NHKスペシャル「水爆実験の真実~ヒロシマが迫る埋もれた被ばく~を見ていて、当時のビキニ環礁水爆実験で漁船の乗組員の身体の被ばく調査を政府は明らかにしなかったことが出されて、1986年3月7日の予算委員会で高知県選出の議員が質問したといってたので、調べてみたら、やっぱり共産党の国会議員でした。以下、議事録です。
○山原分科員 昭和二十九年、一九五四年に起こりましたビキニ環礁における水爆実験の問題についてお伺いをいたします。御承知のように、これは三月一日から五月十四日まで、ビキニ、エニウェトク環礁で六回実験が行われております。多くの漁船及び船舶がこの際に被爆をいたしております。
そこで、最初にお伺いしたいのですが、当時日本の船舶が大体何隻被災したか、また当時のいわゆる被爆マグロ、随分大きな問題になりましたが、どの程度投棄されたか、さらに久保山さんが被爆されまして亡くなりましたが、久保山さんのほかにビキニ被爆によって何名の方が亡くなったか、また当時政府がつかんでいた被爆者の身体検査をした者は何名か、また当時の入院先あるいは乗組員のリスト、こういうものが現在存在しているかどうか、こういった点について最初にお伺いしたいのですが、三十一、二年前のことですから私も実情はわかっています。でも、一応お伺いをしたいと思います。きょうは水産庁、厚生省、お見えくださっていますから、どちらからでも結構ですが、一言簡単に御説明いただきたいのです。
○小野説明員 ただいまの先生の御質問についてお答えいたします。
昭和二十九年にマーシャル群島周辺におきまして行われましたアメリカの核実験にかかわる漁船等に関する資料につきましては、何せ本件が大分
前のことでございますので、水産庁においては残念ながら現在のところ手持ち資料はございません。
○北川政府委員 先生お尋ねの廃棄をされたマグロの量でございますが、約五百トンと承知をしております。
○仲村政府委員 昭和二十九年の水爆実験による第五福竜丸のことにつきましては、当時も非常に大きな事件として報道されたことで私ども承知してございますが、それ以外のビキニ環礁の近海で操業をしておった漁船はいたと承知しておりますけれども、その実態、数字について私どもつかんでおらないわけでございます。
第五福竜丸に関しては、二十三人の方がそれぞれ東大病院、当時の国立第一病院等に入院されたということを承知しております。
○山原分科員 実態がわがらないのですね。率直に言ってそうだと思います。当時は御承知のように世界を震憾させた大事件になりまして、連日大騒ぎをしたわけですね。そのときに政府におきましては原爆被害対策協議会というものを構成しております。恐らく政府全体としてそういう対応の組織を持ったと思います。厚生省からいただいた資料の中にそういう言葉がありまして、厚生省の方は恐らくそのうちの幾つかの部門を担当したのかもしれませんが、原爆被害対策協議会食品衛生部会というのがいただいた資料の中に出てきますから、恐らく幾つかの部会があったのではないか、それで対応したのではないかというふうに思いますけれども、今水産庁、厚生省からお話がありましたように、実態がつかめないということですね。
それで、時間の関係がありますから私の方から申しますが、実は昨年は広島、長崎の被爆四十年ということで、実は私どもの調査では、約八百隻の漁船、船舶が当時ビキニ環礁地域で操業いたしております。そしてその中で、これは私の県に関係があるわけでございますけれども、二百七十隻が高知県のカツオ・マグロ漁船でございました。したがって、この問題について私どもの県の学校の先生方あるいは高等学校の生徒あるいは科学者、医師等が一緒になりまして調査を始めたわけです。あのときに被爆した人たちがどうなっているかというのは、これがこういう膨大な資料として今作成をされているわけです。
これによりますと、当時どういう状態かと申しますと、高知県で当時被爆した方が十四名、これは死亡した方が十四名になっております。これがすべて被災によるものかどうかの因果関係はもちろん正確には言えませんけれども、いわゆる個別調査をやる中でこういう事態が起こっているんですね。
ちょっとその例を申し上げますと、高知県の第二幸成丸は、三月一日に実験が行われまして、三月五日に危険水域に突入し、第二、第三回の核実験、これは三月二十七日、四月七日に行われておりますが、この間危険水域近くで操業いたしております。その後、漁労長が腸がんで死亡、一等機関士は心臓麻痺、操機手は糖尿病で急死をいたしておりまして、いずれも体がしんどいと訴えながら、仕事中に周りの人が気づかぬうちに死亡するという事件が起こっております。
また、当時マーシャル諸島で操業中の第二新生丸、これは乗組員十九人のうち七名が亡くなっておりますが、そのうち多くの人は大腸がん、喉頭がん、脳腫瘍で亡くなっております。この中の現在生存中のAさんの例を見ますと、白血球の異常減少が現在も続いております。
さらに、痛ましい話ですが、室戸岬水産高等学校の生徒のT君というのがおりますが、彼は練習船第五大国丸に乗りましてカツオ漁に出ておりましたが、帰港後白血球が急減をいたしまして、高熱、鼻血に苦しみながら二十一歳で亡くなっております。
〔野上主査代理退席、橋本(龍)主査代理着席〕
こういう例を一つ一つ見てみますと、私の県だけで実に十四名。そこで全国的にどういう情勢かということを見てみますと、第五福竜丸で久保山さんが亡くなりましたが、同船の川島正義さんが五十年に亡くなっております。また引き続いて五十四年に増田三次郎さんが死亡しておりますが、これは放射能の影響が尾を引いたのではないかと言われております。そのことは、この船が所属しておりました大都魚類株式会社の三十年史の中に載っているわけでございます。
さらに、第五福竜丸と同じく行動しておりました第五拓新丸の一乗組員、これはビキニから大体千六百キロで被爆をしておりますが、六十一年九月二十七日に貧血、急性骨髄性白血病で入院をいたしておりまして、十二月十一日に死亡いたしております。
第七京丸、五十四年四月に大阪に帰港しておりますが、四月六日にビキニから千五百六十キロメートルで被爆をいたしまして、船長は白血球三千五百以下、乗組員全員二十一名が放射能症になりまして、白血球の激減が見られております。
貨物船神通川丸、これはビキニ北西の千二百マイルで被災をしておりましたが、五十四名全員放射能症、全員頭痛を訴えております。
さらに、政府が派遣しました調査船俊鶻丸、これは当時有名になった調査船でありますが、これも肝臓障害が続出をいたしております。
さらに関西丸、これはビキニから二千マイルで被災をいたしまして、船長は再生不良性貧血で死亡いたしておりますが、そのお骨の中からストロンチウム90が普通の人の十倍以上検出されたことが報告をされております。
また弥彦丸、これは南太平洋のマカチア島から燐鉱石を運んで岡山県玉野に帰る途中ビキニで被爆をいたしまして、平三義さんが原爆手帳を申請しましたが、原爆手帳は広島、長崎に限るということで、彼は自費で肝臓障害、慢性腸炎の治療をしておりまして毎日安静の日を送っているというのが現在の実情でございます。
その後、朝日新聞の調査によりますと、死亡十名、そのうち八名が病死ですが、うち四名は胃並びに大腸がんなどによって亡くなっておりまして、生存者の三分の二が何らかの健康障害を訴え、六名は現在も入通院、療養中となっております。これらの方は、大半の人が国による健康調査をやってほしいと望んでおることが報告をされておりまして、ビキニの悲劇は今もなお終わっていないというのが現在までの調査の結果でございます。
そこでお伺いしたいのですけれども、これらの大事件について、確かにその後資料が散逸をしたりあるいは追跡調査が行われていないということはわかるのですが、私は実は、所管は科学技術庁ではないかとかあるいは水産庁ではないかとか、厚生省ではないかとかいうことを伺いまして、それぞれ係の方においでいただきましたけれども、この真相をつかむことができないのです。けれども、これは放置できる問題ではないと思っております。したがって、これらについて、時間の関係で要約して申し上げますけれども、今までの調査されたことあるいは当時の書類、これなどを整理いたしまして、さらにそれに基づきまして、現在病苦に呻吟をしておる方たちがおいでになるとするならばその健康診断等そういう対策を一応立てる必要があるのではないかというふうに思うわけです。
これは私として要請でございますけれども、考えましてもこれはどうも水産庁でもなかろう、あるいは科学技術庁でもなかろう。きょうは科学技術庁にも聞いていただぎたいということでお見えいただいておると思うのですけれども、どうもやはり厚生省の仕事ではないかなという感じもするわけです。あるいは総理府かもしれません。
その意味におきましてこれは大臣にお伺いしたいのですけれども、これらについて一応統括をして、何らかの対応できる体制をぜひとっていただきたいというのがきょうの質問の趣旨でございますけれども、この実情を御勘案くださいまして、ぜひそのことを実現していただきたいと思いますが、この点いかがでしょうか。
○仲村政府委員 ただいま所管の問題にも触れられましたけれども、第五福竜丸のその後のフォローアップは、おっしゃいますように科学技術庁の放射線医学総合研究所、放医研で引き続きやっておるようでございます。したがいまして、私どもが昨日御質問いただいた後でいろいろ資料も調べましたけれども、なかなか見つからないという実態もございますので、新たに調査をするということはなかなか難しい面もあろうかと考えておるところでございます。
○山原分科員 これは実は、当時日本国内でアメリカに対する賠償要求の問題が起こりまして、アメリカはつまり二百万ドル、七億二千万円の金を出したのです。ただそれの配分について随分問題がありまして、その経過は言いませんけれども、とにかくその金は不十分だけれどもこれで一応決着がついたということで、その後は政府の方も打ち切りというような形になってしまいまして、結局被災をした人の身体検査とか追跡調査であるとかいうことは全くしない状態です。
当時、ビキニの事件が起こりましたときに検診を受け、被爆の疑いをかけられた人が相当ありました。それがその後検査を受けたり継続検査を受けたことはほとんどないというのが実情でございます。政府としては、多少の被害を受けたと思われる船員については健康診断など全く行っていないという状態が今日まで続いておるわけでございまして、調査してみますと、最初の検診以後にいろいろの障害が起こっていることが明らかになっています。これが原爆症の実情でして、ビキニ環礁における島の人たちの状態もそうでありますし、そういうことを考えますと、あれだけの大問題、その後遺症がないとは言えないと思うのですね。
これについてはやはりそれなりの政府としての対応が必要だと思います。局長は今そのようにお話しになりました。第五福竜丸の問題は確かに大きな問題になりましたからね、これはもう突出してその対応はとられたと思うのですけれども、そのほかの、当時検診を受けた方々についても、やはり現在もなお苦しんでいらっしゃるということになれば一応の体制をとる必要があると思うのです。これは厚生大臣にも御見解を伺いたいですね。いかがでしょうか。ぜひよろしくお願いしますよ。
○今井国務大臣 第五福竜丸乗組員以外のビキニの水爆実験によります被爆者の状況については今のお話のようなことでありますが、何分もう三十年以上も前のことでありまして、調査もこれ難しいと思いますし、現時点でその対策を講ずるというようなことは私はちょっと考えにくいと思います。
○山原分科員 そんなに突っ張らないで、これは当時の資料が全くないわけではありません。例えば東京大学の加藤総長がビキニの大論文を発表しまして、これが世界じゅうで大問題になったのですよ。そして、アメリカもついに賠償金を出さざるを得ないところへ追い込んだそういう学術書、あるいは俊鶻丸の調査結果とかあるいは病院におけるカルテであるとかいうようなものが全くないわけじゃありません。したがってこれは私は厚生行政の一環だと思いますよ。だからそういう意味で、現実にそういう問題があればやはり厚生省の方において何らかの対策が立てられる、あるいはそれに対する対応の係を置くとか、こんなことできないはずはないというふうに思うのですが、いかがですか。
○仲村政府委員 ただいま大臣からお答えいただきましたような状況だと思いますが、先ほどいろいろの病気にかかっておられるというお話もございましたけれども、三十数年前の水爆の灰による被爆と現在の疾患の因果関係というのは私どもとしては定めるのが医学的に見て非常に難しい面もあるのではなかと思いますので、そういう今おっしゃいますような形での施策というのは非常にとりにくいのではないかと考えております。
○山原分科員 私は、この問題はこれからも政府の態度について質問していきたいと思っておりますから、きょうは最初にこれをやったのです。何年かこの問題を取り上げられておりませんから。だから頭の中へ入れておいてください。少なくとも今井厚生大臣の関心を要請いたしたいと思います。そして、少なくとも厚生大臣の頭の中の一つの検討の課題として残しておいていただきたいと思いますが、その点よろしいでしょうか。
○今井国務大臣 きょうお話を承りまして、これは議事録もちゃんと残ることでございますから、メンションいたします。
○山原分科員 最後のところが聞こえなかったのですが……。
○今井国務大臣 英語を言って済みません。議事録も残ることでございますから、十分注意して後でフォローいたします。
○山原分科員 昭和二十九年、一九五四年に起こりましたビキニ環礁における水爆実験の問題についてお伺いをいたします。御承知のように、これは三月一日から五月十四日まで、ビキニ、エニウェトク環礁で六回実験が行われております。多くの漁船及び船舶がこの際に被爆をいたしております。
そこで、最初にお伺いしたいのですが、当時日本の船舶が大体何隻被災したか、また当時のいわゆる被爆マグロ、随分大きな問題になりましたが、どの程度投棄されたか、さらに久保山さんが被爆されまして亡くなりましたが、久保山さんのほかにビキニ被爆によって何名の方が亡くなったか、また当時政府がつかんでいた被爆者の身体検査をした者は何名か、また当時の入院先あるいは乗組員のリスト、こういうものが現在存在しているかどうか、こういった点について最初にお伺いしたいのですが、三十一、二年前のことですから私も実情はわかっています。でも、一応お伺いをしたいと思います。きょうは水産庁、厚生省、お見えくださっていますから、どちらからでも結構ですが、一言簡単に御説明いただきたいのです。
○小野説明員 ただいまの先生の御質問についてお答えいたします。
昭和二十九年にマーシャル群島周辺におきまして行われましたアメリカの核実験にかかわる漁船等に関する資料につきましては、何せ本件が大分
前のことでございますので、水産庁においては残念ながら現在のところ手持ち資料はございません。
○北川政府委員 先生お尋ねの廃棄をされたマグロの量でございますが、約五百トンと承知をしております。
○仲村政府委員 昭和二十九年の水爆実験による第五福竜丸のことにつきましては、当時も非常に大きな事件として報道されたことで私ども承知してございますが、それ以外のビキニ環礁の近海で操業をしておった漁船はいたと承知しておりますけれども、その実態、数字について私どもつかんでおらないわけでございます。
第五福竜丸に関しては、二十三人の方がそれぞれ東大病院、当時の国立第一病院等に入院されたということを承知しております。
○山原分科員 実態がわがらないのですね。率直に言ってそうだと思います。当時は御承知のように世界を震憾させた大事件になりまして、連日大騒ぎをしたわけですね。そのときに政府におきましては原爆被害対策協議会というものを構成しております。恐らく政府全体としてそういう対応の組織を持ったと思います。厚生省からいただいた資料の中にそういう言葉がありまして、厚生省の方は恐らくそのうちの幾つかの部門を担当したのかもしれませんが、原爆被害対策協議会食品衛生部会というのがいただいた資料の中に出てきますから、恐らく幾つかの部会があったのではないか、それで対応したのではないかというふうに思いますけれども、今水産庁、厚生省からお話がありましたように、実態がつかめないということですね。
それで、時間の関係がありますから私の方から申しますが、実は昨年は広島、長崎の被爆四十年ということで、実は私どもの調査では、約八百隻の漁船、船舶が当時ビキニ環礁地域で操業いたしております。そしてその中で、これは私の県に関係があるわけでございますけれども、二百七十隻が高知県のカツオ・マグロ漁船でございました。したがって、この問題について私どもの県の学校の先生方あるいは高等学校の生徒あるいは科学者、医師等が一緒になりまして調査を始めたわけです。あのときに被爆した人たちがどうなっているかというのは、これがこういう膨大な資料として今作成をされているわけです。
これによりますと、当時どういう状態かと申しますと、高知県で当時被爆した方が十四名、これは死亡した方が十四名になっております。これがすべて被災によるものかどうかの因果関係はもちろん正確には言えませんけれども、いわゆる個別調査をやる中でこういう事態が起こっているんですね。
ちょっとその例を申し上げますと、高知県の第二幸成丸は、三月一日に実験が行われまして、三月五日に危険水域に突入し、第二、第三回の核実験、これは三月二十七日、四月七日に行われておりますが、この間危険水域近くで操業いたしております。その後、漁労長が腸がんで死亡、一等機関士は心臓麻痺、操機手は糖尿病で急死をいたしておりまして、いずれも体がしんどいと訴えながら、仕事中に周りの人が気づかぬうちに死亡するという事件が起こっております。
また、当時マーシャル諸島で操業中の第二新生丸、これは乗組員十九人のうち七名が亡くなっておりますが、そのうち多くの人は大腸がん、喉頭がん、脳腫瘍で亡くなっております。この中の現在生存中のAさんの例を見ますと、白血球の異常減少が現在も続いております。
さらに、痛ましい話ですが、室戸岬水産高等学校の生徒のT君というのがおりますが、彼は練習船第五大国丸に乗りましてカツオ漁に出ておりましたが、帰港後白血球が急減をいたしまして、高熱、鼻血に苦しみながら二十一歳で亡くなっております。
〔野上主査代理退席、橋本(龍)主査代理着席〕
こういう例を一つ一つ見てみますと、私の県だけで実に十四名。そこで全国的にどういう情勢かということを見てみますと、第五福竜丸で久保山さんが亡くなりましたが、同船の川島正義さんが五十年に亡くなっております。また引き続いて五十四年に増田三次郎さんが死亡しておりますが、これは放射能の影響が尾を引いたのではないかと言われております。そのことは、この船が所属しておりました大都魚類株式会社の三十年史の中に載っているわけでございます。
さらに、第五福竜丸と同じく行動しておりました第五拓新丸の一乗組員、これはビキニから大体千六百キロで被爆をしておりますが、六十一年九月二十七日に貧血、急性骨髄性白血病で入院をいたしておりまして、十二月十一日に死亡いたしております。
第七京丸、五十四年四月に大阪に帰港しておりますが、四月六日にビキニから千五百六十キロメートルで被爆をいたしまして、船長は白血球三千五百以下、乗組員全員二十一名が放射能症になりまして、白血球の激減が見られております。
貨物船神通川丸、これはビキニ北西の千二百マイルで被災をしておりましたが、五十四名全員放射能症、全員頭痛を訴えております。
さらに、政府が派遣しました調査船俊鶻丸、これは当時有名になった調査船でありますが、これも肝臓障害が続出をいたしております。
さらに関西丸、これはビキニから二千マイルで被災をいたしまして、船長は再生不良性貧血で死亡いたしておりますが、そのお骨の中からストロンチウム90が普通の人の十倍以上検出されたことが報告をされております。
また弥彦丸、これは南太平洋のマカチア島から燐鉱石を運んで岡山県玉野に帰る途中ビキニで被爆をいたしまして、平三義さんが原爆手帳を申請しましたが、原爆手帳は広島、長崎に限るということで、彼は自費で肝臓障害、慢性腸炎の治療をしておりまして毎日安静の日を送っているというのが現在の実情でございます。
その後、朝日新聞の調査によりますと、死亡十名、そのうち八名が病死ですが、うち四名は胃並びに大腸がんなどによって亡くなっておりまして、生存者の三分の二が何らかの健康障害を訴え、六名は現在も入通院、療養中となっております。これらの方は、大半の人が国による健康調査をやってほしいと望んでおることが報告をされておりまして、ビキニの悲劇は今もなお終わっていないというのが現在までの調査の結果でございます。
そこでお伺いしたいのですけれども、これらの大事件について、確かにその後資料が散逸をしたりあるいは追跡調査が行われていないということはわかるのですが、私は実は、所管は科学技術庁ではないかとかあるいは水産庁ではないかとか、厚生省ではないかとかいうことを伺いまして、それぞれ係の方においでいただきましたけれども、この真相をつかむことができないのです。けれども、これは放置できる問題ではないと思っております。したがって、これらについて、時間の関係で要約して申し上げますけれども、今までの調査されたことあるいは当時の書類、これなどを整理いたしまして、さらにそれに基づきまして、現在病苦に呻吟をしておる方たちがおいでになるとするならばその健康診断等そういう対策を一応立てる必要があるのではないかというふうに思うわけです。
これは私として要請でございますけれども、考えましてもこれはどうも水産庁でもなかろう、あるいは科学技術庁でもなかろう。きょうは科学技術庁にも聞いていただぎたいということでお見えいただいておると思うのですけれども、どうもやはり厚生省の仕事ではないかなという感じもするわけです。あるいは総理府かもしれません。
その意味におきましてこれは大臣にお伺いしたいのですけれども、これらについて一応統括をして、何らかの対応できる体制をぜひとっていただきたいというのがきょうの質問の趣旨でございますけれども、この実情を御勘案くださいまして、ぜひそのことを実現していただきたいと思いますが、この点いかがでしょうか。
○仲村政府委員 ただいま所管の問題にも触れられましたけれども、第五福竜丸のその後のフォローアップは、おっしゃいますように科学技術庁の放射線医学総合研究所、放医研で引き続きやっておるようでございます。したがいまして、私どもが昨日御質問いただいた後でいろいろ資料も調べましたけれども、なかなか見つからないという実態もございますので、新たに調査をするということはなかなか難しい面もあろうかと考えておるところでございます。
○山原分科員 これは実は、当時日本国内でアメリカに対する賠償要求の問題が起こりまして、アメリカはつまり二百万ドル、七億二千万円の金を出したのです。ただそれの配分について随分問題がありまして、その経過は言いませんけれども、とにかくその金は不十分だけれどもこれで一応決着がついたということで、その後は政府の方も打ち切りというような形になってしまいまして、結局被災をした人の身体検査とか追跡調査であるとかいうことは全くしない状態です。
当時、ビキニの事件が起こりましたときに検診を受け、被爆の疑いをかけられた人が相当ありました。それがその後検査を受けたり継続検査を受けたことはほとんどないというのが実情でございます。政府としては、多少の被害を受けたと思われる船員については健康診断など全く行っていないという状態が今日まで続いておるわけでございまして、調査してみますと、最初の検診以後にいろいろの障害が起こっていることが明らかになっています。これが原爆症の実情でして、ビキニ環礁における島の人たちの状態もそうでありますし、そういうことを考えますと、あれだけの大問題、その後遺症がないとは言えないと思うのですね。
これについてはやはりそれなりの政府としての対応が必要だと思います。局長は今そのようにお話しになりました。第五福竜丸の問題は確かに大きな問題になりましたからね、これはもう突出してその対応はとられたと思うのですけれども、そのほかの、当時検診を受けた方々についても、やはり現在もなお苦しんでいらっしゃるということになれば一応の体制をとる必要があると思うのです。これは厚生大臣にも御見解を伺いたいですね。いかがでしょうか。ぜひよろしくお願いしますよ。
○今井国務大臣 第五福竜丸乗組員以外のビキニの水爆実験によります被爆者の状況については今のお話のようなことでありますが、何分もう三十年以上も前のことでありまして、調査もこれ難しいと思いますし、現時点でその対策を講ずるというようなことは私はちょっと考えにくいと思います。
○山原分科員 そんなに突っ張らないで、これは当時の資料が全くないわけではありません。例えば東京大学の加藤総長がビキニの大論文を発表しまして、これが世界じゅうで大問題になったのですよ。そして、アメリカもついに賠償金を出さざるを得ないところへ追い込んだそういう学術書、あるいは俊鶻丸の調査結果とかあるいは病院におけるカルテであるとかいうようなものが全くないわけじゃありません。したがってこれは私は厚生行政の一環だと思いますよ。だからそういう意味で、現実にそういう問題があればやはり厚生省の方において何らかの対策が立てられる、あるいはそれに対する対応の係を置くとか、こんなことできないはずはないというふうに思うのですが、いかがですか。
○仲村政府委員 ただいま大臣からお答えいただきましたような状況だと思いますが、先ほどいろいろの病気にかかっておられるというお話もございましたけれども、三十数年前の水爆の灰による被爆と現在の疾患の因果関係というのは私どもとしては定めるのが医学的に見て非常に難しい面もあるのではなかと思いますので、そういう今おっしゃいますような形での施策というのは非常にとりにくいのではないかと考えております。
○山原分科員 私は、この問題はこれからも政府の態度について質問していきたいと思っておりますから、きょうは最初にこれをやったのです。何年かこの問題を取り上げられておりませんから。だから頭の中へ入れておいてください。少なくとも今井厚生大臣の関心を要請いたしたいと思います。そして、少なくとも厚生大臣の頭の中の一つの検討の課題として残しておいていただきたいと思いますが、その点よろしいでしょうか。
○今井国務大臣 きょうお話を承りまして、これは議事録もちゃんと残ることでございますから、メンションいたします。
○山原分科員 最後のところが聞こえなかったのですが……。
○今井国務大臣 英語を言って済みません。議事録も残ることでございますから、十分注意して後でフォローいたします。