映画雑誌に井上ひさしさんと誰だかの対談がのっていて、その時のテーマがこのサラダ記念日だったんで、観たくなって観ました。
こんかい、あれ?と思ったのは、オープニングとエンディングのところです。
いつもなら、寅さんが柴又に帰るところがオープニングになりますが、今回は、とらや・・・でなくて、くるまやには戻らずに、いきなり旅先でのお祭りのシーンです。ちょっと哀愁を漂わせています。
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子哀しむ
ここにつなげるために、たぶん、くるまやに行かなかったんでしょうね。くるまやに行ったら、遊子哀しむ・・・という雰囲気は無くなっちゃいますもんね。
そういう意味では、マクラの夢落ちもなかったですね。寅からさくらへのメッセージから入ってます。
寅さんの旅の哀愁をずっと漂わせておいて、遊子哀しむにぴったり当てはまるようにしたんじゃないでしょうか。
でも、今回、遊子の哀しさを一番感じさせたのは、最後のゆきちゃんへの寅さんのセリフですね。好きな女性が悲しんだり苦しんだりしているときに、寅さんはそばにいても何もしてあげられない。筋道立てて一緒に生きる道を模索するようなことはできない・・・それが、遊子寅さんの一番の哀しみですね。
結局、寅さんは、自分で身を引くしか、彼女の道の手伝いをしてあげることしかできないんだから。
くるまやの人にしてみれば、ああ・・・またふられたか…で終わってしまうわけだけれども、寅さんの哀しみは深いですね。
たぶん、彼女の悩みとか、悲しみをきちんと受け止めてあげれば、それこそ、うまくいったかもしれないのだけれど…寅さんは、自分のいい加減さとか、ダメなところも骨身にしみてわかっているから、相手に正面から向かってこられると、逃げるんですね。その人を幸せにできないことを自分が一番知っているから。
遊子の悲しさは、旅をすることしかできない男の悲しさですね。
寅さんが去った後の三田佳子さんも良かったです。あの受話器を置いたあとのちょっと怒った表情。しかも、無言なところがいい。あれがまた深みを出してくれました。
そう。無言で表現するという点では、おばあちゃんのお葬式の時にみんなと離れて座っている寅さんがいいですね。このころになると、寅さんは、お葬式を仕切ろうとかいう気力もないのかもしれませんが…
あそこの集団とチョコっと離れているところにいるそのポジションに哀愁があります。
長針短針のところも、別れ際に握られた手の間食を感じながら、その場から立ち去れない感じがすごく絵になってます。後ろ向きの寅さんの気持ちがすごく切ないですね。
同時に電車の中にいた先生の心も切なかったのかもしれないですけど。
あと、さりげないセリフもいいですね。
霊安室(?)での先生とのすれ違いざまの「遅くなって申し訳ありませんでした」とか言うところのセリフがすっとしみてくる感じがしました。おばあちゃんに「間に合わなくてごめん」というんじゃなくて、先生に言ったところがなんかいいですよね。
あのシーンでは、おばあちゃんに対してはセリフはいらないですもんね。観てる方も寅さんの気持ちは知っているから。
そういった、さりげないところで人の心の揺れみたいなものを表現できるってすごいですね。
下手な映画だったら、おばあちゃん間に合わなくてごめん!とかさけんじゃいそうだし・・・
寅さんて、大人な映画ですね。
・・でも、わかりやすいところがまたいいです。
わかりやすいのは、みんながそれぞれ、似たようなことを体験しているからなのかもしれませんが、そういう、そうだよなあ…という感覚を自然にしみ込ませてくれる寅さんの映画は本当にすごいと思います。
あ・・・終わりのところを言ってなかったですね。
寅さんはふられてとらやから旅に出るのがだいたい普通のパターンなんだけど、そこも、とらやから引き離しているところが意外でした。やっぱり、そこはとことん、旅先の寅さんの哀しみというテーマがあったからかもしれません。
なんて言っておいて、ああでもしないと、話がまとまらないからというだけかもしれませんが…
「・・・ですね」って多くないですか?
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愛ひとつ受けとめかねて帰る道
長針短針重なる時刻
先生のちょっとした告白みたいなものを受け止められずに電車が来たとごまかしてしまった寅さん。
別れ際の握手の手の感触の余韻を感じながら寅さんは先生を思うのでありました。
そこでこの歌が字幕で出てきます。
ああ・・・寅さんは好きなのに受け止められないというそこの心のところがこの歌にうまくはまっています。
まあ、これぐらい、愛を受け止められなかったほうも気にしてくれればいいのだろうけど…まあ・・・ね、そういうことばっかりじゃないし・・・ね。
でも、今の自分には、じんとくるシーンでしたね。
そして、おばあちゃんが死んだと気の再開のシーンでも、泣いてしまった先生に、寅さんが優しく「疲れてるんだからお休み」と声をかけて、その優しさに、彼女の心もほろっとなって、つい、寅さんに体をゆだねてしまうのだけれど・・・
寅さんは知ってるんですね。彼女にとって、本当に必要なのは、そんな安易なただの止まり木みたいな優しさじゃないって。
彼女の悩みをきちんと受け止めて、彼女の生きる道を一緒に考えてあげられるようなそんな人が彼女にふさわしいと。思ってしまうんですね。
寅さんは先生のことが好きだけど、好きだからこそ自ら身を引いてしまったのです。
今回の寅さんは、最後までカッコ良かったです。
2009-02-15
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第40作
先生はとらさんに安らぎを求めていましたが・・・
寅さんは、先生には、悩んだり落ち込んだ時に筋道立てて一緒に考えてくれる人こそふさわしいと身を引きます。
先生の甘えたい・・・支えてほしい想いに、こたえられない寅さんは、その場の情に流されることなく、彼女の先々の幸せを考えて身を引いたのでした。
満男の何で学ぶのか?の問いに、学がないと、人生の選択が迫られた時にさいころの目をふるとか気分で選ぶしかない。学ぶことによって、筋道立てて選択できる・・・みたいな・・かなり違いますけど、そんなことを言ってました。
寅さんは、大事な時には、筋道立てて考えなくても感覚で本質をついてる気がします。いくら頭がよくて筋道を考えても、本質がずれていてはどうにもなりません。
何で学ぶのか、とても寅さんらしい言葉だと思いました。
2008-02-05