お父ちゃんが、斉の都だった淄博の写真を送って来てくれたので、記事をアップします。
こちらは『聊斎志異』の作者、蒲松齢の故居。
蒲松齢は科挙に合格できず、出世できなかったので、家は小さくて簡素な造りなのだとか。
白狐。
お父ちゃんのメールには、「『聊斎志異』といえばやはり狐です。」とあったのですが、私は不勉強で読んだことがないので、分かりません。
故居の近くにあった聊斎城というテーマパーク(あまり面白くなかった)にいたそうです。
何頭もいた中で、一番愛嬌があって可愛かった子だそうですが、犬と言われても納得するかもしれませんね。
淄博の一番の見どころは「臨淄(りんし)」です。
臨淄は、春秋時代「千乗の国」といわれた斉の都があった場所です、漢の時代にはこの街に斉王府がありました。
(千乗とは、戦車1000台と言う意味で、千乗の国とは、大国と言う意味です。
「論語」の学而篇に、「千乗の国を治めるには、」という一節がありましたよね。)
「斉国古城城垣」
秦の始皇帝が長城を築く以前の城壁です。
今は数十メートルしか残っていませんが、とても貴重な歴史遺産です。
「斉古城排水道口」
今から3000年近く前に排水施設を完備していたとは驚きです。
「古車博物館」
春秋時代の戦車10輌と馬32頭が埋められていたのが、高速道路の建設中に偶然発見されて話題になったそうです。
近くには600頭もの馬を埋めた「殉馬抗」、淄博の漢斉王墓には何と犬を殉葬した「殉狗抗」もあり、見学したようです。
「晏嬰墓」
「晏子之御」で有名な晏子の墓。
三代にわたって宰相を務めたのにもかかわらず、偉ぶることなく、30年間1枚の毛皮のコートを着続けたという、質素倹約を信条とした人らしい、つつましやかなお墓です。
ひっそりと佇んでいるかのような趣。
こちらは、「管仲墓」
「管鮑之交」の管仲の墓。
こちらは、とても立派な墓です。
臨淄の人達は管仲を誇りにしているそうです。
(私は鮑叔牙の方が好きですが)
博物館の動物は、次回にします。
こちらは『聊斎志異』の作者、蒲松齢の故居。
蒲松齢は科挙に合格できず、出世できなかったので、家は小さくて簡素な造りなのだとか。
白狐。
お父ちゃんのメールには、「『聊斎志異』といえばやはり狐です。」とあったのですが、私は不勉強で読んだことがないので、分かりません。
故居の近くにあった聊斎城というテーマパーク(あまり面白くなかった)にいたそうです。
何頭もいた中で、一番愛嬌があって可愛かった子だそうですが、犬と言われても納得するかもしれませんね。
淄博の一番の見どころは「臨淄(りんし)」です。
臨淄は、春秋時代「千乗の国」といわれた斉の都があった場所です、漢の時代にはこの街に斉王府がありました。
(千乗とは、戦車1000台と言う意味で、千乗の国とは、大国と言う意味です。
「論語」の学而篇に、「千乗の国を治めるには、」という一節がありましたよね。)
「斉国古城城垣」
秦の始皇帝が長城を築く以前の城壁です。
今は数十メートルしか残っていませんが、とても貴重な歴史遺産です。
「斉古城排水道口」
今から3000年近く前に排水施設を完備していたとは驚きです。
「古車博物館」
春秋時代の戦車10輌と馬32頭が埋められていたのが、高速道路の建設中に偶然発見されて話題になったそうです。
近くには600頭もの馬を埋めた「殉馬抗」、淄博の漢斉王墓には何と犬を殉葬した「殉狗抗」もあり、見学したようです。
「晏嬰墓」
「晏子之御」で有名な晏子の墓。
三代にわたって宰相を務めたのにもかかわらず、偉ぶることなく、30年間1枚の毛皮のコートを着続けたという、質素倹約を信条とした人らしい、つつましやかなお墓です。
ひっそりと佇んでいるかのような趣。
こちらは、「管仲墓」
「管鮑之交」の管仲の墓。
こちらは、とても立派な墓です。
臨淄の人達は管仲を誇りにしているそうです。
(私は鮑叔牙の方が好きですが)
博物館の動物は、次回にします。