国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

平成30年11月の即位の礼は奈良市の国営平城宮跡歴史公園の復元大極殿で行われ、それを期に皇室は関西に戻る。

2016年10月23日 | 京阪奈学研都市への遷都
①平城京跡地は国営平城宮跡歴史公園となっており、復元された大極殿の周囲には建造物の無い広い敷地が確保されている。その南には朱雀大路もある。長安の都を模した伝統的な日本の都の構造が復元されているのだ。更に、即位の礼に必要不可欠な高御座も京都御所の他に平城京復元大極殿で二つ目が準備されている。ここで即位の礼を行うなら、日本が中国文明の伝統を引き継いだ国であるというメッセージを全世界に発信することになる。周囲の建物も京都御所より少なく警備も容易だろう。 ②国営平城宮跡歴史公園はその南側の住宅地や農地を含めて何故かけいはんな学研都市に含まれている。先端技術研究や住宅開発を平城京跡地で行うとは考えられない。しかし、学研都市はその設立目的の一つに首都機能の移転をうたっている。平城京の復元大極殿を新たな宮殿としてそこで即位の礼を含めた多くの宮中行事を行う計画があり、周辺地区の乱開発や土地投機を防止する目的で学研都市が構想・設立されたと考えるべきだろう。新天皇一家が平城京歴史公園に住むことは不可能では無いが、敷地は決して広くなく、多くの外国賓客が訪問できるスペースを確保するためにも、住む場所は祝園分屯地にするのではないかと想像する。平城京跡地のすぐ西側には秋篠川が流れており、その上流には秋篠寺がある。秋篠宮が設立された時点で、東京の皇居から平城京跡地に宮殿を移すことが決定されたのだと思われる。『みち』で触れている吉野については、最近の開発計画が無いことから考えて、祝園分屯地の隠蔽が目的ではないかと想像する。 『みち』で触れている様に、京都や奈良の宮殿を住居として祭祀を行ってきた天皇を東京に連れ出して江戸城跡地の皇居に居住させるという明治維新以後の状況は異常である。京都でも桃山城や二条城という城があるがそこは秀吉や徳川将軍が本拠としていた。城は武士の住処であって皇室の住処では無いのだ。それは平成30年に終わるのである。 . . . 本文を読む
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