~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

ある出会い

2009年12月08日 | 対人関係
何年か前、趣味関係で出会った女性のことを少し。

インターネットを通して、その女性と知り合いました。
あるイベントに同行するためです。

私より何才か年上で、遠くにお住まいだったので、
お会いするまでの期間はメールにて、
趣味にまつわる色々なお話しをしていました。

とても楽しくメール交換をしていました。

会う日が近づいてきたある日、
私は難聴であることを申告しました。
イベントで2~3時間一緒にいるわけですから、
不愉快な思いをさせては申し訳ないと思ったからです。

申告した方が、私自身も精神的負担が少ないし、
女性に対して、私なりに心を開いたつもりでもありました。

そしたら、女性は、
「私は義父母を介護しているし、身内にも障害者がいるので、
 全く偏見はないし、普通に接することができるから大丈夫。」
と言うような、心強い返信をいただきました。

その時は、何て有り難いと思ったのですが、
よくよく考えると、何か違うかなと。
何か違和感があると言うか。

でも、当日は楽しく過ごしたいと思っていましたから、
こんな私と1日お付き合いしてくれるのだから、
感謝しようと決め、当日を迎えました。


当日。
女性は、待ち合わせ時間に1時間半遅刻。
私が女性を待っている間、
イベント関連のあれとこれを買ってきておいて欲しい、
と女性からメールが届きました。

まぁ、私より遠い所から来るわけだし、
待ち合わせはイベントよりだいぶ早い時間にしていたし、
待ってる時間は暇なのでお使いくらい仕方ない。


初対面して、色々話しているうちに、おかしなことを感じました。

女性は声が大きく、至近距離で1対1の会話ですから、
私自身の聞き取りには困りませんでした。

しかし、私は普通の声で話しているにも関わらず、
女性が「えっ?」「何?」「はっ?」と、何度も何度も聞き返してくるのです。
あれっ、と思うくらい何度も聞き返してきました。

いつもとは逆の立場です。
そのたびに、聞き取りやすくゆっくり話したりしていました。


私が難聴を申告した時にいただいた返信とは、何だか印象が違う。
得体の知れない違和感は、これだったのかもしれません。


女性は恐らく、難聴だと思いました。
声が大きいことでもわかります。
まだ自覚はないのかもしれません。

だからこそ、空気も流れも気にせず、
何度でも聞き返すことができたんだろうなぁと。
まるで、こっちの発音が悪いのがいけないかのように。


女性は帰り際も、私が用意したある厚意を当たり前のように受け取り、
その上、今度はあれとこれを買って、自宅に送って欲しいと要求。
代金は立て替えておいてと。


何だかなぁ。

女性の普通に接するって、こういうことだったのかな。
障害を持っている人を特別扱いしないで、
付き合ってあげてるのだから、何でも利用すると。


後日、このイベントの出来事を、趣味のブログへ書いたら、
女性とは関係ない私の文章にケチをつけ、
「今度から気を付けてくださいね。」とメールが届き、
この女性とは、これで終了しました。

面倒くさい難聴者に1日付き合ってあげたんだから、
色々してもらって当然、何か貰って当然、
遅刻しても謝らない。

最終的には、こんな印象を持ってしまいました。
障害を持つあなたは、私よりも下の人間なんだから的な。

まぁ、そこまで、女性の悪意はないとは思いますが。


なら、申告しなければ良かった。
申告しなくても、何とかなった1日だったから。
その女性の方こそ、聞き返してばかりだったから。

そしたらまた違う1日だったかもしれません。

女性の言う、普通に接することができるって何だったんだろう。
偏見ないって何なのだろう。


その女性のことを思い出していたら、
「難聴の感覚はわからないんですが、
 正面からゆっくり話した方が聞こえやすいですよね?」と聞いてくれた、
年下の女性の優しさが、ぐっと胸にしみてきた毎日です。

これからもよろしくね。

PTA

2009年12月05日 | 字幕
子供が小さい頃は何とかなったママ同士の世界も、
子供が幼稚園・小学校と進むにつれて、
精神的にしんどい世界になってしまいました。


まず、幼稚園(保育園)や学校の全体会や説明会の内容が、
ほとんど聞き取れませんでした。
補聴器をしていてもです。

ホールや体育館での広い空間でマイクを通した全体会や説明会。
資料が配布されているので、何とかなる部分もありましたが、
資料に書いていない情報はほぼ無です。

たまに、隣に座った人が資料などにメモしていることを、
チラっと覗いたりすることもありました。
私の難聴を知っている人は、そのメモを見せてくれることもありました。
本当に助かりました。


それから、担任の先生との個人面談はスムーズにできるものの、
教室で行われる保護者会や保護者懇談会も苦痛でした。

個人面談は、1対1で距離も近いからでしょうか。
特に不便はなかったと思います。

しかし、保護者会や保護者懇談会は、
教室と言う広い空間で、大勢の人達が話し合う場所。

内容がわからないだけでなく、
今、タイムリーに話題になっていることについて、
意見を述べる場でもあったので、本当に困りました。

きっと私はとんちんかんな意見を述べていたと思います。

担任先生がよく、私の発言に一瞬「えっ?」と言う表情をしていました。
どの先生も同じような表情なのです。
頭弱いお母さんだと思われていたことでしょう。


上の2人の子供までは、保護者会で難聴を申告できず、
比較的、気の合う人にしか言えませんでした。

3番目の子供の時は、保護者会の場で難聴を申告しました。

上2人の子供の関係で、すでに顔見知りの人もいましたし、
もう、隠せない聴力になっていると自覚したからです。

しかし、健聴者には感覚的に理解しづらい難聴です。
聾の方の方が理解しやすいのではないでしょうか。

難聴とか耳が遠いとか聞き取れないとか説明しても、
普通に会話ができているし、連絡網の電話も普通だし、
どう接して良いかわからなくて戸惑った人もいたと思います。

また、聞き取りやすい声の人、聞き取りにくい声の人がいますから、
人によって態度が違うと思われるような気がして、
何となく自分から見えない壁を作ってしまいました。


難聴を申告しなかった上2人の子供の保護者同士の方が、
何かとスムーズだったかもしれません。

ちょっと聞き返すくらい、特に気にしないけど、
難聴を申告した時点で、お互いに壁ができてしまうような気がしました。


また、役員になりたくない言い訳と思われていたかもしれません。

勿論、役員に関しては免除していただきたかった。
しかし、それくらいの難聴なら役員くらいできるでしょう的な、
無言の空気をいつも感じました。

3人の子供の幼稚園(保育園)・小学校で、何度か役員をつとめました。
今思い出すと、難聴を申告せずにつとめた時の方が、
周りとの関係がとても良かったかもしれません。


3番目の子供の時、PTA会長の候補になってしまいました。

難聴なので、絶対に無理だと保護者の役員さん達に説明しても、
みんなで協力するから大丈夫と言われました。

どんな協力ができると言うんでしょうか。
何が大丈夫なんでしょうか。
会議と言うタイムリーな話し合いができないのに。

PTAを仕切る教頭先生に、
主人から無理だと言うことを頼んで貰いました。

PTAの仕事が嫌と言ってるわけではないのに、
言い訳に聞こえてたのかもしれません。
みんなで運営するのだから大丈夫ですよと、軽く返答され、
会長は免れたものの、副会長をつとめることになってしまいました。


副会長をつとめた1年間は、ほんとに色々ありました。

こっそり気を遣ってくれる人もちゃんとわかっていたし、
気の強いタイプからはイライラが伝わってきてしまったり、
心が開けない部分も沢山あったり。

話し合いに加われない無能さをわかっているので、
会議のセッティングや行事などでの力仕事系は進んでやることにしました。
書記の協力を求めましたが、結局、タイムリーには困難でした。

月1度の会議で、タイムリーな意見を述べることはありませんでした。
決まっている議題の報告や反省などを述べるのが、精一杯でした。


子供の中学校や高校の役員は、特殊な選出方法だったので、
何とか役員にならず済みました。

今思えば、聴覚障害を申告して副会長をつとめた1年間は、
私の今後の人生においてもいい経験だったかもしれません。

しかし、もうこのような重要な役割はつとめたくありません。
とりあえず、地域の自治会では重要な役割を免除していただいているところです。

2ちゃん続き

2009年12月02日 | インターネット上のこと
2ちゃんねるに書き込みしてあった、
日本のどこかにいる同じ障害を持つ方々の文章たちを、さらに紹介。

私が常に思っていることを、ずばり書いて下さっています。
文章は多少変えてあります。



一口に難聴者といっても、障害の態様は多様です。
家庭内や日常生活のレベルでは、ほとんど(さほど)ハンディがないけど、
学校や仕事や社交などでは、
良く聞こえないことによるストレス・ハンディを感じるのが、
中度感音性難聴者。
治療の方法も無く、補聴器を使用しても十分とまでは言い難い。


健聴者と言うのは「ん?この人耳遠い?」と思っても、
はっきりしない間は普通に接してくれるけど、
はっきりと難聴と発覚しちゃうと、態度が急変する人が多い。
よそよそしくなったり、周囲の人にヒソヒソってやって見せたり、
明らかに以前とは違う溝が出来て行く。


難聴の悩みなんて、単に人との付き合いがが嫌な、
なまけ病で、障害ではないと言う健聴者もいる。


聞こえ悪いわ、手話は出来んわで、
「めんどくせ~」って感じの対応もされる。


学生時代までは何とかなっても、
社会人になると、完全に振るいにかけられる。
毎日、聞き返しの連続で、聞こえたふりをしない日がないくらい。
一生懸命はやっているんだけど、やっぱり耳から入る情報の大きさを感じる。


一人での孤独より、大勢での孤独のほうが辛い。


コミュニケーション障害と思われていると思う。
実際、会話(接触)を協力避けているし
聴覚障害なんだから他の障害よりマシだろってぐらいで。
これは目に見えない障害の急所だね。



何人かの方の文章たち。

本当に痛いほどわかる。
聴覚だけの障害じゃないんです。


そう言えば、難聴を申告していない頃、
よく電話をかけてきてくれた友達数人は、
私が難聴を申告したら、電話は一切かけてこなくなりメールのみになりました。

明らかに溝ができてしまうんです。

難聴の人に電話なんてできないと思うだろうし、
どれくらい聞き取れているかなんて、感覚的に全くわからないから、
どう接して良いのか戸惑ってしまうのかもしれません。

普通に接して欲しくても、健聴者にとしてはそうもできない。
普通に話せば聞き取れていないし、
かと言って、どの程度の大きさの声で話せば聞き取れるのか難しい。

本当に中途半端で面倒くさい障害だと思う。


主人にも「全く聴こえないわけじゃないから良かったね。」
とよく言われます。
健聴者からしたら、それが普通の考えだと思います。

音楽も楽しめるし、1対1や日常なら会話もできるし、
ヘッドホンを付ければ健聴者とほぼ同じようにテレビなども楽しめます。

そして、話せる。


難聴から生ずる様々なストレス。
対人スキルの低下。
単なる付き合い下手。
コミュニケーション能力不足。

これらの障害でもあることを理解していただくのは、本当に難しい。
理解していただけなくても、日常生活だけではなく、
社会生活の中でも心穏やかに過ごしたいものです。


難聴ながらも社会に出て頑張っていらっしゃる若い方々へ、
心からエールを送っています。