唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

対馬丸撃沈から70年

2014年08月22日 | ほか
犠牲者1400人の冥福祈る=対馬丸撃沈70年で慰霊祭―沖縄(時事通信) - goo ニュース
対馬丸の犠牲者慰める 「小桜の塔」遺族ら450人参列(琉球新報) - goo ニュース

対馬丸撃沈 きょう70年(沖縄タイムス) - goo ニュース

対馬丸撃沈から70年、450人が追悼 那覇で慰霊祭(朝日新聞) - goo ニュース

たまたま録画していた対馬丸のドキュメントを観ました。今日が70年目のその人は知らずに。

ドキュメントはNHKで放送された「対馬丸 消えない傷~沈没70年目の告白~」という番組でした。

その中で、最近になって、当時のことを語る人や当時のものを寄贈する人が増えているという話の中で、今の社会の状況の中で、また繰り返されるかもしれないという不安があることを話していた人がいたことが印象的でした。

母と妹を亡くした方は90歳になった今でも自責の念にとらわれていて、母のことは今でも話すことができないでいます。ただ、自分が船に乗らなかった。それだけのことが一生の傷になっています。

教師をしていて生き残った方は、生き残ったことが申し訳なくて、子どもたちを死なせてしまったことが遺族に申し訳なくて、沖縄に帰らずに栃木県で人生を終えました。

生き残った人は自分がなぜ生き残ってしまったのか、ずっと苦しみ続ける。自分の責任じゃないのにそれでも、自分の責任だと思い込んで。それは理屈じゃないんでしょうね。目の前で死んでいくのをただ見ているしかないというのは、それだけで自分の責任になってしまうのでしょう。体験した人にしか、この気持ち・・・というか、もう、傷に刷り込まれた感覚なのでしょうけど、それは分かるわけがないわけで、周りが、戦争が悪いとかなんだかんだといっても、それは慰めにも何にもならない気がしました。

そういった人たちが思うことは、戦争は2度としちゃいけない。あんな思いを2度としたくないしさせたくない。ということ。だから、今の社会の変化の中で、そういう人たちが敏感に戦争に向かっていく空気を感じ取っているのだと思いました。