◎鳥は鳥に帰るのだ(老子狂言)
『鳥は鳥に帰るのだ
鳥は鳥に帰るのだ。
魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天かける孤独の鳥は、
その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、
永遠の神秘におののく。
この魚も、
海の底深く、
深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。
鳥が太陽に向かって飛ぶように、
魚は海に溶け込みたいのだ・・・
もし、
太陽が鳥を愛し、
海が一ぴきの魚を慈しむのなら、
かれらは、
太陽となり海となるだろう。
そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
鳥は限りなき高みを孤独に飛翔し、やがて太陽となり、一ぴきの愚かな鳥として、帰るともなく帰ってくる。
魚は、深海の底深く沈み、やがて海となり、
魚は一ぴきの無知なる魚として、帰るともなく帰ってくる。
この円環は、出口王仁三郎の霊界物語第11巻第3章死生観の転生観を思わせる。
かもめのジョナサンの鳥は帰ってこなかったが、この詩では、【帰るともなく帰ってくる】のがよい。