夏のヨーロッパ旅行ではヨーロッパらしさを味わえない、
とはよく言われることです。
なぜかというと、夏の間ヨーロッパはいわゆるバカンスシーズンで、
皆こぞって避暑地に民族大移動してしまい、地元はいわば抜け殻状態で
本来の雰囲気を構成する要素である地元民の数が激減するからだとか。
我が家ではアメリカ在住の間、夏が来るとパリにアパルトマンを借りて
月単位で住んだものですが、Airbnbもない時代、なぜその間家が借りられたかというと、
住人が留守の間、サブレットなる住居を貸し出すシステムが昔からあったからです。
パリ市内に住んで街を存分に味わうことができた貴重な体験でしたが、
いかんせん、お目当の飲食店に行ってみたら張り紙があって、
「バカンス中なので一時閉店しています」
ということが多く、何度もがっかりさせられたものです。
ウィーンは観光で成り立っている街なので、飲食店に関しては
そのようなことは一度もありませんでしたが、こと文化面、特に
せっかく音楽の都にきたのだからコンサートをぜひ、などと考えていると、
音楽が好きな人ほど、失望することになります。
夏はオフシーズンなので、そもそもまともな演奏会は行われないのです。
超有名どころは、ザルツブルグ音楽祭に集結してしまっていますし、
そうでない人たちもほとんどが絶賛バカンス中で地元にいません。
しかし、今回、そんな夏のウィーンのコンサートにあえて行ってきました。
ウィーンでガイドをお願いした日本人のガイドさん(ウィーン音大卒声楽家)が、
歩いてインペリアルホテルまで案内してくれた時、話の流れで、
楽友協会で行われるコンサートのチケットを取ってくれることになったのです。
はヨーゼフ一世の時代、音楽家の団体の請願によって爆誕したコンサートホールで、
ウィーン・フィルハーモニーのホームグラウンドであります。
映画「のだめカンタービレ」では、演奏会シーンのロケが行われましたから、
記憶にある方もおられるでしょう。
というわけで、このコンサートに行くことになりました。
繁華街で客引きがチケット売っているような演奏会、逆に興味が湧くではないですか。
バウチャーを見ると、そこには
「モーツァルトコンサート」
としか書かれていません。
誰が演奏するのかというと、全くのノーバディです。
つまり、寄せ集めオケであることは火を見るより明らかってことですね。
プログラムは何かも全く告知されません。
とにかくモーツァルト、なんだそうです。
もう聴く前から観光客向けの見世物コンサートであることがわかり、
いつも演奏会の前に必ず感じる心地よい緊張感など皆無の状態、むしろ
怖いもの見たさでとりあえず会場に向かいます。
この日は朝からマルクト、三つ星レストランシュタイレレック、軍事博物館、
そしてコンサートと地下鉄のチケットがフル活躍です。
ウィーンの地下鉄の優先座席のマークは・・・わかりやすい。
少し早めに現地に着きました。
買ってもらったのはバウチャーなので、これを座席表と変えなくてはいけません。
それにしてもこのコンサートホール前の人々の色彩がですね・・・・。
昔ウィーン留学中の友人が楽友協会の写真を見せてくれたのですが、
冬のコンサートということで、友人も毛皮など着込み、周りの人々にも
なにやらゴージャスでハイブロウなかほりが漂っており、当時のわたしには
大変敷居の高い場所であるようなイメージだったその同じ場所が、
幾星霜を経て、今ではこんなチープ<チーパー<チーペストな世界に。
めげずに周りを歩いてみることにしました。
楽友協会の同じ建物の一角にはあのベーゼンドルファーのショールームが。
世界のコンサートピアノの趨勢はいつの間にかスタインウェイとヤマハですが、
ここウィーン生まれのベーゼンドルファーを支持するピアニストは多く、
あのフランツ・リストがご愛顧していたという話は有名です。
確かリストはベーゼンドルファー家の誰やらの愛人だったとか
どこかで読んだ記憶がありますが、それだけが理由でもないでしょう。
こちら、ウィーンフィルハーモニーコーナー。
もう営業?は終わっていたようですが、外側に向けてウィンドウがあり、
演奏家の写真などが見られるようになっています。
いつまでも歳を取らないリッカルド・ムーティ。
もう80歳近かったと記憶しますが・・・。
彼が現在のウィーンフィルの実質首席指揮者です。
12月のチケットをもうこの時期に発売していますね。
舗道には、ハリウッドよろしく楽友協会にゆかりのあった
著名な音楽家の肖像とそのサインが刻まれた星のプレートが。
アントン・ブルックナーは1896年ウィーンで亡くなりました。
シュタッドパークの銅像にもなっていましたね。
指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
「フルトメンクラウ」
なんて使い古されたシャレを知っている方はここにはまさかいませんね?
ベルリンフィルの指揮者だったがためにナチス政権時代、うっかり
ヒットラー総統の誕生日コンサートで第九を振ってしまって、
戦後ナチス協力者なんて糾弾されたという気の毒な経歴がありましたが、
彼はナチスに心酔していたわけではなく、むしろヒンデミット事件を境に
ナチスと対立する立場からベルリンフィル音楽監督を辞任しています。
何処かの誰かの評論で「政治的には全く無知だった」という実に無責任な
人物評を読んだことがありますが、この人物には、お前ならあのナチス政権下で
ゲッベルスに楯突いて自分の地位を投げ出すことができたのかと聞いてみたい。
最終的にフルトヴェングラーはナチスの弾圧を逃れスイスに亡命しています。
そしてフルトヴェングラーは、ウィーンフィルハーモニーにとっては命の恩人。
アンシュルスのあとナチスによって解散させられそうになったのを阻止したのは
ドイツ最高の指揮者であった彼だったのですから。
オーストリアの作曲家ゴットフリート・フォン・エイネム。
この人の名前を知っている方は相当のクラシック通です。
ご存知フランツ・シューベルト。
楽友協会の資料室には、シューベルトの交響曲の交響曲の自筆楽譜が
第五番以外全て所蔵してあるそうです。
そのまま建物の周りを一周してみました。
「ゲイゲンバウマイスター」はヴァイオリン職人のことで、
ウィーンフィルの弦楽器の修理などを一手に引き受けている
ヴィルフレート・ラムザイアー=ゴルバッハ氏の名前であり、
その工房がここにあるということのようです。
一周回って正面玄関に戻ってきました。
このポスターは、ムジークフェラインが建造された1870年から
ちょうど150年目の節目が来年やってくるという予告でしょう。
観客が入場を始めました。
予想通り、ウィーン在住のクラシックファンなどおそらく皆無。
観客の全てが中国人主体の観光客というこの異様な光景です。
夏のコンサートに来るのはお上りさんだけだよ、とウィーン留学組から
聴いて知っていたつもりでしたが、ここまでとは。
そのほとんどがこういう出で立ちです。
そういえば三越お得意様限定旅行で防大見学をしたとき、
ツァーで同行した三越おばさまが、このムジークフェラインで毎年行われる
ニューイヤーコンサートにやはり三越の企画で行かれた話をされていましたが、
正装でドレスアップしているヨーロッパ人や日本人の中で、
(わたしの知り合いの銀行会長の奥様はとっておきの着物で臨んだらしい)
「中国の方達だけがラフな格好で来ますのよ。ジーンズとか」
とえらくお怒りでした。
かのごとくTPOをわきまえないのが中国人の中国人たるところですが、
最近はSNSの発達もあって少しは彼らも自覚があるのか、たまには
コンサートらしくドレスアップしたつもりで来る人もいました。
ただし、彼女らのほとんどが残念ながら「ツーマッチ」。
ロングドレス、結い上げた髪にシルバーのパンプスとか。
いや、これはニューイヤーコンサートではありませんから・・。
まあ、ヨーロッパからの観光客も似たようなものです(写真参照)
観客をできるだけ詰め込むため、ステージの両後ろ側に、観客からも見られる
特別席がありましたが、どうもここは安い席らしく、そこに座る客は
服装はもちろん態度がラフすぎるのが気になりました。
別名「黄金のホール」とも言われているこの大ホール、開演前は写真もOK、
とホールの係員に確かめ、わたしも安心して内部を撮影しました。
「黄金の」という言葉には、あのブルーノ・ワルターも絶賛したという
音響の素晴らしさへの賛辞が込められているということです。
東京オペラシティのタケミツメモリアルはここと同じシューボックス型ですが、
まさにムジークフェラインをお手本にしたのではないでしょうか。
全く確かめていませんが、おそらくそう間違ってないと思います。
ここではバルコニーですら音響を計算して設置してあるのだそうです。
高い天井の裏にも空間が設けてあり、床も木でできていて、まさに
巨大なヴァイオリンのなかで音楽が奏でられているような感じです。
こういう、人間が柱の役目をして頭でエンタブラチュア
(柱頭の上部へ水平に構築される部分)を支えているような装飾を
カリアティード(caryatid)といいますが、ここではこの
女神たちもまた、音波を理想的に反響させるために存在しているのです。
そういえば、日本は明治時代に西洋風建築の手法を取り入れて
各地に趣のある建物を作りましたが、西洋と決定的に違うのは、
この「人体および頭部使用率」であろうかと思われます。
日本は神話の根付いた土壌ではないので、西洋風の人間は
建築の装飾としてフィットしないと判断されたのでしょう。
何もかもが金色。オケの譜面台も椅子も全て金です。
始まる前には皆会場の中を撮ったり、記念写真を撮ったり、自撮りしたり。
そして、いくら観光客向けのお手軽なコンサートといえども、
コンサートが始まったら撮影禁止、と各国語で放送されました。
携帯電話の電源を切るように言われるのも世界共通です。
そして、オケが入場してきました。
これはS席チケットを買った人にもれなく付いてくるCDジャケですが、
出演者は全員、男性はもちろん女性も、モーツァルトのようなカツラをかぶり、
この写真と同じようにあの時代の服装に身を包んでおります。
コートの色は一人ずつ違い、全体で見ると実に大変華やかで目を楽しませる趣向です。
プログラムは怒涛のモーツァルト攻撃。抉りこむようなモーツァルトのラッシュです。
観光客相手ということでその選曲もポピュリズムモーツァルトの極地で、
例えば「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」なども一楽章だけ。
たとえ有名でも緩徐楽章をじっくりやるというようなかったるいこともしません。
そして何をやっても速い。超速い。
なんでも速すぎと言われていたカラヤンもびっくりの超スピードで、
もはやそれは速さをサーカスのように見せびらかしているだけの演奏でした。
メンバーにはこの道一筋、みたいな年配の奏者もいましたが、見たところ、
各首席は固定メンバーで、後はほとんどエキストラで固めた感じ。
そのトラは一夏の契約でウィーン音楽大学から学生がバイトで来ている、
というような若い人が多く、そのせいか女性の混入率が大変高かったです。
しかし、「のだめカンタービレ」でのだめもやっていましたが、若い女性が
モーツァルトの格好をしているのはとても可愛らしいものでした。
ただし彼らの名誉のために言及しておくと、彼らはある意味プロ中のプロなので、
エンターテイメントとしての質の良い音楽を景気よく提供するという姿勢は
ビシバシ伝わってきました。
トルコ行進曲をオケに編曲してやったり、男女の歌手がちょいちょい現れて
おなじみのオペラのアリアを歌ったり、素人を飽きさせない工夫満載です。
次から次へと矢継ぎ早に(本当にそうとしか言いようがなかった)演奏される
全ての曲はこの日の観光客にとっても馴染みのあるものばかりだったのではないでしょうか。
いかにモーツァルトがその短い人生で名曲を書きなぐったかということですね。
さて、わたしたちの座ったS席の前列の通路前の席は、
楽友協会の係員に案内されてくる特別招待客用だったのですが、
そのど真ん中の二席の客が二、三曲遅れて入って来ました。
男性は高級そうな黒スーツを着ていましたがものすごい猪首のプロレスラー体型で、
女性はモデル並みに背が高くすらっとして真っ黒黒助に日焼けしており、
側頭部の髪の毛を剃り込んだアバンギャルドなヘアースタイルに、
むき出しの肩には見事な刺青がびっしりと入っているという、どう見ても
カタギではない人々に思われました。
「どういう人たちだろうね」
「マフィアの用心棒とその情人(おんな)」
「またそんな身も蓋もないことを断言する」
特別席の客は休憩時間に特別なご招待があるらしく、案内されて
どこかに消えていましたが、帰ってきたとき、わたしの予想は
当たらずとも遠からずではないかというちょっとした出来事がありました。
帰ってきた用心棒は(決めつけてるし)なんとさっきまで自分が
どこに座っていたかわからなくなったらしく、しばらく椅子を黙視していましたが、
二つ隣の席に間違えて腰を下ろしたのです。
彼の情人も彼の間違いに全く気付かず、間違った席に腰を下ろしたので、
本来の席の人が係員に連れられて帰ってきたときに、
「あの、お客様の席は一つ向こうなんですが」
と注意されて二人で席を移動する羽目になっていました。
さっきまで自分が座っていた席を忘れるほどの知能って一体・・・。
というわけで、やっぱりマフィアの用心棒(レスラー出身)というのは
間違いないところでは、と内心勝手に決めつけてうなずいていた次第です。
休憩時間にトイレを利用しましたが、そこでは案の定中国人が
人の頭越しに大声で会話するといったような喧騒を繰り広げており、
日本のコンサート会場での整然とした静かな列が本当に懐かしかったです。
そして、中国人といえば!
わたしたちの左隣は中国人の一家(小学生の女の子二人)でした。
S席前列を4席取るくらいですので富裕層に属するらしく、
全員が見るからに高価な衣服を着用し、奥方は美人でセンスもよかったのですが、
こいつらが、演奏中大人しくしてないんだよ。
女の子二人はトルコ行進曲が始まると自分が知っている曲だとはしゃぎ、
母親に話しかけて母親はそれに答えてやり、情操教育に余念がありません。
てか演奏中にしゃべるなよ。情操教育は後にしようよ。
一緒に歌ったり指揮のふりをするのもやめさせてくれ。
それでなくても、禁じられているのに入場してきたオケの写真を撮ったり、
演奏中喋ったり、お菓子の袋を開けたりという聴衆に囲まれて、
一体なんなのこの人たちは、と呆然としていたわたしたちですが、
この中国人一家には演奏中ずっとかなりイライラさせられました。
しかし、もっと驚いたことに、休憩が終わって後半が始まったら、
その一家は戻ってこなかったのです。
「戻ってこなかったし」
「多分飽きたんでしょうな」
「しかし勿体無いことをするねえ」
どんなお金の使い方をしてもそれは人の勝手ですが、いくら観光コンサートとはいえ、
S席のチケットは決して安くもないのに、散々騒いだ上、飽きたから後半はもういいや、
と帰ってしまう、こんな浪費をしてはばからない人の心は実に貧しく下品に思え、
他人事ながらなんだか情けない思いをしました。
いくらお金を落としても中国人が嫌われるのは、こういうところなんだろうな。
というわけで、ほとんど動物園を見ているような観客席模様でしたが、
エンターテイメントとしてのモーツァルトコンサートが終わりました。
「いやー、なかなか面白かったよね。いろんな意味で」
というと、MK、
「でも俺、自分がモーツァルトが好きじゃないことはよくわかった」
と身もふたもないことを・・・。
まあ、よく考えたら、わたし自身、モーツァルトはもちろん嫌いではありませんが、
そもそも好きか嫌いかなんて、この人生で考えたことはなかったかもしれません。
何故なら、モーツァルトとは太陽や月のように「そこに在る」ものだから・・?
「死とはモーツァルトが聴けなくなること」
といったのはアインシュタインですが、そのアインシュタインだって、
モーツァルトが好きで好きでしょうがないっていう意味でいったんじゃないと思う。
知らんけど。
しかしMK、この日のモーツァルトをもってモーツァルトを語るなよ(笑)
>ここにはまさかいませんね?
それがいるんだな(о´∀`о)知ってまんがな
>フルトヴェングラー→フルトメンクラウ→振ると面喰らう
「マエストロ、もう少し分かりやすく振って頂けませんか」たまりかねたオーケストラが言うと「ワシの棒なんか見てちゃだめだよ」とハァ⁉️な返答なすったのもフルヴェン先生じゃなかったけ。しかし晩年のカラヤンも結構メンクラうので、付き合い長すぎる指揮者とオケには有りがちではないかと。若い時はどの指揮者もムービー見るとキチキチ振ってますよね。楷書体→行書体→草書体となり、達筆すぎて読めないレベル?「オーケストラはキャリーしろ、ドライブするな」とはカラヤンの格言でしたが。
中国といえば、ベルリンフィルが数年前に北京でマーラーの交響曲を演奏したときの話をヴィオラ奏者がしてくれた事がありますが………やはり色々と雑音というか雰囲気もまるで落ち着かず、それでも何とか最終楽章の最後のディミヌエンドまで辿りつき、ひたひたと寂寞の終わりに…………とその時!あの生理現象の音が……………赤坂のカフェで「あー思い出しちゃった!も、もう俺はあの時は笑うの我慢するのに死にそうに……ラトルも赤い顔で必死で耐えててさ………ひゃははは!!」思い出し笑いでひきつけている彼が落ち着くまで大変でした。インドはさらに大変だったらしいです。「聴衆」というものが成立するまで、まだ3世代は掛かるのかもですね。
ベルリンフィルの名古屋公演は10年に1回ぐらいですが、東京より全然買いやすくて過去買い損なったことはありません。土曜が一般発売でしたが、前の時同様10時から20分ぐらいで電話が繋がり楽に安いC席が取れました。とはいえ28000円は安くはないですが、考えたら20年ぐらい価格はほぼ変わっていません。ザルツブルク音楽祭を思えばSですら理不尽に高いとは言えないかも。メータは余り好きではないけど、ブルックナーの8番は楽しみです。まあ結局リハだ御飯だで東京も顔出すんですが。
「それなりの」クオリティのパフォーマンスを提供し、玉石混交の聴衆の中から少しでも自国の文化を好きになってくれる人を発掘することができるとすれば、それはそれで有意義なことだと思います。( `ー´)ノ
(例示した京都の施設は、外国人向けとはいえけっして手を抜いたものではないでしょう。)
>フルトメンクラウ
おお、知っている人がいましたか!
もちろん日本人が言っていただけなんですけど、おそらく本人ご存命の昔から
(つまり戦前から)あったシャレなんじゃないかと思われます。
>ラトルも
指揮者はこういう場合軍艦の艦長みたいなものですから、何があっても
ポーカーフェイスで指揮台の上に立っているものですが、流石にそれは
あまりにも予想外で「虚を突かれた」形でしょうか。お気の毒(笑)
そういやボストンに住んでいるときウィーンフィルが来たことがあります。
そのとき、開始のベルが鳴り、指揮者(アバド)がもう指揮台に立っているのに、
遅れてきた一団が飾り立てた奥方同伴でどどっと入ってきて、
全員が彼らが席に着くまでフリーズ状態で待たされていました。
普通の人なら指揮者が指揮台に上がった時点で入場を停められるところですが、
彼らはフリートという現地銀行の頭取クラス、つまり劇場のスポンサーなので、
会場が忖度して
「どうぞ急いでお座りください。なあに、今なら間に合いますから」
とやっちゃったんでしょう。
ステージの上の楽団員には明らかに「この田舎者どもが」
という不快感をあらわにしている人も少なくなく、会場にいた観客たちは
彼らに向かって抗議の拍手をするという騒ぎになりましたが、
その中でアバドだけは、指揮台の上で瞑想しているかのように目を閉じて
下を向いていたのが印象的でした。
そしてその表情を最前列で間近に見たのが、わたしが彼を見た最後となりました。
このときのウィーンフィルはラフマニノフの交響曲をやったのですが、
緩徐楽章で歌う人がいたり、楽章の途中で拍手が出たりしたので、おそらく
彼らの中では、アメリカも(しかもボストンというアメリカの中では
文化的と言われる地域であるにも関わらず)中国と同列認定されているに違いありません。
今年のベルリンフィルですが、うちは運よくS席が取れました。
競争率の高い東京は最初から諦めて、川崎にしたのが勝因だと思います。
ウェップスさん
あー、まさにそれが正しいですね。
サムライシアターというのは知りませんでしたが。
ただ、京都には本格的な能やその他日本芸能を極め、日本人より日本に詳しい
「ガイジン」が結構住んでいます。
そんな知日家には許せない?施設に違いありません。
ところで不思議なのは長年日本に住んでいるこういうガイジンさんたちは、
白人なのに顔つきが日本人ぽくなっている人が多いんですよね。
しかし、おっしゃるように本格的なコンサートは敷居が高い、という向きには
このコンサートは入れ物を楽しむこと込みでいい経験だと思います。