唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

アオギリにたくして (徳間文庫)

2014年08月20日 | 
アオギリにたくして (徳間文庫)
クリエーター情報なし
徳間書店
8

映画を観てその場で本を購入、さっき、読み終えました。
映画にはなかった場面なんかもあって、良かったです。
原爆の恐ろしさは、強力な爆風や熱線だけでなく、放射能だけでなく、街を家族を人間を将来にわたって破壊し続けることだと感じます。そんな田中節子さんとその妹さん、お父さんお母さん、婚約者とその母、いろんな人の人生がこわさていくわけです。

だからこそ、アオギリのようにしぶとく生き抜いて、語り部として原爆に正面から立ち向かう姿が感動的でした。永遠のゼロと同じように、現代の若者が過去を調べていくという形をとっていますが、永遠のゼロの薄っぺらさとは違って、主人公の心境の変化をきちんと描いていると思いました。


アトミック・カフェ

2014年08月20日 | 映画 あ行
アトミック・カフェ [DVD]
クリエーター情報なし
竹書房


アメリカが核兵器をどのように扱ってきたのかが良くわかります。
核兵器に対する認識の甘さ。核抑止力という、観念的な安全神話。核兵器をつくり使用したことに神に感謝までしてしまう。
朝鮮戦争で核兵器を使うかもしれなかったことに今更ながら恐怖を感じました。そしてビキニの核実験(ゴジラを倒すためのものだったとは!!)でも3たび日本人を被曝させ、周辺住民も犠牲にして、多くのアメリカ人自身も犠牲になっているのに、それでも、正義のために、国を守るために核兵器に固執する。

核兵器廃絶を本気になって取り組むには、核兵器の本当の姿をきちんととらえなければいけないと思いました。爆弾の大きいやつといった、そういう延長線上でとらえてはいけない。

と、そんなこんな考えましたが、今回みたのは2度目で、前ほどの印象はなかったのが正直なところです。でも、そんな中、最初のところで思わぬ映像が飛び込んできてびっくりしました。

広島の被爆者の映像の中に、この前みた「アオギリにたくして」のモデルとなった、沼田鈴子さんが写っていたのです。着物を着て切断されてなくなってしまった足を見せている映像。まさに、それが映っていました。
10フィート運動の映画って今どうなってるんでしょうかね。

映画の話に戻りますが、今回あらためて見て、アメリカが核兵器をどう扱ってきたのかはわかりますが、日本人だからこそ、そのひどさに気付くというのもあるかもしれません。この映画自体も、核兵器の本質(自分がどこまで知ってるかはとりあえずおいといて)の部分まで突っ込んでいるかというとそうでもなくて、とりあえず、変な認識の甘さは取り除いたけど、その入口のところからちょっと中を覗いたところまでで終わっています。テーマが違うんですね。

最後の爆発のシーン、もっと激しくても良かったし、それこそあのあとにヒロシマナガサキの被爆者の映像をずっと映して終わっても良かったのではないかと思いました。