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ある海兵隊パイロットとその妻の話(前半)

2015-04-29 | アメリカ

2013年というともう何年も前のことのような気がしますが、
1年半前なのでやっぱり気のせいではなく随分前のことになります。
当ブログでもご報告した岩国の海兵隊基地訪問記で、彼らのうちに遊びに行ったことだけ
なんとなくそのときに書き残したまま日にちが経ってしまいました。

海兵隊の話題になるたびになんとなく思い出していたのですが、
今日ふとお話しする気になったので、お付き合いください。


うちのTOがアメリカで留学した大学には、日本にもいわゆる同門会があり、
日本に仕事で立ち寄ったりあるいは縁あって住むことになったアラムナイ
(alumuni・学校のOB、OGのこと)のために定期的に会合を持っています。

アメリカ人を始め外国から来たアラムナイと日本の卒業生の懇親会のようなもので、
いわゆる「外人受け」するような催し、築地市場を見に行ったり、花火大会に行ったり、
というようなイベントが企画されることが多いのですが、そこで出会ったのが、
海兵隊のホーネットドライバーを夫に持つ女性、レイラさんでした。

・・・・え?

たしかそのときはアンジーとか言ってなかったかって?
はい、ブラッドというのがドライバーの名前だったので、つい実在のカップルの名前から
拝借してきたのですが、その後アンジェリーナ・ジョリーの方が嫌箱入りしてしまったので(笑)
というか男性は本名だったのか、と気づかれた方は速やかにスルーしてください。
軍機ですから。

というわけで、一度上げた写真で、今日はおさらいをしておきます。
レイチェルさんがTOと話をしていて、

「わたしの夫はマリーンでF-18のパイロットをしているの。
息子さんがいるのなら家族で基地にぜひ遊びに来てちょうだい」

とお誘いを受けたTOは、

「その件については息子より妻の方が興味を持つだろうと思う」

と、わたしのために海兵隊基地訪問を実現させてくれたのでした。
上の写真は、彼の飛行隊のスコードロンマークで、もともとのキャラクターである
コウモリの意匠を、在日部隊の典型的な象徴である旭日と絡ませたもの。

これは木のテーブルに彫り込んだものですが、基地にはかつてここに駐在した
飛行中隊のマークが数多く飾られていて見ることができ、その約35%に
日本駐在の印として旭日があしらわれているのにわたしは気づきました。
全く、旭日旭日と大騒ぎする何処かの国の人に、在日米軍に一度文句をつけてみろ、
といってやりたいですね。

何処かの国と違ってアメリカ軍というのはかつて日本と戦争していた当の相手で、
その相手が今や「イケてること」至上たるスコードロンマークに使いまくってる、
これは一体どういうことなんですか?
どうしても文句を言いたいのなら在日米軍にも言うべきでは?と。



廊下に剥製が飾られているなんてまるで学校みたいですが、
スコードロンマークがコウモリなのでコウモリの剥製。
なんかこういうセンスが日本人とはちょっと違うなと思ってしまったりするのですが。



ロッカールームを見学した時、息子に耐圧スーツを着せてくれているブラッド。

わたしなど民間人で、自衛隊の方々ほど在日米軍との付き合いがないせいか、
こういう光景を見ると、というかアメリカ軍の軍人と一緒にご飯を食べたりして
親しく付き合うと、わたしなどふとその間も、70年前のアメリカ人と日本人が
こんな未来をもし知ったらどれほど驚くだろうか、などという他愛もないことを
ついつい想像せずにいられません。

もしお互い70年前に生まれていたら、間違いなく殺し殺される国民同士だったのに、
今、ここ日本でこんな風に友好している・・。

当時の若者たちはよく「悪い時代に生まれた」と自嘲するように言ったようですが、
今の我々と何が違うかというと、ただ生まれた時代だけなのです。

生まれた時代が不幸だった、生まれた場所が不幸だった。

よくぞ当時でなく現代に、政情不安でテロの続発する場所はなく平和な日本で
子を為したものだとただ、自分の幸運を喜ぶとともに

これからも息子を戦地にやる母親が日本に生まれるようなことが決してないようにと
心から祈らずにいられません。



ロッカールームでは他の人の耐圧スーツやヘルメットも興味深く見学。
この真ん中のヘルメットですが、どう見ても日本の面ですよね?
フォークみたいなのが突き出しているのが謎ですが。



飛行隊の作戦会議室にデカデカとかけられていたポスター。
こういうのを面白がって飾ってしまうのがアメリカ人らしいというか。
ブラッドに意味を知っているかと聞いてみたらなんと知らないと言ったので、お節介にも
中国語でアメリカの侵略者はきっと負けるって書いてあるよ~と教えてあげました。
きっとブラッドは仲間に教えてあげて、彼の飛行隊は中国人に対して一層印象を悪くしたでしょう。

どう見てもベトナム戦争時代のポスターであることを言い忘れたけどまあいいや。



こんな風に本ちゃんの軍人さんが航空模型を操っているのを目の当たりにすることができて感激です。

ところでブラッドのしているかっこいい時計、軍支給でしょうか。

やっぱり耐圧の専用時計があったりするんだろうか。



アメリカ人の悪趣味というか悪ノリ好きが遺憾なく現れている会議室のドア。
ここは彼らのブリーフィングルームの後ろにある小さな二つの小部屋のうちの一つで、
それぞれのドアには中国国旗とこのイラン国旗がペインティングされており、
先ほどのベトナムのポスターは「中国の間」に飾ってありました。

議題によって部屋の使い分けをするのかどうか聞きそびれました。



部屋を出たところにあった各自の「マイカップ」掛けボード。

汚い~!
リリアンさんが呆れたように「ボーイズ・・・」とつぶやくと、

「わたしはちゃんと洗ってますよ?」

とブラッドが一生懸命言い訳していたのが可愛かったです。




それから、基地内にある零戦の格納庫を見学させてもらいました。

昔海軍の飛行基地だった頃の掩体壕が銃痕の痕も生々しくそのまま保存されています。

ここには航空基地の他に終戦間際には海軍兵学校が分校として間借りしていたそうです。




中には映画「零戦燃ゆ」のために作られた零戦52型がこのように格納されています。
空いたスペースには日の丸に書かれた寄せ書きや写真など、日本海軍についての資料がありました。

ところでここの鍵を開けてもらうために下士官の到着を待っている間、ここにも懲りずにやってくるらしい
基地反対派の『市民団体」の話になったときTOが、


「ああいう人たちのバックには中国共産党がいる、というのが彼女(わたし)の説で」

とふともらしたところ(もらすな)、ブラッドが妙に真剣な顔をして「そうなの?」と
聞いてきたという話をしたことを覚えておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
その後、ここの海兵隊基地の偉い人が全く同じ発言をして、案の定基地の外の人とマスゴミが大騒ぎ、
という事件があったのは記憶に新しいかと思います。

このニュースを見た時、まさかとは思うけどこの時の会話が発端になったりしてないよね?
と思わずドキドキしてしまった小心者のわたしでございました。



この後格納庫のホーネットF-18を実際に見せてもらいました。
ブラッドがここは撮らないようにね、と言ったところでは、
ホーネットのエンジンがむき出しで置かれていました。

そして、絶対撮影禁止のホーネットのシミュレーターを体験。
たしたちの中で一番まともに操縦できたのは息子でした。
ブラッドは飛行機に乗らない日も必ずトレーニングとしてシミュレーターに入るそうで、
この日も午前中はずっとここにいたというくらいで、いかにこのシミュレータが
本物のホーネットのコクピット通りに作られているかということだと思うのですが、

わたしたちが全員墜落死した後、みんなで頼んでブラッドの操縦を見せてもらいました。

皆でワイワイやっていたらシミュレータのエンジニアが監視所から出てきて、

「キンタイキョウブリッジの下をくぐれ」

とリクエストするではありませんか。
普通のトレーニングでシミュレータを使うときにはそんなおふざけはできないのだが、
お客さんと一緒に遊んでいる時なら構わないだろう、といったところです。

わたしたちがわあと囃し立て、ブラッドは錦帯橋の下にトライしてくれました。

さしもの現役パイロットもようやく3回目にくぐることができたのですが、
実際は橋桁がもっと低いのでおそらく絶対無理だよね、と皆で笑いあったものです。


さて、というわけで、基地見学が終わったわたしたちを、ブラッドは飛行機の時間まで
家でコーヒーでも飲んでいかないか?と誘いました。

というか、前もここで終わったんでしたね・・。


続く。