国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

日本は何故勝ち目のない大東亜戦争に参戦したのか?

2013年08月15日 | 日本国内
●2013年8月15日朝の靖国神社






●大東亜戦争と関ヶ原の戦い - 国際情勢の分析と予測
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/c80881cb73e5d9a40226112ca8a03d3a



●「日本を戦争ができない親英米国家にするために太平洋戦争で日本はわざと負けた」論についての一考察 - 国際情勢の分析と予測
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/75a24751ec6779e92b1c29ada278dbfa




【2013年8月18日追記】
●旧白洲邸 武相荘 Buaiso












http://www.buaiso.com/index.html







【私のコメント】

本日早朝、私は仕事前に靖国神社に参拝してきた。政治団体の看板やポスター、右翼団体と思われる人々に混じって、出勤途中と思われる多くの人々が参拝していた。マスコミ記者も多く見られた。私もインタビューを受けたが時間の無駄なので拒否した。中国語で実況中継するテレビ局やフランスのAFP通信のテレビカメラもあった。今後犯罪国家として糾弾されることになるであろう米英のマスコミは会社名を隠していたのではないかと想像する。

さて、本題に入ろう。日本が何故勝ち目のない大東亜戦争に参戦したのかという謎について私は何度か記事を書いてきた。山本五十六が開戦前に「半年ぐらいは暴れて見せます」と言ったとおり、日本の敗北は戦争前から自明であった。上記の「大東亜戦争と関ヶ原の戦い」『「日本を戦争ができない親英米国家にするために太平洋戦争で日本はわざと負けた」論についての一考察』がその例である。今日もその事について書こうと思う。

日本が強大な敵国の脅威に晒されたのは、唐成立直後の白村江の戦いの前後、元寇の時期と、ペリー来航以降現在までの3回である。唐は遊牧民の鮮卑拓跋氏が支配階層であったし、元はモンゴル高原の遊牧民族が中心であった。いずれも陸軍主体の軍隊であり、海軍力は相対的に弱い。対馬海峡を越えて日本に侵攻することで彼らの軍事力は低下していた。日本はアジア大陸の遊牧騎馬軍団の攻勢終末点に位置する国であり、それ故に高麗や宋と比較して国防が容易であったのだ。当時は巨大な海軍力を持つ国は皆無であり、ユーラシア内陸の騎馬遊牧軍団が唯一の脅威であった。

しかし、大航海時代に入ってからはこの有利さは致命的弱点に転換した。欧米諸国の海軍力は日本周囲で自由に活動可能であり、日本は彼らに完全に包囲されていた。国際金融資本は最後に残った未踏の地である中国とロシアを占領するためにアジア大陸東岸に軍事基地を持つことを望んでいた。そして、残念ながら日本には彼らに戦争で勝つことは軍事力の格差から見て不可能であった。

ただ、勝算が全くなかったわけではない。国際金融資本は海軍力は強いが陸軍力は弱く、補給を海運に依存するために内陸への侵攻には限界があった。従って、日本が大東亜戦争に勝利するためには、日本本土を放棄し、国際金融資本の軍事力の攻勢終末点である東アジアの海岸からやや内陸に入った地帯で戦う必要があった。その戦いは日本本土が国際金融資本に降伏した後に、残置諜者国家である北朝鮮や、その支援を受けた北ベトナムなどによって遂行された。高麗を容易に征服した元が日本を征服できなかった様に、日本を容易に征服した国際金融資本支配下の米軍は北朝鮮やベトナムを征服することが出来なかった。朝鮮戦争とベトナム戦争は大東亜戦争の継続である。

日本本土の降伏後の戦いに備えるために、日本は東アジアに広く残置諜者と対日協力者を育成する必要があった。ソ連の共産主義に対抗するとともに、日本本土の降伏後に東アジアに形成される多数の共産主義国家の内部に残置諜者と対日協力者を配置することが、日本が満州事変・対中戦争・仏印進駐・米英蘭への宣戦布告と戦争を拡大した最大の理由であると思われる。ミャンマーやインドネシアで日本軍が現地の若者を訓練して軍事組織を作り、日本本土の降伏後に現地人が欧米人と戦い続ける様に仕向けたのはその一例である。また、ベトナム戦争で北ベトナムが塹壕を多数作ってゲリラ戦を戦ったのは、日本が沖縄や硫黄島で取った戦法が北朝鮮を通じて伝わった為であろう。

大東亜戦争末期に日本は朝鮮半島北部を満州の関東軍の管轄地域に編入する。これは、日本本土が降伏した後に国際金融資本が朝鮮半島中央部に資本主義圏と共産主義圏の境界を引くことを誘導する目的であったとされる。国際金融資本としては中国やソ連と米軍占領地域が直接陸上国境で接することは不慮の事態による戦争勃発の危険があるので、米軍支配域と中ソの間に緩衝地帯を設けるつもりであっただろう。この朝鮮半島とベトナムの南北分断を日本支配階層は予想した上で、日本本土にとってより重要な朝鮮半島の分断ラインを半島中央部に引いたのだと思われる。分断ラインが北に偏ると分断ラインの北側の地域が著しく狭くなり、日本の残置諜者国家である北朝鮮の国力が低下する。しかし、分断ラインが南に偏ると北朝鮮が長大な海岸線を有することになり、米軍の海軍力に対抗する事が困難になる。

日本が対中戦争で上海や南京・武漢などを占領したが、江沢民の父は当時の日本軍の協力者であった。恐らく共産中国内部にも多くの残置諜者と協力者がいたことだろう。1964年に中国は初めて核実験を行い原爆を保有したが、この核開発には日本人技術者が多数参加していたという。

この戦法の最大の問題は、日本本土が長期間国際金融資本の占領下に置かれ、彼らに抵抗できなくなることだ。占領期間中に彼らに影響力を行使するには、日本人が敵に回すと恐ろしい民族であると記憶させる必要がある。神風特攻隊はそのために結成されたのだろう。現在も国際金融資本は、日本に無理難題を押しつけると日本人が激怒して全員神風特攻隊に成って欧米人を虐殺すると恐れているはずだ。そして、無意味な本土決戦で日本人の人命が失われることを回避するため、日本は本土決戦の準備ができていたにも関わらず国際金融資本に降伏したのである。










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29 コメント

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南朝鮮の銀行、総崩れ (Unknown)
2013-08-15 10:57:30

いよいよ、南朝鮮滅亡へ!
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英霊の聲 (糸色 望)
2013-08-15 11:28:58

文豪として確固たる地位を築きながら、私兵的団体「楯の会」を結成した三島由紀夫と メンバーの姿を追ったドラマ。

www.youtube.com/watch?v=sNaWOwrCVFw


英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫) 三島 由紀夫
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国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選 小林よしのり 責任編集
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朝鮮人特攻隊―「日本人」として死んU+200Bだ英霊たち (新潮新書) 〓 淵弘
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大東亜解放戦争〈上巻〉靖国の英霊にU+200B捧ぐ 岩間 弘
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だから日本人よ、靖国へ行こうU+200B 小野田 寛郎
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Unknown (Unknown)
2013-08-15 12:45:22
「アジアへの反省」触れず=戦没者追悼式で首相式辞―68回目の終戦記念日

68回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下と安倍晋三首相、遺族らが参列。戦争の犠牲となった約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)の冥福を祈り、改めて平和を誓った。安倍首相は式辞で、近年の歴代首相が表明していたアジア諸国に対する損害や反省などに言及しなかった。
 式典は正午前に開始。式辞で安倍首相は、2007年に自身も使った「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え、深い反省と哀悼の意を表する」という表現を用いなかった。近年の首相が使っていた「不戦の誓い」にも触れなかった。
 近隣諸国に対しては1993年、細川護煕首相(当時)が初めて式辞で哀悼の意を表明して以来、歴代首相が「損害と苦痛」や「深い反省」に言及してきた。
 安倍首相は一方で、「わが国は世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に支援の手を差し伸べてきた」と述べ、「世界の恒久平和に、あたう限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くす」と訴えた。
 戦没者に対しては「あなた方の犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時たりとも忘れません」と追悼。その上で「歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた国の未来を切り開く」とした。 

勝利宣言かな?
「不戦の誓い」に触れなかったのは、南朝鮮との戦争が控えているから。
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Unknown (Unknown)
2013-08-15 12:54:42
そもそも、南朝鮮は、ベトナムでの残虐行為を、賠償はおろか、謝罪すらしてないだろ!
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Unknown (Unknown)
2013-08-15 15:23:49
朝鮮人が暴れるのは、犬が噛みつくのと同じ、当たり前のことだよ。
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Unknown (糸色 望)
2013-08-15 15:53:37
馬鹿犬は保健所に行くしかない。

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Unknown (安物の妄想)
2013-08-15 15:55:54
中国の劉振民外務次官は15日、木寺昌人駐中国大使を呼び、閣僚が靖国神社を参拝したことについて強く抗議した。

これで紳士協定の破棄決定!
秋の例大祭に首相は参拝するしかなくなった。
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Unknown (匿名)
2013-08-15 18:13:16
.
「戦線を内陸に引き込むため」ってのはあまりにもピンポイント過ぎてハズレ臭い。

「日本の影響力を残しながらアジア諸国を開放するため」ぐらいの包括的な理由づけであれば

ハズレではなかろう。

ちなみに
  ・3月9日の作戦開始直前、日本軍は、フランス保護国だったベトナム・ラオス・カンボジアの各皇帝・国王に、武力行使決意と
   「独立を宣言することが可能である」旨を連絡する使者を発していた。これを受けて、ベトナム阮朝の保大帝(バオ・ダイ帝)は、
   フランスとの保護条約を破棄し、チャン・チョン・キム(陳仲金)を首班とするベトナム帝国(越南)樹立を3月11日に宣言した。
   カンボジアのノロドム・シハヌーク国王も3月13日に続いた。ラオスのルアンパバーン朝のシーサワーンウォン国王は、
   当初はフランスの敗北を信じなかったが、日本軍部隊の展開を見て4月8日に独立宣言をした。

これ豆な。
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Unknown (Unknown)
2013-08-15 18:35:10
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>>管理人
どうよ?
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戦争という物への私の見解 (kashin)
2013-08-15 20:31:02
>安倍首相は式辞で、近年の歴代首相が表明していたアジア諸国に対する損害や反省などに言及しなかった。
サヨクマスゴミの言い古した言葉だが、何を反省しろと言うのかね。アジアへ侵略戦争かね。冗談じゃない。
 そもそも国家とは、何故存在するのか。国家の果たすべき役割とは何か。文化行政、司法行政、経済行政、軍事警察行政を行って、国民を幸せにする機能体だ。
不適切な在り方(文化行政)、不適切な運営方針(司法行政、経済行政、軍事行政)を採っていた国は、必ず敗戦や国家破産、最悪それに伴う国家消滅の憂き目を見る。そうなった時に、そこに居た国民の生活は目茶目茶になり、皆が涙を流す。そうなって嫌でもいい方向に変わらざるおえなくなる。だから私は断言する。戦争制度と国家破産制度。これらは国家と国民のために、なくてはならぬ至高の二大制度である。
 だからこうも断言する。「『我々は日本の侵略戦争による被害者である』というセリフは、ただの責任転嫁である。自ら無責任な三流国家、三流国民であると自白する行為である。
 自称日本の侵略戦争による被害者たちは、その被害とやらで流した涙を認めるべきなのである。」
もっともその侵略戦争による被害とやらが、捏造(ペテン)・食言・嘘八百だったらこの限りではありませんが。
返信する

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