Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

ショスタコーヴィッチ、ヴィオラソナタ@ウィグモアホール、ロンドン

2010-03-14 23:02:00 | コンサート

Nils Monkemeyerのヴィオラ、Nicholas RimmerのピアノでシューマンのMarchenbilder、ブリテンのLachrymae、シューマンAdagio & Allegro及びショスタコーヴィッチのヴィオラとピアノのためのソナタを聴いた。

シューマンのMarchenbilderは-どうもこの手のシューマンが苦手な私である。Monkemeyerのヴィオラはドイツの工房による現代物のようであるが、なかなか良い音がしていた。ヴィオラという楽器の音域も聴いていて心地よい。ただ、弓をものすごく斜め(殆ど横倒し-名人芸ともいえる)に弦に当てることが気になった。確かにpの時、弦に当たる弓の量を減らして音を小さくする、というのは理解できないでもないが。。。ちょっと極端なような。また、私自身使用しているヴァイオリンの弓が軽すぎて気に入らないからそう思うのか、ヴィオラのボディに対して弓が少し脆弱な印象を受けた。

ブリテン及びショスタコーヴィッチの現代曲では譜面を使用。この人は調性がはっきりしない曲は譜面が必要なのだろうか、などと思う。でも演奏自体は現代曲の方が得意そうな印象を受けた。

後半はショスタコのソナタ1曲。これはショスタコが生涯で最後に書いた曲で、最終校訂は死の4日前といわれている。最後の楽章はショスタコが崇拝していたというベートーベンのピアノソナタ第14番通称「月光」が参照されている、という。確かに第一楽章の有名な「タータターン」が何度も繰り返される。しかし、生涯最後の曲と思うと、まるで葬送行進曲の「タータータターン」の最初の四分音符が省略されているのではないか(勿論そんなはずはないが)と思ってしまう。また、これがショスタコの「白鳥の歌」なのかな、と思って聴くと感慨深いものがあった。

今日の二人は2007年からDuoとして活動している、というだけあって、ソリストが集まった、というのとは違う、阿吽の呼吸、のようなものが感じられた。まだまだ若い2人、益々技術的にも音楽的にも磨きをかけて、ヴィオラの名曲をもっと紹介してほしい。


ブロンフマン-ブラームスPf協奏曲第1番@ロイヤルフェスティバルホール、ロンドン

2010-03-14 00:00:00 | コンサート

昨日はシューマンのPf協奏曲&ブラームスのSym No.2。今日はブラームスのPf協奏曲第1番とシューマンのSym No.2。今年はお腹いっぱいになるまでシューマンを聴くことになりそうだ(もう相当一杯だが)。ま、シューマン→クララのお陰か、特にメモリアルイヤーでもないブラームスを沢山聴けるのはありがたいから、文句ばかり言うのは止めよう。

実はこのコンサート、聴く予定はなかったのだが、数日前にmailの誤配信でドホナーニからファビオ・ルイジへの指揮者の変更を知った。それで内容を確認すると、ブロンフマンがブラームスのPf協奏曲を弾く、というので出かけることにした。

ブロンフマン、なかなか爆弾型の丸い体型なのだが、とにかく指が非常に綺麗で驚いた。それほど大きくはないが、白魚のような指をしていて、殆ど関節がわからない。そしてこの指が、優れた運動選手のフォームが美しいのと同様、大変に美しく無理なく動くのである。

ブラームスの協奏曲はこのピアノにしてもヴァイオリンにしても、前奏がかなり長い。以前ムローヴァが前奏中に一緒に演奏して驚いたが、ブロンフマンも前奏中にトリルで指慣らしをしていた。ま、気持ちはわからないでもない。。。

ピアノの名手であったブラームスが作っただけあって、相当難易度の高い曲ではあるが、ブロンフマンはやすやすと弾いていた。今日特に気に入ったのは第二楽章。とても美しく歌っていて、会場も耳をそばだてて柔らかいピアノの音を聞き漏らすまいとしていた。ブラームスはこの楽章について「I am painting a gentle portrait of you in the form of an Adagio」とクララに語ったという。今日のクララは相当に美人だ。

後半はシューマンの(悪名高き?)交響曲第2番。ルイジは非常にスタイルの良い人で、また指揮棒を持たない左手の動きが上品である。が、一方でイタリア人らしい情熱的な指揮ぶりも見て取れ、私がつけたあだ名は「教授」。品の良い教授なのだが、自分の情熱pointに来ると子供のように夢中になってしまう、そんな感じだ。代役ながら、とてもすっきりした良い演奏だったと思う。

Mailの誤配信のお陰で、なかなか楽しい土曜日の夜であった。