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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

限りなき高みを天かける孤独の鳥

2025-02-03 07:00:40 | ダンテス・ダイジの風光

◎鳥は鳥に帰るのだ(老子狂言)

 

『鳥は鳥に帰るのだ

 

鳥は鳥に帰るのだ。

魚は魚に帰るのだ。

 

限りなき高みを天かける孤独の鳥は、

その量り知れぬ意志ゆえに、

空の果てまでも見破って、

永遠の神秘におののく。

 

この魚も、

海の底深く、

深海魚よりも、さらに深く、

まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。

 

鳥が太陽に向かって飛ぶように、

魚は海に溶け込みたいのだ・・・

 

もし、

太陽が鳥を愛し、

海が一ぴきの魚を慈しむのなら、

かれらは、

太陽となり海となるだろう。

 

そうして帰ってくるのだ。

鳥は一ぴきの愚かな鳥として、

魚は一ぴきの無知なる魚として、

帰るともなく帰ってくるに違いない。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

鳥は限りなき高みを孤独に飛翔し、やがて太陽となり、一ぴきの愚かな鳥として、帰るともなく帰ってくる。

魚は、深海の底深く沈み、やがて海となり、

魚は一ぴきの無知なる魚として、帰るともなく帰ってくる。

 

この円環は、出口王仁三郎の霊界物語第11巻第3章死生観の転生観を思わせる。

ダンテス・ダイジの『死生観』-1

ダンテス・ダイジの『死生観』-2

 

かもめのジョナサンの鳥は帰ってこなかったが、この詩では、【帰るともなく帰ってくる】のがよい。

 

魚行って魚に似たり、鳥飛んで鳥の如し(道元)

 

 

老子狂言の目次&リンクス

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