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大和ミュージアム・進水式展~支鋼切断の儀式

2014-10-11 | 博物館・資料館・テーマパーク

大和ミュージアムで現在も(たぶん)行われている、
「進水式展」の展示からお話しています。
実際に現地でご覧になった方もおそらくおられるかと存じますが、
わたしもそうであるように、実物を見るのと細部をモニターで見るのでは

また違うことに気がつかれるかもしれません。



たとえば、こういった工程表。
これは川崎130号艦「大鳳」のものですが、これは日誌ではなく
最初に「予定」として計画されたものです。
4月から11月まで、びっしりと書き込まれた予定は、
残念ながらピントのボケだけでなく字が走り書きのせいで
何が書いてあるのか分かり難いのですが、何回も

「ポペット」

という単語が出て来るのが目につきます。
ポペットとは蒸気機関に用いられたバルブのことで、言葉は
「パペット」と我々が呼ぶ「操り人形」のことです。

操縦者のリモート操作によって一定の動きを行うマリオネット
ポペットバルブの単調な往復運動が重ね合わされるため、
このような名前がつけられたんですね。




水式は実は大きな船体を短時間で海上に移動させる、
というその性質上、大変危険なものなのです。
しかも行事として、そして船の行く末を占うという性質上、
絶対に失敗は許されません。(お隣の国では失敗することもあるようですが)

そのため、進水式に備えて当日の船の状態は勿論のこと、
天候、潮の流れ、進水台の強度、進水時の船の復元性能、
全てを入念に計算し抜かりなく準備を整えるのです。



これは第2911、2912艦の進水作業表です。
上に見える曲線が潮位のグラフ。
進水式の前日から行われた海水注入が下の直線です。



英国ヴィッカース社の公式アルバムから絵はがきにもなった、
軍艦「香取」進水の瞬間。
偽装前なのでこれが「香取」だと言われてもピンときませんね。
デッキにたくさんの人が確認のために乗っていますが、
これは船会社の社員にとっても結構な恐怖に違いありません。

近年進水式で沈没した中国の客船には、幸いなことに
誰一人として乗船していなかったそうですが、
やはり何となく「乗るな危険」という予感でもあったんでしょうか。




おなじみの?軍艦の進水記念の際配られた
現物のカードや招待状を観ることが出来るのも、
この展覧会の目玉となっているところ。

戦艦「伊勢」の資料には、起工式の様子(右上丸囲み写真)、
造船崖(ドックのこと?)上の伊勢等の姿が。
海上の伊勢の写真には「戦艦伊勢ノ雄姿」とあります。

 

ドックから滑り降りる進水式の「伊勢」。



こちらは進水時の「薩摩」です。
地縛霊のような人の影が写っていますが気にしないで下さい。



先ほどの第2911・12艦の進水式に置ける人員配置図。
不思議な記述だなと思っていたのですが、この日、なんと
第2011艦と第2912艦は、

二隻同時に進水式を行った

ということらしいのです。
作業員の人数や指揮官、補佐の人名とともに、前日の段取りなどが
細かく記されていますが、さらに2隻同時の進水ともなると
大変な準備が必要だったと思われます。



進水主任 西島技術中佐

という記述が見えますが、この西島亮二技術中佐は、
戦艦「大和」の建造にも携わった人物です。

配備されているのは技術士官とその補佐が多いですが、
「艦上指揮官」「艦内調査係」「式場整理係」「警戒係」
などの任務にあたっているのは兵科士官です。





戦艦「加賀」の進水式場案内図。
「加賀」は大正10年(1921)神戸川崎製鉄所で進水を行いました。



一部を拡大してみます。
席の区分は「いろはに」で分けられており、おそらく「い」席は
VIP席、「ろ」「は」は関係企業の代表などではないでしょうか。
今も自衛隊はこう言った行事に懇切丁寧な誘導を行いますが、それは
おそらくこのころからその基礎が決まっていたことを思わせる誘導図です。

図上の白丸は軍楽隊の位置、十字は救護班、赤丸は消防隊。
ついでに、黒い長方形マークはトイレです。
仮設トイレがこの時代にもあったんですね。

入場券と共に食事飲食券がありますが、食堂の場所もちゃんと示してあります。





駆逐艦「霰」(あられ)の進水記念絵はがきのたとう紙。
図に描かれているのは、木で組まれた進水台と、
紅白のリボンで縁取られた手すりの「支鋼切断」台です。

ここに支鋼切断の仕組みが書いてありますので、抜き書きしてみます。



ちょうどいい説明が、駆逐艦「初雪」の進水記念絵はがきにもついていました。



「工場長の振りかざしたる銀斧は八ヶ月の苦心をこの一揮にこめて
切断台上(イ)の繫索をはっしと切る」(国定教科書より)と、
紅白の支鋼は切断せられ、
白色の把輪は錘(ニ)の(ロへの)落下によって回転し
これに取り付けられている緑色の水厭弁(ハ)が開かれる
そこから管を通って水が「トリガー」(チ)という水厭筒に送り込まれる
回転した把輪が、停めていた水を(ハ)の部分に押し戻す

そして

進水!


・・・とまあ、そう言われてもはっきり言ってよく分からんのですが(笑)
支鋼切断が合図とか「フリ」ではなく、本当に船の進水のための
作業であるということだけはわかった。



なるほど、この二等巡洋艦「大淀」の進水式に使われた
支鋼と支鋼台を見れば、なぜ支鋼切断をすると錘が落下するのか
よく分かりますね。

しかしそれにしても、いくらなんでもこの斧で
一から太い繫索を切ったりすることはありませんよね。
おそらく、髪の毛一本分残して、大部分を切っておくんじゃないかな。
でも、斧が入る前にプツっと切れてしまったら大事だし、
このあたりの加減にも細心の注意が・・・・・。
知れば知るほど裏方は大変な神経を払う行事です。

下の銀の斧は、「青葉」の進水式に使われた斧。

斧の表面に3本の筋があります。
前にも説明したことがありますが、裏側は4本筋があり、
3本の溝は三貴子(みはしらのうずのみこアマテラスツクヨミスサノオ)、
4本の溝は四天王を表しています。


なぜ斧を使用するかというと、斧には古来から
「魔を払い神の加護を仰ぐ」力があると信じられているからです。



実際に使用された支鋼線の数々。
こういうのは誰がどこに保存しておくんでしょうか。

左から空母「伊吹」空母「葛城」「伊180潜」
空母「阿蘇」「伊37潜」そして重巡洋艦「鈴谷」

空母はあまりなじみのない名前ばかりだなと思われません?
「伊吹」は未完成のまま終戦を迎えましたし、
帝国海軍が最後に建造した空母「葛城」は、決号作戦のために
温存されたまま終戦を迎え、「阿蘇」に至っては進水したものの、
進捗率40%を残して工事中断。
特攻用新型爆弾「さくら弾」の実験の的にされて沈没という最後です。

終戦間際でも海軍は一応空母を作ろうとはしていたんですね。
上に乗せる航空機はどうするつもりだったのか、と聞いてみたい。 



一等巡洋艦「鈴谷」の進水式の招待状。(木村半兵衛様宛)
この真ん中に「来賓心得」として、ドレスコードが書いてあります。
もしかしたらこれをお読みの方に今後、新造艦の進水式に行かれる方が
おられるかもしれませんので、これを書いておきます。

陸軍武官は通常服装
海軍武官は通常服装
文官その他はフロックコート、高帽子もしくは紋付羽織袴
夫人は白襟紋付

・・・これは平成の進水式には
役立たないかもしれませんね。

続いて、会場での諸注意をば。(現代文に直しました)


案内状及び立食場入場券は当日ご持参の上、担当の係に
お見せになるか、お渡し下さい。

当日は9時から進水式が始まりますので、8時半までには着席のこと。

進水式挙行の後は案内の指示に従って立食場まで移動して下さい。

造船部構内規定の場所以外では喫煙を禁止します。

宮中「ペスト」予防規則第3条により、ペスト発生地に居た者、
該当地域に立ち寄った者、またはそれらの人と同宿した者は、
沐浴、更衣をしなければ式場に入ることを禁止します。


日本では1899年にペストの感染が国内で発見されましたが、

このような条例によって1926年には収束をみています。

鈴谷の進水式は1934年で、かなり昔に落ち着いていたはずですが、
人の集まる場所では呼びかけるのが慣例となっていたのでしょう。



続きます。