英国的読書生活

イギリスつながりの本を紹介していきます

からまあぞふ

2008-03-08 | 日常

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」

~僕は「カラマーゾフの兄弟」と「静かなドン」を三回ずつ読んだ。「ドイツ・イデオロギー」だって一回読んだ。円周率だって小数点十六桁まで言える。それでも彼らは僕を笑うだろうか?たぶん笑うだろう。死ぬほど笑うだろう。~(村上春樹「羊をめぐる冒険」)

世の中を、「カラマーゾフの兄弟を読んだ人」と「カラマーゾフの兄弟を読んでない人」に分類すると新しい世界が見えてくる。と言った人がいたかどうかは知りませんが・・・。少なくとも上巻だけ持ってる人もけっこうな数いるんでしょうね。だいたいロシア物は、概して人の名前が長くて憶え難いことに加え、個々の登場人物の独白がしつこくながすぎます。ちょっとくどい関西人と話をしている感じに似ていたりもします。
そんなカラマーゾフ。最近新訳なんかも出て、ちょっと本屋で巾を利かせているようですね。新潮文庫の腰巻には「東大教師が新入生に薦めたい本第一位!」なんてコピーが踊っています。思わず「ふんっ!」と鼻を鳴らしてしまいます。「だから、何なんだ!」こんなエラそうなコピーで人に読ませようとする考えがちょっと・・・・・です。さて、私の持っているカラマーゾフは新潮文庫の旧版・・・・・。表紙の暗いドストエフスキーの肖像とあいまって、読了するのにかなりの苦労を強いられた記憶が蘇ってきます。いったいどんな書き出しだったのでしょうか?ちょっと開いてみると・・・・・・。
冒頭、「作者の言葉」があって・・・・・   こんなことが書いてありました。

~『読者たるわたしが、なぜその男の生涯のさまざまな出来事の詮索に時間を費やさにゃならないんだい?』~(中略)~
だが、もし、読み終わってもわかってもらえず、~中略~ はたして読者にうまくそれを証明できるかどうか、まったく自信がない。(中略)だが、困ったことに、伝記は一つだが、小説は二つあるのだ。重要な小説は二番目のほうで、
最初の話を読めば、第二の話にとりかかる価値があるかどうか、あとは読者が自分で決めてくれるだろう。もちろん、だれ一人、何の義理もないのだから、最初の話の二ページくらいで本を投げ出し、二度と開かなくとも結構だ。~
やはりわたしは、この小説の最初のエピソードで話を放り出せるような、きわめて正当な口実を与えておくことにしよう。
(原卓也 訳)

これはどう解釈したらいいのでしょうか??
「読めるもんなら読んでみろ!!!」、でしょうか、
「面白くないかもしれないから、そのときはごめんね!」、あるいは、
「前半は退屈だけど、後半がんばってるから読んでね!」、なのか・・・・。
挑発しているのか、言い訳がましいのか、ドストエフスキーくん。
こういう風に書かれると、読んだ人も、読んでない人ももう一度読んでみたくなりませんか?
でも確かに前半はキツイよなぁ・・・。後半は一気にスリリングな展開だけど・・・。大審問官の章はすごかったなぁ・・・。

と、ここまで書いて、大きな間違いに気づきました。ドストエフスキーの言っている二つの小説とは前半、後半のことでなく、続編が用意されているということでした。ドストエフスキーの死去により日の目を見ることがなかった続編。現代人をさらなる苦悶の読書体験に誘うものだったんでしょうか・・・。

頻繁に幼児が虐待され、家族が殺しあう、現代の日本。読んだからって、宇宙人に笑われるだけかもしれませんが、一度は読んでみましょうよ。投げ出しても構わないって言ってるんですから。