今日の朝日新聞の夕刊に、熊本・肥後の手鞠歌が紹介されていました。
「あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ」
狸の住処の「せんば山」が「洗馬山」だということを、初めて知りました。
この手鞠歌は、「さ」の部分でで、鞠を足の下にくぐらせ、最後の「それを木の葉でちょいと隠せ」で、股の間を前から後ろにバウンドさせて、スカートでキャッチする!というものでした。
スカートで押さえ込むというのもあるそうですが、どちらにしても、パンツ丸見えの遊びです。
ズボンやスラックスではできない。
ふと、思い出したのですが、大牟田には「天領の米はかりおどり」というのがあって、これも手鞠歌にしていました。
「一番目の一助さんのちょいとはからすところは
一万一千一百石 一升一合一勺まで
はかりおさめて二番目にわたした わたした
うけとった うけとった」
これが、二番目の二助さんから十番目の十助さんまで続きます。
「一万一千一百石」のところは、片足で立って、「一」にあわせて、もう片方の足の下を素早く鞠をくぐらせます。
そして、最後の「渡した」は、またの間をバウンドさせて、後にいる人にパスします。
後ろの人は、それをドリブルでうけとって「受け取った」とうたい、「二番目の…」と続けるわけです。
何度も書いていますが、私の運動神経はうまくつながっていないので、手鞠は(も)苦手でした。
「あんたがたどこさ」はなんとかできましたが、「一万一千一百石」は、すぐふらついて足をついてしまったり、パスがうまく渡せなくて、悲しい思いをしました。
猛スピードで足をグルグル回す友達がすごく偉大に見えました。
私のせいで手鞠がつながらなくて、ばつの悪い思いもしました。
うん、なんか、しみじみしちゃうなぁ。
手鞠歌って、地域性が大きいんですよね。
どちらも、九州の手鞠歌です。
広島にも、手鞠歌はあったのでしょうが、鞠つきはやったことなかったなぁ。
「あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ」
狸の住処の「せんば山」が「洗馬山」だということを、初めて知りました。
この手鞠歌は、「さ」の部分でで、鞠を足の下にくぐらせ、最後の「それを木の葉でちょいと隠せ」で、股の間を前から後ろにバウンドさせて、スカートでキャッチする!というものでした。
スカートで押さえ込むというのもあるそうですが、どちらにしても、パンツ丸見えの遊びです。
ズボンやスラックスではできない。
ふと、思い出したのですが、大牟田には「天領の米はかりおどり」というのがあって、これも手鞠歌にしていました。
「一番目の一助さんのちょいとはからすところは
一万一千一百石 一升一合一勺まで
はかりおさめて二番目にわたした わたした
うけとった うけとった」
これが、二番目の二助さんから十番目の十助さんまで続きます。
「一万一千一百石」のところは、片足で立って、「一」にあわせて、もう片方の足の下を素早く鞠をくぐらせます。
そして、最後の「渡した」は、またの間をバウンドさせて、後にいる人にパスします。
後ろの人は、それをドリブルでうけとって「受け取った」とうたい、「二番目の…」と続けるわけです。
何度も書いていますが、私の運動神経はうまくつながっていないので、手鞠は(も)苦手でした。
「あんたがたどこさ」はなんとかできましたが、「一万一千一百石」は、すぐふらついて足をついてしまったり、パスがうまく渡せなくて、悲しい思いをしました。
猛スピードで足をグルグル回す友達がすごく偉大に見えました。
私のせいで手鞠がつながらなくて、ばつの悪い思いもしました。
うん、なんか、しみじみしちゃうなぁ。
手鞠歌って、地域性が大きいんですよね。
どちらも、九州の手鞠歌です。
広島にも、手鞠歌はあったのでしょうが、鞠つきはやったことなかったなぁ。