私の学生時代の夜間歩行・・・。
くわしく言うと大学名もばれちゃうのですが、秋の大学祭と合わせて「遠歩会」なるものが毎年開催されてました。今も続いているのかな?
以下当時の思い出。
それは某有名な山の山頂広場から市内の大学までの約60キロを競争するというもの。ちなみに女子は麓からの約40キロで競います。参加者は午後9時に一旦大学に集められバスで山の上まで運ばれます。そして午前0時号砲とともに・・・じゃなくて係員の「はーい、出発してくださーい」の声でスタートです。この時なんと全員が走り出すのです。「何で走るーん」長距離走が極端に苦手な私はつい叫びます。まあ全員が走るのはせいぜい百メートル程度なんですが。ただトップ集団は怒涛の如く走り去って行きます。この連中はだいたい水泳部とかワンゲル部とかに属し、部の名誉を賭けて参加しているやつらです。だいたい午前4時過ぎには大学に到着するという体力だけの動物です。続いて走っている集団は20キロ先にいる女子と合流しようという本能のままに生きる動物たちです。そして私の様に話の種に参加したとか、研究室やゼミから強制的に参加させられた者たちが続くのです。スタートから1時間ほどは皆元気です。満天の星空が360度視界に広がり、流れ星がこれでもかと流れます。最初は平坦な道なのですが、ここで上り坂に変わります。山を降りてるのに・・・・、不安になります。振り返ればさっきスタートした地点からほとんど進んでないことに気付きます。私とグループを組んだIくんとTくんとの計画では時速5キロでステディに歩けば昼までには大学に帰りつくはずです。あと11時間・・・。大きなカーブを曲がると急に視界が開け、麓までが一望できる場所に差し掛かります。昼間は観光客が必ず記念写真を撮る場所です。麓の明かりがあまりにも遠くに見えます。とにかく20キロ歩かないとリタイヤするにしろ鉄道駅まで行き着きません。この段階で急に走り出す者がけっこう出てきます。どうせ苦しいなら早く終わらせたい!愚かな人間の心理です。私たちはとにかく毎時5キロをキープします。ここから麓まではとにかく下り坂となります。この坂でたいていの者が膝と踝を痛めます。ようやく麓にたどり着き国道に入ります。ここでチェックポイント。参加証に捺印をもらい次のチェックポイントを目指します。はるか先を走っていたはずの者たちの中で道端に倒れているのにちらほら遭遇します。自業自得です。己の体力を考えずに本能のまま女子に追いつこうとした果てがこのザマです。夜明けが近づくとともに霧が出てきます。懐中電灯の明かりがサーチライトの様に空に舞います。
ようやく30キロチェックポイント。ここで夜が明けます。このポイントで大きな判断に迫られます。鉄道駅はすぐ横。まもなく始発列車が出ます。リタイヤして列車に乗れば1時間後には下宿で爆睡できます。何人かが駅のほうに向うのを横目にスタートします。ここまで来ると余分な休憩を取ると足の痛みで動けなくなりそうです。
40キロ・・・。交通量が多くなります。すれ違う車から「頑張れ!」と声が掛かります。ここでいっしょに歩いていたIくんが突然「耐えられん!」と走り出します。私は後を追えません。
50キロ・・・。市内に入ります。足首の痛みはピークとなります。女子の最後尾といっしょになります。何の感情も湧きません。と、前方にロック研のHくんが倒れています。ロックンローラーの悲しい最後です。
11時半ようやくゴール・・・。朝には地元テレビ局の中継車が出てたそうですが、この時間になるとスタッフだけが出迎えてくれます。ゴールした者には「完歩タオル」と呼ばれる記念の手ぬぐいが渡されます。この手ぬぐいを持参すると近所の銭湯がタダになったり、定食屋が半額になったりするのですが、とにかく下宿に這い上がってバタンでした。
ちなみにこの日の最終ゴール者は午後3時半だったそうです。
小説と違って、ちっとも胸キュンじゃない汗臭い私の「夜のピクニック」。でもあの夜の星空と夜明けの美しさだけは今も鮮明に思い出します。
自分のことばかり書いちゃいましたが、
かつては輝いていたのに、濁った日常に浸ってる方にお薦めの本です。
たまには日本の小説を。
この本は発売と同時にある書評にひかれて買いました。今時こんな女子高校生なんていないよな、と感じながらも読み終えるのが悲しく、もっと続いてくれ!と思っちゃう爽やかな青春小説でした。
で、思い出したのが私の学生時代の夜間歩行・・・。
くわしく言うと大学名もばれちゃうのですが、秋の大学祭と合わせて「遠歩会」なるものが毎年開催されてました。今も続いているのかな?
以下当時の思い出。
それは某有名な山の山頂広場から市内の大学までの約60キロを競争するというもの。ちなみに女子は麓からの約40キロで競います。参加者は午後9時に一旦大学に集められバスで山の上まで運ばれます。そして午前0時号砲とともに・・・じゃなくて係員の「はーい、出発してくださーい」の声でスタートです。この時なんと全員が走り出すのです。「何で走るーん」長距離走が極端に苦手な私はつい叫びます。まあ全員が走るのはせいぜい百メートル程度なんですが。ただトップ集団は怒涛の如く走り去って行きます。この連中はだいたい水泳部とかワンゲル部とかに属し、部の名誉を賭けて参加しているやつらです。だいたい午前4時過ぎには大学に到着するという体力だけの動物です。続いて走っている集団は20キロ先にいる女子と合流しようという本能のままに生きる動物たちです。そして私の様に話の種に参加したとか、研究室やゼミから強制的に参加させられた者たちが続くのです。スタートから1時間ほどは皆元気です。満天の星空が360度視界に広がり、流れ星がこれでもかと流れます。最初は平坦な道なのですが、ここで上り坂に変わります。山を降りてるのに・・・・、不安になります。振り返ればさっきスタートした地点からほとんど進んでないことに気付きます。私とグループを組んだIくんとTくんとの計画では時速5キロでステディに歩けば昼までには大学に帰りつくはずです。あと11時間・・・。大きなカーブを曲がると急に視界が開け、麓までが一望できる場所に差し掛かります。昼間は観光客が必ず記念写真を撮る場所です。麓の明かりがあまりにも遠くに見えます。とにかく20キロ歩かないとリタイヤするにしろ鉄道駅まで行き着きません。この段階で急に走り出す者がけっこう出てきます。どうせ苦しいなら早く終わらせたい!愚かな人間の心理です。私たちはとにかく毎時5キロをキープします。ここから麓まではとにかく下り坂となります。この坂でたいていの者が膝と踝を痛めます。ようやく麓にたどり着き国道に入ります。ここでチェックポイント。参加証に捺印をもらい次のチェックポイントを目指します。はるか先を走っていたはずの者たちの中で道端に倒れているのにちらほら遭遇します。自業自得です。己の体力を考えずに本能のまま女子に追いつこうとした果てがこのザマです。夜明けが近づくとともに霧が出てきます。懐中電灯の明かりがサーチライトの様に空に舞います。
ようやく30キロチェックポイント。ここで夜が明けます。このポイントで大きな判断に迫られます。鉄道駅はすぐ横。まもなく始発列車が出ます。リタイヤして列車に乗れば1時間後には下宿で爆睡できます。何人かが駅のほうに向うのを横目にスタートします。ここまで来ると余分な休憩を取ると足の痛みで動けなくなりそうです。
40キロ・・・。交通量が多くなります。すれ違う車から「頑張れ!」と声が掛かります。ここでいっしょに歩いていたIくんが突然「耐えられん!」と走り出します。私は後を追えません。
50キロ・・・。市内に入ります。足首の痛みはピークとなります。女子の最後尾といっしょになります。何の感情も湧きません。と、前方にロック研のHくんが倒れています。ロックンローラーの悲しい最後です。
11時半ようやくゴール・・・。朝には地元テレビ局の中継車が出てたそうですが、この時間になるとスタッフだけが出迎えてくれます。ゴールした者には「完歩タオル」と呼ばれる記念の手ぬぐいが渡されます。この手ぬぐいを持参すると近所の銭湯がタダになったり、定食屋が半額になったりするのですが、とにかく下宿に這い上がってバタンでした。
ちなみにこの日の最終ゴール者は午後3時半だったそうです。
小説と違って、ちっとも胸キュンじゃない汗臭い私の「夜のピクニック」。でもあの夜の星空と夜明けの美しさだけは今も鮮明に思い出します。
自分のことばかり書いちゃいましたが、
かつては輝いていたのに、濁った日常に浸ってる方にお薦めの本です。