マスミンのピアノの小部屋

ピアニスト兼ピアノ指導者松尾益民が、ピアノや教育、世の中の出来事など日々感じることを、徒然なるままに綴ります。

プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第3番

2012-08-28 23:31:04 | ラ・プロムナード・ミュジカル
曲の形がなかなか見えてこなくて、このところ若干焦り気味でもありましたが、何とか見え始めて、ちょっとホッとしているところです。
9/9のプロムナード・コンサートで弾く曲のうち、一番メインと思っている曲は、プロコフィエフのソナタ第3番です。
今回、よく知られた曲として、ウェーバーの「舞踏への勧誘」を弾くことは以前から決めていましたが、メインで弾こうと思う曲を決めかねていました。
候補はいろいろあったのですが、演奏時間の問題とか、練習時間の確保の問題などあり、迷いに迷って、結局、ここ数回で弾こうと思ってもいなかったこの曲に決めたのです。
いずれは弾こうと思っていましたが、ここ1~2年ではない…と。
まぁ、やる気になった時が弾き時ですから。
もちろん、おもしろい曲ですよ。
でも、やはりショパンやプーランクとは一味もふた味も違う傾向なので、それなりに苦労するというものです。
過去には、プロコフィエフはソナタの7番を弾いたことがあり、これもいずれまた弾きたいと思っているところです。
そう遠くない時期に弾かないと、こういう軽快さが必要な曲に対応しきれなくなりそう…。

さて、プロコフィエフ(1891~1953)という作曲家、ロシアの代表的な作曲家ですが、如何せん、革命や大戦のさなかに生を受け、それなりに苦労があったようですね。
ソナタの6~8番は、戦争ソナタと呼ばれています。
1918年、革命の騒然とした不安を逃れるためか、アメリカへ行こうと、ウラジオストックから日本にに立ち寄ります。
南米に行こうと思ったら、船が出たばかりで一か月待たなければならなくなり、北米に行くにはシーズン的に早すぎたとかで、一か月ばかり日本に滞在しました。
東京で2回、横浜で1回コンサートを開いたそうです。
その後アメリカに行き、パリでも10年近く暮らしたようです。
1932年、スターリンのロシア芸術家に対する祖国復帰の要請にこたえて、ロシアに帰国しました。

ピアノ・ソナタは9曲しかありませんが、全創作期に渡っていて、プロコフィエフの作曲家としての成長過程と様式の推移を知ることができます。
1番は、まだロマン的な香りがしますが、徐々にプロコフィエフ独特の鋼鉄のようなリズムが加わってきます。
今回弾く3番は、1918年4月15日にペトログラードでプロコフィエフ自身によって初演されました。
「古い手帳から」という副題がついているのは、10年以上前に作った曲の改訂だからです。
1楽章だけ、7分ほどの短い曲ですが、印象的な序奏から始まり、独特の打楽器的なリズムと音型の中に叙情性も感じられ、良く演奏される曲となっています。
うまく乗って弾けたら、スカッとする曲…だと思いますね。

お勧めCD プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ全集(5枚組) は、プロコフィエフ全曲、スクリャービンとショスタコ―ヴィッチのソナタが入っていて、いいですね。
他には、 ブロンフマンのSonatas 2 3 5 & 9



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